人間と共生する生き物?可能性未知数のウイルスの正体
今、世界中で、コロナウイルスが流行しており、ウイルスは悪の根源の様に言われている。
しかし「ウイルス=病原体とは限らない」又ウイルスは、人間などの細胞を構成している一つのパーツのような存在で、われわれの根本であるヒトゲノム(人間の遺伝情報)の45%が、「ウイルス」や「ウイルスのようなもの」で構成されている事が解かった。
「人類は、ウイルスと共に人類は進化してきた。」
以下の記事を転載します。
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人間と共生する生き物?可能性未知数のウイルスの正体
https://emira-t.jp/special/7814/
ウイルス=病原体とは限らない
「ウイルスとは、バクテリア(細菌)、菌類、微細藻類、原生動物などとともに、よく“微生物の一種”と思われています。中でもウイルスは、一般的に病原体、つまり“悪いもの”というイメージです。
(中略)
「病原体」とされる微生物には他にバクテリアや真菌(カビや酵母の総称)などもあり、必ずしもウイルスだけが“悪者”というわけではないという。その理由を知るためには、まずはそもそもウイルスとは何者なのかを理解する必要がある。
「よく大学の新入生に、大雑把なイメージをつかんでもらうために、真菌はわれわれと同じ多細胞生物、バクテリアはその体の一つの細胞が飛び出して独立して生きているもの、そしてウイルスは、その細胞の中の遺伝子が細胞から飛び出て“独立”したようなもの、と説明しています。
もちろん遺伝子だけだと何もできませんから、細胞の中に入ることで初めて活動できるのがウイルスなんですよ。学術的には『ヌクレオキャプシド(nucleocapsid)』と呼ばれていて、遺伝子である核酸(DNAやRNAの総称)をキャプシドと呼ばれるタンパク質の殻が包み込んで粒子を作っているものとされています。つまり、核酸とタンパク質の複合体がウイルスに共通するコアな構造ということになります」細胞からは独立した存在だが、宿主の細胞に入ると遺伝子として機能する。侵入した細胞のタンパク質を利用するなどして、活動できるようになるのだという。要するにウイルスは、人間などの細胞を構成している一つのパーツのような存在なのだ。
「“増やす”ではなく、正確には環境を与えられたので、“増えられるから増えている”ものだと思います。その中でより増えることができたものが残っていくのですが、まれにウイルス同士で助け合うこともあります。調べてみると、ウイルス集団の中には、しばしば自分だけでは増えることができないものが見つかり、他のウイルスからタンパク質をもらうことで、生きているようです。共助ですね」
(中略)
われわれの根本であるヒトゲノム(人間の遺伝情報)の45%が、「ウイルス」や「ウイルスのようなもの」で構成されていることが示されている。「ウイルスがいたからこそ人間はここまで進化できた」と中屋敷教授は言うが、そうなると、やはり「=病原体」ではないのかもしれない。
人体にとってウイルスは善か、悪か?
とは言うものの、現実問題としてさまざまなウイルスに人間は感染し、病気にかかってしまう。例えば、大腸にはもともとさまざまな大腸菌が存在している。そこに、ウイルスの介在によってコレラ菌から毒素遺伝子が大腸菌に運び込まれることで、人を病気にする腸管出血性大腸菌「O-157」が出現したとのことだ。ここでは完全に“悪役”だ。「ウイルスは一般的には病気の元になりますし、それは事実。一方でウイルスがあるからこそ元気でいられることもあるんです。例えば、子宮で子供を育てるという戦略は、哺乳類が繁栄できているキモだと言われています。実は、子宮の胎盤形成に必須の遺伝子の一つがウイルス由来のもので、胎盤の機能を進化させる上で重要な役割を果たしていることが知られています。現在でも、その遺伝子がなければ胎盤は正常には作れません」
また、ウイルスには他の病原体の感染をブロックしてくれるような存在意義もあるそう。
「例えばヘルペスのように、それがいることで他の菌に感染しにくくなっている、と報告されているものがあります。あるウイルスのおかげでわれわれの体は他の菌やウイルスに対して強くなる。つまり、ワクチンを打っているようなものかもしれませんね」ウイルスは遺伝子として機能するため、ゲノムの中に存在するウイルスは、多様で重要な役割を果たしていることが、次々と分かってきているという。中屋敷教授が、「そもそもわれわれの進化も、そういったウイルスや“ウイルスのようなもの”のおかげで加速されてきた側面があると思います」というように、DNAにウイルスが入ってくることで変革が起こり、それが長いスパンで見ると“進化”の引き金になったとこともあるそうだ。
ウイルスは生き物なのか?
このウイルスの“活動”は、あくまで自分から何かを生み出し、消費するのではないという。「ウイルスは基本的にエネルギーを作ったりはしません。自身では設計図を持っているだけで、それを誰かに渡して製品(遺伝子産物や子孫)を作ってもらっているような感じです。
自分の製品をより多く作ってくれるところへ潜んでいき、そこで設計図を渡す。
その動きだけを見ると、結構世渡り上手な感じですね。
だからウイルス自身が何か生産的なことをしているというより、宿主の細胞に働きかけて上手にそのシステムを利用しているイメージです」そして、自分の子孫をより多く作ってくれるように働きかける過程が、人間の体内では免疫を抑制することにつながっているそうだ。
「自身を増やす過程で、自分を排除しようとするものから巧妙に逃れる性質があります。この活動があるからこそ、ウイルスは増えていき、その結果、病気を引き起こすことにもつながっているのです」これらの活動から考えると、ウイルスはまるで生きているかのようだ。
“かの”とあえて付けたのは、ウイルス=生き物かどうか、には賛否両論があるからだ。「自分では動けない、しかし自身を増やすことはできる。何をもって“生きている”と定義するかによるのですが、進化をして、子孫を残すという性質を重視すれば、生きていると考えることもできるように思っています」
人間が長い年月をかけて現在の形になったように、もしかしたら今から10億年後に、現在のウイルスを先祖として進化した“生物”がいるかもしれない。
ちなみに多くの場合、ウイルスは遺伝子を10個以下、少ない場合は1、2個しか持っていないが、最新の研究では、遺伝子を2500個以上も有する「パンドラウイルス」という巨大ウイルスが見つかったそう。
遺伝子数で見れば、小型のバクテリアとほぼ変わらない存在だ。「この巨大ウイルスが、遠い未来に意思を持つような生物になるかもしれませんね(笑)。実は、巨大ウイルスを研究していたところ、彼らに“寄生するウイルス” (これは普通サイズ)というのが見つかり、寄生されると巨大ウイルスが病気になることが分かったのです。その後、巨大ウイルスは寄生したウイルスをやっつけるための免疫システムのようなものを持っていることも判明しました」
つまり彼らは自己、非自己の認識ができて、非自己はやっつけるという仕組みを持っているということ。
「巨大ウイルスが持つ“免疫”の仕組みは、バクテリアのシステムに似ている」と中屋敷教授は言う。
「こういった“生物的な”巨大ウイルスの活動を考えるともう、ウイルスを生き物の仲間に入れてあげてもいいんじゃないかと思いますね」この巨大ウイルスのように、「進化」していることが分かると、今後のウイルス研究では、われわれの健康に役立つことも見つかるのではないだろうか?
