2006-07-16

進化における「自然圧力」と「種間圧力」と「個間圧力」との関係構造

P6250136.jpg
さて、先日の過去ログ『もっとも強い不全を抱えた生物がもっとも進化した』→リンクでこんな事を書いたが…
>「その時点で最も適応できていない、周囲に比べて著しく立ち後