「今までウイルスは、それを原因とした病気の発生を通して見つかるという歴史でしたが、次世代シーケンサー(遺伝子の塩基配列を高速に読み出せる装置)と呼ばれる技術の発展により、病気を起こさないウイルスというのが生物界に広く存在していることが明らかになりつつあります。
そういったものの中には、病気やストレスに対するワクチンのような効果を持つことが分かったものも少なくありません。
ウイルス研究が進めば、これからさらに“共生体としてのウイルス”の良い面がどんどん分かってくるかもしれません。今からのウイルスの研究は、これまでと一味違うものになっていく可能性がありますし、その動きは既に始まっています」
人間にとっては善でも悪でもあるウイルス。しかしその活動や進化の状況を考えると、善の側面が将来的には広がり、ウイルス=悪いものという存在ではなくなっていくのかもしれない。
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人間は時間の経過と共に死亡率が上昇し、亡くなっていくが、イチョウの木は老化ではほぼ死なない
前回の投稿で「意識と宇宙の正体の解明:霊魂の厳密科学的存在証明」をしました。
今回は、
進化の過程で、生物(物質と生命力の一体)は「物質的に死という現象を取り入れ、生命力(霊魂)の永遠性を獲得した」と思える
記事がありました。
学説では、「生物は、自分たちの種を再生させるために子孫を作る。子孫(子ども)ができるまでの間、自分の生命を保存するために生きる行動を取るとされてきた。 この推論に続いて、繁殖(妊娠)できない時期(年齢)に近づく時、生物はその肉体の衰えが始まるとされ、これが今までの「老化」として知られる状態」と説明されて来た
一方で
地球の生命は以下の3つに分類されます。
地球の生命体の老化と死亡確率の分類(進化するにつれて死亡率が上昇する)
・年を取るにつれて死亡率が上昇する
・年を取るにつれて死亡率が「下がる」
・死亡率が一生を通じて一定
その中で、人間は「時間の経過と共に死亡率が上昇し、亡くなっていく」わけで、それは、人間などの生体には、老化に関連する遺伝子があり、老化に従って、この遺伝子が増えていき「人間は時間と共に年老いていく」ということになっています。
しかし
「イチョウの木は老化ではほぼ死なない可能性」が示されたのです
以下の論文では、老化に関連する遺伝子がイチョウには見当たらず、また、どれだけ年をとっても、成長もさほど鈍化せず、そして「ストレスに対しての反応も一生ほぼ同じ」という生命体であることがわかったとするのです。
How the Ginkgo biloba achieves near-immortality Science 2020/01/13 https://indeep.jp/scientists-found-ginkgo-biloba-is-near-immortality/
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イチョウがほぼ不滅であるメカニズムが判明
いくら人間が長生きしたところで、それは樹木の足下にも及ばない。たとえば、イチョウのような樹木は、3000年以上生きることができる。
最近行われた、これまでで最も包括的な植物の老化の研究の中で、研究者たちは、イチョウそしておそらく他の種類も含めて、樹木が非常に長く生き残ることを可能にする分子メカニズムを明らかにした。
この新しい研究は、科学者たちが長い間、真偽を確認したかったあること、それは「植物の基本的な状態は不死である」ということについて、初めて真の遺伝的証拠が提供されたことになる。
この「植物は不死である」という大胆な主張を研究するために、研究者たちは、中国湖北省の安陸市と江蘇省のヒ州市にある 34本の健全なイチョウの木の細い芯を分析することから始めた。
この中で、揚州大学の植物分子生物学者であるリ・ワン(Li Wang)博士とチームは、イチョウの成長スピードが、数百年後でも遅くならないことを発見した。それどころか、数百年後になってから成長スピードがさらに上がることさえあることが見出された。
さらに、葉のサイズ、光合成能力、および種子の品質といった、植物の健康の指標は、何百年経っても変わらなかった。
次に研究チームは、遺伝子レベルで何が起こっているのかを知るために、葉と形成層での遺伝子発現を比較した。形成層とは、植物の茎・根において、維管束の木部と師部(植物の生体組織)との境にある分裂組織である薄い層のことだ。
チームは、樹齢 3年から 667年までの木の RNA (遺伝情報であるDNAから転写されてできる核酸)の配列を決定し、ホルモン産生を調べ、miRNA(特定の遺伝子をオン/オフできる分子)を検査した。
その結果、生命としての最終的で致命的な段階である「老化に関連する遺伝子」の発現は、イチョウの枯れ葉では予想通りに増加した。
ところが、形成層内のそれらの同じ老化に関連する遺伝子の発現を調べたとき、研究者たちは若い木と古い木の違いを見出すことができなかった。老化に関する遺伝子は、枯れた葉だけに見出され、樹木本体には見出すことができなかったのだ。
これが意味するところは、イチョウの場合、葉などの器官は老化して死滅する(枯れる)が、樹木そのものに老化に関連する遺伝子が見出せないということは、樹木本体は老化によって死滅することはないことを示唆する。
ただし、時間の経過とともに木に何らかの変化が生じるという証拠は見つかった。古い木は、インドール-3-酢酸と呼ばれる植物の成長ホルモンのレベルが低く、アブシジン酸と呼ばれる成長阻害ホルモンのレベルが高かった。
200歳以上の樹齢の木の場合はまた、細胞分裂、分化、および成長に関連する遺伝子の発現の減少が見出された。これは、古い樹木の形成層の幹細胞は、若い樹木ほどには簡単に新しい木材と樹皮に分裂しないことを意味する。
北京林業大学の植物生物学者ジンシン・リン(Jinxing Lin)博士と、今回の研究の研究者たちは、数千年後などが経過し、樹木の形成層細胞の分裂率が低下し続けると、木の成長は遅くなり、イチョウの木が最終的には老齢になる可能性があると述べる。
しかし、実際には、ほとんどの樹木は、老齢で死滅するのではなく、害虫や干ばつなどの「外部環境」で死んでいっているように思えるという。
研究者たちは、樹木が老化するにつれてストレス要因に対して、より脆弱になるかどうかを調べるために、病原体抵抗性とフラボノイドと呼ばれる保護抗菌化合物の産生に関連する遺伝子を調べた。すると、樹齢の異なる樹木の間の遺伝子発現に違いがないことがわかり、樹木は、年老いても、外部のストレス要因に対する防御能力を失わないことが示された。
これは、イチョウが何千年もの長い期間、健康に成長するのを助ける「並外れた」能力だと、研究チームのひとりで、米ノーステキサス大学の分子生物学者であるリチャード・ディクソン(Richard Dixon)博士は言う。
イチョウの木が老化で死滅することがないということは「人間にとっては理解することが難しいです」と、バルセロナ大学の植物生理学者セルジ・ムネ・ボッシュ(Sergi Munné-Bosch)博士は述べる。
「彼ら樹木にとっては、老化は問題ではないのです。彼らが対処しなければならない最も重要な問題はストレスなのです」
研究者たちは、今後、イチョウの木の突然変異率の研究を続け、老化の背後にあるメカニズムを調べていくという。また、研究者たちは、他の科学者たちも今後さまざまな種類の樹木について、樹木の老化と死滅について研究が始まっていくだろうと予測している。
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人類の聴覚はどう進化したのか?
>会話は、受け手と話し手が音声波のやりとりを通じて、交互に立場を入れ替えること によって成り立っている。<
人類の音声言語と発声器官の進化http://www.seibutsushi.net/blog/2020/03/5414.html では、
人類の音声言語(会話=おしゃべり)について、発声器官(形態)の進化 を見てきました。
今回は、会話の聴き手 に着目して、人類の聴覚機能の進化 について見ていきます。
耳をひらく~グローバル時代の聴力http://www.piano.or.jp/report/04ess/livereport/2017/05/18_23015.html より。
聴覚はどう進化したのか?
●五感による知覚の割合は、視覚8割、聴覚1割!
本来、人間は視覚優位である。五感による知覚の割合は、視覚情報が8割以上に対して、聴覚情報は1割程度である。(※以下は文献をもとにグラフ化したもの。聴覚7.0%という統計もある)
図1.2 五感による知覚の割合(リンク)
聴覚情報は大量かつ多彩であるのに、意外なほど知覚されていない のである。我々を取り巻く社会環境も、聴覚より、視覚に多くのしかけがある ように思う。街中は広告、看板、ビジュアル映像などの視覚情報にあふれ、我々消費者に瞬時に好意的な印象を持ってもらえるよう工夫が凝らされている。刺激的に、心地よく視覚に訴えかけることで、消費者との心理的距離を縮める のである。視覚+聴覚が同時に刺激されると、さらに判断は早くなる。
しかし、視覚情報と聴覚情報にズレが生じると、聴覚情報が優位になる。つまり 時間の経過という要素が加わると、視覚情報よりも聴覚情報に耳を傾けるようになる。ということは聴覚を活かせば、より長期的・立体的・複層的に、物事を認識する助けになるだろう。
●聴覚のおかげで人類は進化した?
サルから進化した人類は、視覚優位の動物である。しかし人類の進化は、視覚の発達ではなく、聴覚の発達こそが寄与した ようだ。それはネアンデルタール人と、人類の祖先である現生人類との比較で説明される。両者の違いは「社会脳」といわれる前頭前野の発達であり、現生人類はここが大きく発達したために進化した。(参考:『人類進化の謎を解き明かす』ロビン・ダンバー著、鍛原多惠子訳、インターシフト、2016年)
約35万年前に出現したネアンデルタール人は、高緯度地帯に分布し、その日照時間の関係から異常に視覚が発達していた(後頭野)。しかし前頭前野は発達しておらず、発話能力はあったものの言語としては未発達だとされる。共同体の結束を強めるため、音楽(歌詞のないハミング、踊り、リズムに合わせて手を叩くなど)をする習慣があったが、音声情報は文脈として意味づけられることがなかった。集団規模が110人と比較的小さく、高度な社会活動をする必要がなかったことも一因である。それが後に絶滅を招いたとも言われる。
一方、約20万年前にアフリカ大陸に出現したホモ・サピエンス(解剖学的現生人類)は、日照時間が長いため視覚能力を肥大化させる必要がなかった。その一方で、150人規模かそれ以上の大きな集団で生活しており、集団内の社会的秩序を保つため、言語を駆使するようになった(ヒトや鳥なども、集団規模が大きくなるにつれて声や身振りによるコミュニケーションが複雑化していく)。そのため前頭前野が大きく発達し、社会的認知能力が大きく増加した。次第に言語は高度化し、物語や宗教を語り、文化や芸術を創りだすようになった。その志向意識水準は、ネアンデルタール人より高次である。
“本質的なちがいは認知にあり、私たちが頭の中で行えることにある。おかげで私たちは、文学や芸術を生み出す高等文化をつくり上げた。”(『人類進化の謎を解き明かす』p20)
さらに人間が文字を扱うまでに、何万年もの時を待たねばならない。文字がなければ、音を聴いて相手を理解しなければ成り立たない。言葉が話せるということは、聴き手がいるということ だ。したがって 言語の発達は、聴覚の発達とも密接に結びついている と考えられる。
~中略~
●「聴く」は、多様性の一歩か
では「聞こえていても、聴いていない」という状況はなぜ起こるのだろうか?
我々は日々多くのものを耳にしているが、その中から無意識的に自分が関心をもったものに焦点をあて、それが際立って聴こえるようになっていく。その関心とは、家族や友人、学校の先生であったり、様々な音楽や楽器の音、時には自然や動植物の音であったりする。それらが言語や音楽の場合には、単なる音声の連続ではなく、脳内で意味づけされていく。つまり文脈として聞くようになる。
しかし逆に自分が理解できる文脈でないと、または自分の感情や思考と異なる音情報を耳にすると、「聴かない」「聴く耳をもたない」ということも起こりうる。つまり音情報を受けとるのを止めてしまう。そう考えると、 「聴く」というのは、「音を認知して理解する」「理解したものを受け入れる」ことと密接に連動している だろう。つまり、能動性や自発性と関わりがある。
音声情報は様々な経路をたどって前頭前野まで運ばれ、そこで初めて意味づけがなされる。耳をひらく というのは、この神経回路を少しずつ作っていくことなのかもしれない。意識して様々な音を聴くことが、知覚の領域を広げ、より多様性を受け入れることにも繋がる と考えられる。音楽は幅広い周波数を含んでいるので、その可能性を大きく広げてくれるのは間違いないだろう。
(以上)
意識と宇宙の正体の解明
原始人類の自然認識と佐野千遥「大統一理論」~エーテル繊維の繋がりが、光も熱も重力も作り出す
との 興味あるブログ記事が有りました。今回は、生物史から少し離れますが、佐野千遥が唱えている説に「霊魂の厳密科学的存在証明」が有ります。http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_300601
>現代人は、霊魂の存在を認めようとしていません。これは「証明出来ない事は存在しない事である」とする近代科学の考え方です。しかし佐野博士の理論をもってすれば霊魂も科学的に証明できるのです。
そして、マックス・プランク研究所からの記事【意識と宇宙の正体の解明】をINDEEPで紹介されていました。
https://indeep.jp/our-consciousness-is-perfectly-eternal/
原始人類の自然観(自然の摂理)に現代物理学も近づいてきたのではと考えられる。
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意識と宇宙の正体の解明
マックス・プランク研究所というのはドイツの研究機関ですが、これまで、33人のノーベル賞受賞者を輩出している世界トップクラスの学術研究機関といえるかと思います。
なお、記事の中に出て来るロジャー・ペンローズ(Roger Penrose)博士という方は、英国の署名な宇宙物理学者であり、理論物理学者です。
ペンローズ博士は「量子脳理論」というものを提唱していまして、これもまた難しい話ですが、以下のように説明されます。
量子脳理論
ペンローズは、脳内の情報処理には量子力学が深く関わっているという仮説を提示している。放射性原子が崩壊時期を選ぶように、物質は重ね合わせから条件を選ぶことができるといい、意識は原子の振る舞いや時空の中に既に存在していると解釈する。
量子から見た死 –「人間の細胞は魂として存在する量子情報を運ぶ」
Quantum Death –“Human Cells Carry Quantum Information That Exists as a Soul” Daily Galaxy 2020/03/14/
私たちが生きているこの物理的な宇宙は、私たちの知覚に過ぎない。そして、私たちの肉体が死ぬと、その向こうには「無限」がある。
また、人間の死後、その意識が平行宇宙に移動すると確信している科学者たちもいる。ミュンヘンにあるマックスプランク物理学研究所の研究者たちは、以下のように示唆している。
「死後に広がるその《向こう》は、はるかに巨大な無限の現実であり、その向こうの中には、この今の世界もルート上にはあります。この現在の現実のような存在の平面での私たちの生活は、すでに来世に囲まれています。肉体は死にますが、精神的な量子場は続くのです。この考え方に基づけば、私たちは永遠です」
マックス・プランク研究所の物理学者たちは、英国の物理学者であるロジャー・ペンローズ氏の主張に同意している。
ペンローズ氏は、人が一時的に死亡した時に、微小管(細胞の中にある微細な管状の構造)から、この量子情報が宇宙に放出されると主張する。しかし、蘇生された場合、量子情報は微小管に戻される。それが臨死体験につながっていると。
「もし彼らが復活せず、死亡したならば、この量子情報は魂のように、おそらくは無期限に体外に存在し続ける可能性があります」とペンローズ氏は言う。
科学者スティーブ・ポールソン氏は、88歳のペンローズ氏のこの理論を、意識の量子の起源に関する「大胆かつ恐らくは実に奇妙な理論」としてとらえている。
ポールソン氏は、私たち人間が豊かな精神的生活を持っていることを説明するためには、神経科学を超えて、量子力学の神秘的な世界に進まなければならないと考えている。
この「量子脳理論」と呼ばれる理論は、理論物理学者のペンローズ氏とアメリカの麻酔科医スチュワート・ハメロフ氏のふたりにより提唱された。現状では、この理論をどうすればいいのかは誰にもわからず、また、この理論は間違っているとする科学者も多い。しかし、ペンローズ氏の物理学に対する貢献を考えると、この理論を理解できないと放置することもまた愚かなことだとポールソン氏は言う。
ペンローズ氏とハメロフ氏は、「意識」とは、量子レベルで保存された情報であると結論づけている。
そして、彼のチームは、「タンパク質ベースの微小管」に「量子情報」として、「原子以下のレベル」で保存された情報を運ぶことを発見した。
量子コヒーレンス(確率的に得られる二つの状態が決定されていない状態)は、微小管、脳のニューロン内のタンパク質構造で起こるというのがハメロフ氏の考えだった。
微小管とは、真核細胞(細胞骨格の一部)内部の管状構造であり、細胞の形状や細胞分裂を含む動き(有糸分裂中の染色体の分離)を決定する役割を果たす。
ハメロフ氏は、微小管がペンローズ氏の理論で探していた量子デバイスであることを示唆している。
ニューロン(脳を構成する神経細胞)では、微小管はシナプス接続の強度を制御するのに役立ち、そのチューブ状の形状は、より大きなニューロンの周囲のノイズからそれらを保護する可能性がある。
ペンローズ氏は、インタビューでポールソン氏に以下のように述べた。
「何というか、宇宙が存在する理由は、私たちの意識があるからなんです」
続けて、ペンローズ氏は以下のように述べている。
「私たち自身の宇宙が、意識に向かって好意的に処理されているかどうかはわかりませんけれどもね」
再生医療の専門家であるロバート・ランザ氏は、著作『生物中心主義を超えて』の中で、ランザ氏が提唱する新しい科学理論は、私たち人間は不滅であり、時間の外に存在すると言う。
ランザ氏は、死は時空を超えた世界では存在しないと言う。彼の新しい科学的理論は、死は私たちが考える最終的な出来事ではないことを示唆している。
ランザ氏はこのように言う。
「宇宙の数は無限であり、起こりうるすべてのことがすべての宇宙で発生します。これらのシナリオでは、本当の意味での死は存在しません。すべての可能な宇宙は、それらのいずれかで何が起こるかに関係なく、同時に存在します」
「個々の肉体は滅する運命にありますが、生きている感覚、つまり「私は誰だろうか?」という部分は、脳内で機能するエネルギーのほんの僅かに過ぎません。しかし、このエネルギーは肉体が死んでも消えることはないのです」
「科学の最も確かな公理の 1つに、エネルギーは決して死なないということがあります。作られることも消え去ることもあり得ません。しかし、このエネルギーが、ある世界から別の世界を超えられるのかもしれない可能性についてはわかっていないのです」
人類の音声言語と発声器官の進化
>日々の充足体験は「会話=おしゃべり」にあり!<http://blog.livedoor.jp/iiotokoiionna/archives/52288563.html#more
現代人の日々の充足は「会話=おしゃべり」にあるようです。
「会話=おしゃべり」について、原始人類まで遡って考えてみると、原始人類は、音声言語による仲間との「会話=おしゃべり」により一体充足を高めて知能を進化させていった と考えられます。
人類の音声言語(会話=おしゃべり)について、発声器官(形態)の進化の視点からの研究を紹介します。
音声言語と発声器官の進化 http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/evo_anth/symp9907/takemoto.html より。
音声言語と発声器官の進化 竹本浩典(京大・理・自然人類)
会話は、受け手と話し手が音声波のやりとりを通じて、交互に立場を入れ替えること によって成り立っている。受け手は音声波を聴覚器官で受聴して音声を知覚する。次 に内容に関する心的な過程、すなわち記憶の参照や推論などを行う。そして受け手は 話し手に立場を変え、話す内容を決定すると、脳から運動指令が出て発声器官を動か し、音声が生成される。この音声波が空間を伝播して、先程まで話し手だった相手が 受け手へと立場を変えて受聴する。この繰り返しによって音声によるコミュニケーショ ンが行われる。
このように、音声言語によるコミュニケーションは、多くの物理的、 生物的な要素によって成り立っているため、一口に音声言語の研究といっても、どの 部分に注目して研究を行うかによってたくさんのアプローチの仕方がある。私が研究 を行っているのは 発声器官、すなわち音声を生成するハードウェアそのものの、形態 についてである。
~中略~
発声器官は単一の器官ではなく、声道-咽頭腔、口腔など喉頭より上部の空間-とい う体腔に面した、多くの器官によって成り立っている。大まかに言って発声器官は、 頭蓋底、頸椎、下顎、歯列などの硬組織の内部に、舌、咽頭、喉頭などほとんどが軟 組織からなる部分が声道という空間を挟んで内接する構造になっている。ヒトでは、 頭蓋底が水平、頸椎がほぼ鉛直なので、発声器官とその声道は咽頭の部分で大きく屈 曲した形状をしている。
音声そのものは、喉頭の声帯で生成されるが、その多様性は舌によって生み出されて いる と言っても過言ではない。音声は、喉頭で生成される音声波が声道を通り抜ける 際に、様々な音響的な修飾を受けて生成される。音響的な修飾は、声道の時間的、空 間的な変化によって起こる。その最大の要素は舌である。舌が様々な形に、素早く変 形することによって、多くの音声が特徴づけられ、生成されている。
音声は音素から成り立っており、音素は大別すると母音と子音に分けられる。母音と は声帯が振動することにより、声道全体が励振し、比較的定常で安定した音色を示すもの である。子音とは、母音以外の全ての音素である。母音は、声帯振動に声道全体 が励振するという点で、子音よりも発声器官全体の形を反映しているといえるので、 発声器官の形態と音声との関係を調べるためには、母音に注目するべきであると考えられる。
母音は舌の位置により、大きく3つに分類される。舌の前部が隆起し、口腔の前方が 広くなり、後方が狭くなる/i/や/e/は、前舌母音と呼ばれる。対照的に、舌が後方に 持ち上がって、口腔の後方が広くなり前方が狭くなる/a/や/o/は、後舌母音 と呼ばれ る。両者の中間的な存在として、舌の中央部分が隆起し、口腔の中央が狭くなる 中舌母音 がある。このように舌が多様に変形して、それぞれの母音が発声される。
一般的に化石人類の発声器官は、チンパンジーに似ていたのではないか、といわれて いる。特に初期人類ではよく似ていたと考えられている。歯や顎の形が違うため、か なり印象は異なるが、頭蓋底の屈曲が弱く、硬口蓋の部分が前後に長い点で両者は似 通っている。そのため、チンパンジーの発声器官の形態と発声される音声について調 べれば、初期人類の構音能力を解明するための重要な知見が得られると考えられる。
“継続的な観察の結果、チンパンジーでは、後舌母音の/a/, /o/、中舌母音の/u/の発 声は観察されるけれども、前舌母音である/i/, /e/の発声は観察されない ことが知られている。ヒトでは、/i/はsuper vowelとも呼ばれ、どの言語でも普遍的に存在し、最も弁別しやすく、そのため母音の正規化の指標音に成るとも言われる特殊な母音で ある。このようなヒトの音声言語で重要な役割を持つ母音の発声が、チンパンジーで は観察されないのは、きわめて興味深い。”
ヒトの幼児では喉頭がかなり下降するまでこの母音を発声できないことから、この母 音が発声できるかどうかは、喉頭の高さと関係していると推測されている。ヒトが/i /を発声している様子を観察すると、舌が変形して口腔の前方が狭くなり、口腔の後 方から咽頭にかけての空間が広くなっている。すなわち、前部が狭く後部が広い声道 形状が、/i/の発声に不可欠である。
ヒトでは喉頭が低い位置にあり咽頭が広いため、 このような声道形状をとりやすいと考えられている。一方、チンパンジーでは、舌の 筋構築はヒトと変わらないため、舌が変形する能力もヒトと変わらないと思われるが、 喉頭が高い位置にあり咽頭腔が狭いため、舌を変形させても/i/の発声に必要な後部 の広い声道形状をとることができないのではないか、と考えられている。
~中略~
チンパンジーがヒトと同様な舌の変形を行うことができない一番の原因は、舌が平たいこと である。ヒトは硬口蓋が前後に短く、上方へ深くえぐれており、それに沿って 舌の上面が隆起し、全体としての形は丸い。そのため、/i/を発声する際に最も活動 するオトガイ舌筋の後部が収縮すると、舌の後部が前方に凹むとともに前上方が隆起 する。そのため、口腔の後方から咽頭にかけての空間が広くなると同時に口腔の前方 が狭くなる。ところがチンパンジーは硬口蓋が平たく、また、頭蓋底の屈曲が弱いた め、その形状に従って舌が平らである。そのため、オトガイ舌筋の後部が収縮したと しても、舌が隆起しない。すなわち、ヒトでは舌が丸いので、オトガイ舌筋後部の収 縮が口腔の後部を広めると同時に前部を狭めることができるが、チンパンジーでは舌 が扁平なため、同様の筋収縮を行っても後部が広まると同時には前部が狭くならない のである。
~以下略~
カタワのサル(人類)は、安定性(女性による採取)と変異(男性による狩猟)で生存出来た。
現生人類は、「アフリカで誕生し、気候変動から獲物を求めて(狩猟をしながら)、高緯度に進出し、旧人(ネアンデルタール人やデニソワ人)と交雑して誕生した。」が有力な説であるが、人類が狩猟民族(西洋思想より)とは思えない。
人類は生物進化の摂理に則って、安定性(女性による採取)と変異(男性による狩猟)で気候変動に適応してきたのであろうと考える。
「男性による狩猟」仮説」と「女性による採集」仮説に対する研究発表が有りましたので紹介します。
>肉食が重要になったのは人類が高緯度地帯に進出し、熱量の大部分を動物性食料に頼る特殊な適応を必要としたときであろう。むしろ、更新世の段階で重要だったのは、植物性食料、魚、昆虫、その他の小動物、死肉などの食料のレパートリーを増やし、季節や環境その他の条件に応じて使い分ける能力を獲得したことにあるのではないだろうか。
肉食と狩猟ー遺跡出土資料からの検証
本郷一美(京都大学 霊長類研究所)
http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/evo_anth/symp9911/hongo/hongo.htmlより
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動物考古学やタフォノミー研究により更新世の人類の行動についてどのようなことが言えるかについて、肉食と人類進化に関する研究の現状をふまえて考察する。
「男性による狩猟」仮説
まず、多くの初期人類の遺跡で石器に大型獣化石が共伴して出土するという事実から、大型獣狩猟と肉食がホモ・エレクトス出現にいたる形態(大きな脳と体、消化器官の短小化)および社会行動(男性の共同狩猟、男女の分業、家族の発生)の進化をもたらしたとの説が提出された。この狩猟仮説は1950-60年代以来根強く支持されてきたが、「男性が家族を養う」との男性中心的なイメージ、「狩猟による肉食」を重んじ植物食を軽んじる西洋的価値観などのバイアスが影響していることは否めない。アイザックのホームベース(セントラルプレース)仮説(Isaac 1978, 1983)は肉の獲得手段を狩猟と限定はしていないが、大筋でこの説の延長上にある。
「女性による採集」仮説
1970年代末から植物性食料の重要性と食料獲得における女性の役割を見直す説が提出される。現代の狩猟採集民の摂取カロリーに動物性食料の占める割合はせいぜい30%程度であることを根拠とし、道具を使った植物(特に根茎類の)採集活動が人類進化に重要な役割を果たしたとするものである。男女別の採集戦略、女性同士あるいは女性から子供への食物分配が想定された。この採集仮説の発展形として、掘り棒を使った根茎類の採集と閉経以降の女性による孫の世代への食物分配行動が人類の長寿、早熟、多産、をもたらしたするモデル(O’Connel et al. 1999)、火を使って根茎類を調理する場での女性の共同作業から女性を中心とする大きな社会的グループが発生し、ボディガードとして特定の男性との長期間にあたるペア形成を促したとするモデル(Wrangham et al. 1999)が提出されている。
タフォノミー研究による狩猟仮説の検証
石器と動物骨の共伴だけを出発点とした狩猟仮説は、遺跡の形成過程における様々な遺物の変形を考慮したものではなかった。
1970年代末以降、狩猟仮説はタフォノミー研究によるさまざまな検証を受けた。一方採集仮説は、特に根茎類に関しては考古学的に検証することは困難である。火の使用の証拠はせいぜい230万年前までしかさかのぼれない。中期更新世以降の遺跡で食料となりうる植物遺存体の出土例はあるが、いずれもヒトが集めたあるいは食べたという状況での出土ではない。
動物考古学者は遺跡における骨や石器の堆積過程の詳細な研究を行なった。遺跡から出土する動物骨が、狩猟されたものか、死肉あさりにより手に入れたものかが関心の中心であった。遺物と大型獣骨の集積には人以外のどのような作用が関係しているか、出土する動物骨の部位ごとの出土頻度、骨の破砕状態、解体痕からヒトが他の肉食動物に先だって獲物を手に入れたといえるか、などに注目した。この20年あまりの間にライオンなどの捕食者とハイエナなどのスカベンジャーの菜食行動の観察データと、骨の破壊や風化に関するさまざまな膨大な実験データが蓄積され、遺跡における出土状況とのつきあわせが行われた。肉を手に入れる手段に関しては、ホモ・エレクトス / エルガスターの段階では大型獣の肉は死肉あさりで手に入れていたという点と、古代型ホモ・サピエンスの段階では少なくとも小動物の狩猟は行っていたという点では研究者の間でほぼ意見の一致を見ている。しかし、死肉あさりの形態については、積極的に他の捕食者を追い払うことができたのか、他の動物がほとんど肉を食べた後に残されたわずかな骨髄を手に入れるにすぎなかったかの論争が続いている。皮肉なことに、膨大なタフォノミーと遺跡形成に関するデータが蓄積されたにもかかわらず、それをもとに人類の進化に関する有効なモデルを提出することはできていない。
肉食の進化的な意味
それでは、死肉あさりによる肉食は、人類の進化においてどのような意味を持っていたのだろうか。ヒト以外の霊長類はほとんど死肉あさりをしないことから、死肉あさり行動をヒトの特徴ととらえることさえできるかもしれない。より乾燥した環境への適応の初期段階においては死肉あさりによる肉食は重要な生態的ニッチェであったと思われる。肉食=男性による食物分配という図式は必ずしも成り立たないが、もし積極的な死肉あさりが行われていたのであれば、ライオン・ヒョウなどの最初の捕食者を追い払うという草食獣の狩猟よりも危険な行動や、肉食獣が近づかないように見張りをたてる役割分担をすることは社会性の発達に貢献したであろうし、危険性を計りすばやく対応する柔軟性も発達したことだろう。
いずれにしろ、栄養的な面からだけ見れば、植物性食料がより重要であったことは間違いないであろう。肉食が重要になったのは人類が高緯度地帯に進出し、熱量の大部分を動物性食料に頼る特殊な適応を必要としたときであろう。むしろ、更新世の段階で重要だったのは、植物性食料、魚、昆虫、その他の小動物、死肉などの食料のレパートリーを増やし、季節や環境その他の条件に応じて使い分ける能力を獲得したことにあるのではないだろうか。また、リスクを伴う積極的な死肉あさりにおいては成功するかどうかを見通す状況判断能力と、変化する状況にすばやく対応する能力、共同行動が必要である。これらの能力がかなり早い段階で発達していったことは、チンパンジーが集団で他の群に攻撃をしかけたり、攻撃の最中に撤退するタイミングを判断する能力を有することからも推察できる。
客観的に肉食の重要度を判断する方法には、歯のマイクロウェアの観察(Bunn 1983などーただし、死亡する前の短期間に食べたものがわかるだけで、食生活全体に肉の占める割合などはわからないだろう)、人骨のアイソトープ分析(化石となって有機質が残っていない場合は困難)などがあろう。
しかし、栄養的な重要度や食物中にしめる割合だけから肉食の重要性を論じることはできないことも確かである。男性による食料分配行動が栄養面からみて重要だったと仮定するならば、男性はむしろ小動物や植物性食料の採集で堅実に食糧を確保し、女性や子どもに分配するのが現実的である。しかし、これらの食料の獲得はリスクを伴わず、どこでいつ手に入るかがわかっており、供給を常にあてにできるからこそ、付加価値も低い。むしろこれらの食料に関しては男女別々の採集戦略があったと考えた方がしぜんである。肉の獲得は(死肉あさりによるものであっても)リスクと興奮を伴い、供給をあてにできないことで付加価値は高くなるが、安定した食糧資源とはなり得ない。非日常、お祭り的な意味を伴うハレの場の食料として肉の役割を考えるべきではないだろうか。
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人類の直立二足歩行 ~その恩恵と代償~
>足の指が先祖返りして、それ以前の獣たちと同様、足で枝を掴むことが出来なくなったカタワのサル=人類は、樹上に棲めるという本能上の武器を失った結果、想像を絶する様な過酷な自然圧力・外敵圧力に直面した。そこで、本能上の武器を失った人類は、残された共認機能を唯一の武器として、自然圧力・外敵圧力に対応し、そうすることによって、共認機能(≒知能)を更に著しく発達させた。 <( 実現論 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=6 )
人類の共認機能(≒知能)の進化には、直立二足歩行への進化が大きく関わっているようです。
直立二足歩行は、人類の知能を飛躍的に進化させる一方で、身体上の代償も与えました。
直立二足歩行がもたらした恩恵は、
①前肢が解放され、道具の使用への下地ができた。
②内臓が下がり、言語獲得の下地(発声機構)ができた。
→その代償として、誤嚥リスクが生じた。また、難産となった。
③直立姿勢で、脳の拡大の下地ができた。
札幌西円山病院リハビリテーションセンターブログhttps://www.keijinkai.com/nishimaruyama/rehacenter/blog/resp11_201906.htmlより、
直立二足歩行(1)~(3)
約600万年前に、人類の祖先と、類人猿(チンパンジー・ボノボ・ゴリラ・オランウータンなど)の祖先が分かれたと考えられてます。そこでの分岐点には、二足歩行が大きく関わってます。この二足歩行は、その後に劇的な変化を生み出しました。まず、二本足で歩くことで前肢が解放されます。そのため物を持って歩くことが可能となりました。これは結果的にそうなったと言うよりは、そもそも、この二足歩行自体が食べ物を上肢で運ぶことを目的としたと考える方が自然です。必要に迫られて、やむなく行ったのでしょう。チンパンジーはナックルウォークのため、小枝など小さなものを持って歩けます。ですから、これは二足歩行の前段階とも考えられます。また、人類の祖先の化石と、類人猿の祖先の化石では、骨盤の形が決定的に違います。直立二足歩行に重要な中殿筋の位置関係が違うのですが、これについては稿を改めて書きます。
常に直立姿勢でいる事に付随した効果として、重力の影響で内臓が下がります。横隔膜や肺も下がります。気管や喉頭も下がります。その結果、声帯から口までの空間が大きく広がりました。すると、ここに広い共鳴空間が生じます。このことで、色々な音色の使い分けが可能となりました。言語の下地ができた わけです。しかしながら、巧みに出来ていた「空気の通り道」と「食べ物の通り道」の立体交差が無くなってしまいました。このことで誤嚥の宿命を背負いました。骨盤の形については既に触れましたが、下がってくる内臓を支える「お椀」のような形になりました。このため骨盤の出口が小さくなってしまい、人間は難産となりました。誤嚥も難産も直立二足歩行の代償です。どちらも悪魔との取り引きのようなものです。でも、直立二足歩行は、それ以上の恩恵をもたらしました。
直立二足歩行に関しては、もうひとつ重要なことがあります。例えば、馬の姿を想像して下さい。大きな頭をしています。かなり重たいでしょう。四足歩行の体勢では、この重たい頭を支えるために力強い首の筋肉が必要です。この筋肉群のために沢山の酸素や栄養が必要です。生物として燃費が悪いということです。通常の哺乳類にとって頭が重たいことは生存上の不利益になります。ですから頭蓋内の脳が大きくなることが出来なかったとも言えます。一方、直立した場合はどうでしょうか。頭は、背骨のてっぺんにチョコンと載っていればいいのです。バランスがとれればいいので、首の筋肉はあまり太くなくてもかまいません。ですから直立姿勢の場合では、頭が重たいという事が生存上の不利益ではなくなりました。このことで、脳が大きくなっても構わないという下地ができました。
~中略~
このように、いくつかの偶然と言うか、多くの条件が重なりました。すべてが、直立二足歩行をきっかけ としています。脳の巨大化が可能となり、知能が一気に発達しました。上肢がフリーになったおかげで、道具を使えるようもなりました。言語を獲得したおかげで、一人の体験や知識を他者と共有することができるようになりました。さらに文字によって、これらの知識は蓄積され、空間的・時間的に広がりました。人間は単独で生活してたら、非常に弱い動物なのですが、社会を形成して強くなりました。
~中略~
付け加えてショッキングな話をしますが、そもそも黎明期の人類は、他の肉食獣の餌にすぎない弱々しい存在でした。あちこちで食べられてました。人類の方は、その肉食獣の食べ残しを探すのに必死だったのです。上肢を使って安全な場所に運んで食べてたのでしょう。奇異に感じますが、特に「食べ残しの骨」は貴重な食料だった そうです。他の動物は、骨なんて見向きもしませんから探せばいくらでもあります。たまに新鮮な肉が残っていれば儲けものでしょう。骨を石で砕くと、中には栄養満点の骨髄があります。もともと骨髄は無菌ですから、多少の炎天下でも大丈夫だった可能性があります。骨は天然の保存食なのです。このように私たちの御先祖は、はじめから今のように地球上で大きな顔して君臨していた訳ではなく、最初は肉食獣に怯える弱い存在であり、彼らの食べ残しを探し回る「残飯あさり」でした。
~以下略~
進化生物学から見た「カタワのサル(人類)が生存出来た理由」 その3
進化生物学から見た「カタワのサル(人類)が生存出来た理由」 その3
洞窟に隠れ住む事で言葉を創出した。
>人間の新生児の脳は,未成熟な状態で生まれてきて, 生後に周囲からの音声刺激や言語刺激を受けることによって,言語のデジタル処理に必要な機能(たとえば母音や子音を聞き分ける能力(音素表),舌や唇の発声運動制御,文法書,脳内辞書)ができあがるという。これは,人類に特有のデジタル言語を処理するための中枢神経回路の進化である。
ゴンドワナランドの分裂と人類の誕生https://ci.nii.ac.jp/naid/10025572274
(得丸公明)より抜粋。
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【中枢神経回路の発達とデジタル言語】
人類と他の動物を区別する最大の違いは,コミュニケーションに用いる音声符号がデジタル式か,アナログ式かではないか。人類が文明を構築し,世界を支配できたのは,きわめて効率のよいデジタル方式のコミュニケーションを獲得したからだ,ということに最近私は気づいた。
デジタル符号といっても,単純な判断しかできないコンピュータが使っている0か1かの二元デジタルではない。ヒトは,離散的な母音や子音を用いて1音が約100種類の音節でありえる多元デジタル符号を使ってコミュニケーションを行なっている。我々の言語は, たとえば,アカ,アキ,アサ,アサイ,アサリ,アキタと,たった2音か3音の似たような音で,まったく異なった意味を持つ単語を無数にもてる。また,助詞や助動詞,動詞や形容詞の活用,敬語や代名詞などの複雑な文法規則を使いこなすことによって,多様・微妙な意味の違いを表現できる。
この多元デジタル言語が,いつ,どこで,どのようにして生まれたのか,どのような環境で生まれたのかと考えているうちに,分子生物学者による面白い論文に出会った。未成熟のリンパ球が外敵であるバクテリアに合わせて自らの形状を変える,免疫の抗原抗体反応で起きている「親和性成熟」に似た現象が,脳の中枢神経でも起きているというのだ
人間の新生児の脳は,未成熟な状態で生まれてきて, 生後に周囲からの音声刺激や言語刺激を受けることによって,言語のデジタル処理に必要な機能(たとえば母音や子音を聞き分ける能力(音素表),舌や唇の発声運動制御,文法書,脳内辞書)ができあがるという。これは,人類に特有のデジタル言語を処理するための中枢神経回路の進化である。
洞窟の中は,外部の音が遮断されることと,夜間は完全な闇の状態になるので,音によるコミュニケーションが発達しやすかったと考えられる。
東アフリカの赤道地帯のサバンナの地下トンネル網の中で一生を過ごすハダカデバネズミは,人類同様に体毛が極めて薄いのみでなく,晩成性で寿命が長く, 音声コミュニケーションが発達していて,身分制度をもち真社会性である。人間も洞窟の中で過ごしていたから,音声コミュニケーションが発達し,晩成化して脳の中枢神経が音声コミュニケーションのデジタル化に対応したのではないか。
人類進化の謎のひとつに,「おばあさん仮説」というものがある。これは,人類だけが,閉経後のメスが生き残って,「自らの繁殖から解放されたあと,その知恵と経験を生かして自分の娘や血縁者の子育てを援助することにより,結局は繁殖成功度を上昇させることができた」というものである。これは,ヒトの幼児が晩成化し,四六時中その面倒をみることが必要となり, 同時にいろいろなお話を聞かせてあげて言葉のトレーニングをする「孫の世話」の役割が,閉経後のメスに求められたためではなかろうか。
こう考えてくると,現生人類の最古の居住跡であるクラシーズ洞窟で,人類のデジタル言語が生まれた可能性は否定できない。そしてデジタル言語の獲得こそ, 現生人類の誕生を意味すると言ってよいと思う。
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進化生物学から見た「カタワのサル(人類)が生存出来た理由」その2
進化生物学から見た「カタワのサル(人類)が生存出来た理由」の続きです。
「進化生物学から見た”子ども”と”思春期”」からの転載です
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■社会が「子ども」を育てる
では、なぜ、ヒトの赤ん坊期が短いかというと、私は、チンパンジーのように、体重35~40㎏に対して388㏄という脳の大きさが、母親の授乳で育てられる限界なんだと思います。チンパンジーより3倍も大きいヒトの脳を母乳で賄うのは無理なので、早目にやめてしまうのではないかと。と考えると、母乳以外の栄養として何を食べさせるか、それから誰が食べさせるかが問題になります。まだ大臼歯も生えていないし、あごも小さい、でも離乳はしたという子どもに食べさせる食べ物が、原始的な時代からあったということですよね。また、母親以外にも子どもに特別に食べさせてあげる大人たちがいたということです。その2つがクリアできないと、こういう早い段階で外に出してしまって、母乳もやめてしまった後に、特別食で子どもを大きくするというストラテジーにはできない。それを支えるインフラとして、そういう食べ物があるということと、サポートしてくれる社会的ネットワークがあるということが絶対必要だと思います。
そこでヒトの狩猟採集社会を見てみると、いろんな離乳食があります。子どもは脳を成長させなければいけないので、カロリーと脂肪と蛋白質がすごく必要です。そのために、多くの狩猟採集民の社会で子どもに特別に与えられているものが蜂蜜と骨髄です。小さい子たちも、そうした食物を与えられることによって、その時期を乗り越えることができるわけです。
また、人類進化の95%は狩猟採集民だったわけですけれども、その中で誰が子どもの世話をするかというと共同繁殖です。いろんな人がかかわって育てていて、親、特に母親が1人でケアするのが普通という社会は存在しません。それから、小さい子たちの周りには異年齢の集団、ちょっと上の子どもたちがたくさんいるし、血縁、非血縁を問わず、いろんな大人がいて、一緒に暮らしている。そういう人たちが入れ替わり立ち替わり子どもを見ているし、食料自体も、親がとってきたものだけでなく、みんながシェアをするので、みんなに支えられて子どもは育つというのが人間の原点です。そうでないとやっぱり無理なんです。脳が大きい、すごく時間をかけて育てなきゃいけない、でも、何もできない時期が何年も続くという存在を、血縁の一番濃い親だけが全部やるなんて無理で、単に食べて生き続けるということだけとっても、さまざまなサポート、ネットワークがあります。
去年出たProceedings of the Royal Society だったと思うのですが、その論文で、狩猟採集民の集団の構成を調べると、血縁者だけじゃなくて、非血縁者がいっぱいいるし、お母さんの友達とか、お父さんの友達とか、お父さんの弟とか、血縁を超えたいろんなソーシャルネットワークが常に流動的にあることがわかりました。お互いに食べ物をサポートし合う関係というのが、子どもをサポートし合う関係でもあり、みんなでリスクも責任も分散してヒトの子どもも育つということなのでしょう。だから、原点はこれなんだということをもう一回、社会福祉の制度の中に考え入れないとダメだと私は思います。
思春期というのもまた不思議な段階ですけれども、動物学的には、栄養、移動、心理的保護でほぼ自立しているが、まだ完全に繁殖を開始していない時期、と定義します。チンパンジーでもニホンザルでもちょっとだけはあるんですけれども、ヒトは結構これが長いですね。大人とも子どもとも呼べない時期ですけれども、子どもは毎年の成長率がほぼ一定なのですが、思春期にグッと加速度がついて、体が大きくなります。この思春期のスパートがほかの類人猿にもあるのか長いこと議論されてきたのですが、最近の結論としては、類人猿にはないということがわかってきました。
なぜ人間の子どもに思春期のスパートがあって大きくなるのかはまだよくわかっていないんですが、胎児、赤ん坊、子どもの時期は脳を大きくしていくために栄養がとられるので、体には低速運転でしか投資していないのではないか。脳の整備が一応整ったところで体に回して、体を大きくするのではないかと考えられます。
本当に人間って不思議だと思うのは、メスのチンパンジーの体重は33㎏で、ヒトは45㎏ですが、生殖年齢はチンパンジーが平均13歳で、人間は狩猟採集民の平均で初産年齢が17.3歳。平均寿命は17.9歳と34.9歳です。ところが、離乳年齢は、チンパンジーが4.8歳なのに対して、ヒトは2.8歳。また1年間にメス1頭が生産する率はどれだけかというと、チンパンジーは0.082ですけれども、ヒトは0.142で、2倍ぐらい人口増加率が高いわけです。つまりヒトは、チンパンジーよりも脳が大きくて、チンパンジーよりも成長速度が遅いのに、離乳年齢が早くて、しかも人口増加率も高い。こんなに頭の大きい生き物がこれだけ早く離乳して、しかも死亡率が低くて、これだけ多く生まれて育っていけるというのは非常に不思議なことです。
それを支えているいろんな進化的な背景が、幾つかわかってきましたけれども、1つは、ヒトは死亡率が本当に低いのです。今、ヒトに固有の遺伝的変化がどこにあったかがわかってきていますが、その1つに、シアル酸の代謝に関する遺伝子がなくなったことによって、非常に免疫力が高くなって死亡率が低くなったことがわかってきています。だけど、それだけじゃなくて、チンパンジーは全くひとりで子どもを育てるんですね。私の研究では、子どもを持っている母親が何頭のほかの個体と一緒に過ごすかを調べたところ、最大7頭です。ほとんどひとりで子育てしていて、1日に一緒にいる他の個体は2頭か3頭が平均。つまり、子どもは、母親が母乳を出してひとりで育てていくのです。一方、ヒトの子育ては共同作業で、子育てをサポートする仕組みが非常にたくさんある。そのためにヒトの子どもは、親だけじゃなくて、他の大人にも頼って、安心して養ってもらいながら、いろんなことを習っているわけです。
子どもというのはこの期間に脳を成長させて、そこに知識を詰め込んでいって、手指の発達や、技術の発達などをどんどんやっていかなきゃいけないのですが、それも、社会的ネットワークが存在して初めて可能になったのでしょう。そういうインフラがなければ、ヒトという生き物は進化できなかったと思います。そういう意味でも、現代社会が、すごく個人主義になっているのはおかしいと思います。
なお、チンパンジーは潜在最長寿命が55歳で、ヒトは100歳なのですが、産み終わり年齢はほとんど同じで両方とも48歳ぐらい。このギャップも多分、遺伝子のどこかに変化が起きているに違いないのですが、まだわかっておりません。
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その3へ続く
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進化生物学から見た「カタワのサル(人類)が生存出来た理由」その1
実現塾で、「カタワのサルは、母子で安全性の高い海岸線の洞窟に住んでいたが、食料は調達できたのか?」との設問については
【カタワのサルの母子は単独では生存できず、「共同繁殖社会に属していた」からこそ生存でき、集団(共同繁殖社会)が子供を育てた。】と考える。
又るいネットに、丁度
密着充足こそが認知発達の基盤♪ http://www.rui.jp/tb/tb.php/msg_354213 |
との記載が有りました。
ついては、類人猿の子供についての記事を紹介します。
>霊長類の成長プログラムを哺乳類全体と比べると、まず胎児があって、赤ん坊があって、大人があるというのは、どの哺乳類も大体似たタイプなのですが、そこに子どもと、若者と、老後というのが入っているのがヒトの特徴です。
>子どもというのは離乳後という意味で、離乳後で性成熟開始以前を子どもと呼びます。その他の哺乳類では存在しません。また、若者というのは、性成熟は開始しているけれども、まだすぐには繁殖にいかない、こういう時期があるというのも、多くの哺乳類には存在しません。チンパンジーやゴリラには多少この時期がありますが、哺乳類一般は、こういう時期はスッと通り抜けて、あっという間に大人になるわけです。また、老後というのも、哺乳類全体として普通は存在しません。死の直前まで繁殖が可能で、繁殖終了が死に時です。だけど、人間は繁殖終了後の時間が、それまでの2倍ぐらいあることがあるのです。これがヒトの特徴です。
>原始社会では、子供を母一人では育てられない。共同繁殖社会が「子ども」を育てる
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「進化生物学から見た”子ども”と”思春期”」
講師:長谷川眞理子(総合研究大学院大学教授)https://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/cafe1-1.html
■生活史戦略のトレードオフ
生物学では、生まれてから死ぬまでの時間配分やエネルギー配分等のあり方を生活史、ライフヒストリーと呼ぶんです。最初にドーンとエネルギーを使ってしまって、すぐ死んでしまうのもあるし、次の年に余力を残しておいて長生きするというものもあるし、いろんな戦略があります。エネルギーをどのくらい体に投資するか、し続けるか、し続けないかということで、体を大きくするか小さくするかも生活史戦略だし、すごく早く成長するか、ゆっくり成長するか、毎年つけ加えていく分を多くするのか少なくするのかということもあります。
生活史戦略で大事なのはトレードオフで、すべてを満たす最大化というのはできないということです。限られた時間で、限られた量のエネルギーしか投資できないわけですから、多産にしたら多死になるし、少産にしたら少死になる。1個が大きくなると数は少なくなるし、数をたくさんにすれば1個が小さくなる。さまざまな面でのトレードオフがあります。
最近、生態学ではあまり言わないのですが、トレードオフを考えると、大ざっぱにr-Kという2つのタイプがあります。昆虫などがそうですが、r型は体重が小さくて、多産多死で、成長速度が速いものは、予測不可能な、ランダムな環境飽和状態に住んでいる。だから、空きが見つかったら、わっと増えることができる。そのような動物は、たくさん産んで、たくさん死んで、明日は明日の風が吹くで、世話も余りしない。
それに対して、体重が大きくて、少産少死で、成長が遅いものは、大体、飽和環境に住んでいる。収容力がいっぱいのところにいて、変動が少なくて、増加率は低い。哺乳類はだいたいKで、霊長類、特に類人猿が強いK型だと言えると思います。でも、哺乳類の中でもばらつきは大きく、有袋類のアンテキヌスは、1年に1回しか繁殖しなくて、オスは1回繁殖で死にます。メスは都合がよかったら2年目も繁殖するんですけれども、オスは繁殖期になるとオスオス競争といろんなストレスで、毛も抜けて、目も取れ、指も折れてしまって、全滅。だから、最後の年に生きているオスを見つけることができません。ですが、一般に有袋類は、1産1子で子どもを大事に育てます。
サル類、霊長類というのは、非常に強いK型なのですね。体重が大きくなればもちろん成長が遅いし、寿命は長いしというように、ゆっくり投資をする。そうやって大きくできたものは、それから先に使うから、全部が長いのです。妊娠期間も体重の割には一番長いし、初産年齢も体重の割には一番遅いし、寿命も体重の割には一番長い。ですから、私が調査していたチンパンジーなども含めて、動物界としては最も長い時間をかけてゆっくり育てるというのがサル類なのです。
■ヒトの成長プログラム
(中略)
ヒトは、子ども、若者、老後という非常に長い期間を持っている不思議な動物です。子ども学会はここに注目しているわけです。しかし、子どもというのを取り出すだけではなくて、生活史戦略全体としての成長プログラムがどう配分されているかを考えたときに、ヒトというのは、この3点が非常に長く延びているということが特徴であると思います。
■ヒトの赤ん坊期・子ども期
赤ん坊というのは、栄養と保護とを完全に母親に頼っている時期で、この時期は哺乳類のお母さんたちはみな大変です。ただ、人類学的、進化生物学的に見て、ヒトの赤ちゃんがすごく変わっているのは、ものすごく体脂肪が多い点です。
(中略)
子どもというのは、栄養、移動に関しては自立しているが、心理的保護面においては母親に頼っているというのが、動物での「子ども」の定義です。ニホンザルもチンパンジーも、離乳さえ終われば自立します。1人で動くし、1人で群れの移動についていくし、1人で巣をつくって寝るし、1人で全部食べますから、母親から子どもへの食料エネルギーの流入はありません。でも、まだ心理的に親がいないと嫌なので、お母さんにくっついているし、そこでお母さんが死んでしまうと、死亡率がガッと上がるという意味で、栄養、移動に関しては自立しているけれども、心理的に自立していないという意味で、子どもという言葉が使われています。それが、ニホンザルでは1~3歳、チンパンジーは5~10歳ぐらいだろうと言われているのですが、その年齢で、ヒトは全然自立していません。ヒトの子どもは、3~7歳が準備の間で、7~12歳がチャイルドフッドなどと分けたりしている人もいますけれども、とにかく離乳が終わったからといって全然終わらない。
チンパンジーは体の大きい大型類人猿で、388㏄と霊長類の中で一番大きい脳を持っていますが、大きい赤ん坊を育てるために、母親は子どもが5歳になるまで授乳しています。一方、ヒトの子ども、アフリカの狩猟採集民などの子育てを見ていると、子どもが3歳になる頃までしか授乳しません。平均で、2年10カ月ぐらいで離乳してしまうんです。人間は最終的に脳の大きさが1,200~1,400㏄になり、体重も65㎏ぐらいになるにもかかわらず、赤ん坊の離乳が2年近くも早い。これはあり得ないことです。ヒトは、赤ん坊の時期が短く、それに対してめちゃくちゃ長い子ども期というのがあるのです。本来なら、赤ん坊期というのはもっともっと長くあるはずで、そこでたくさん母乳をあげなくてはいけないのに。
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その2へ続く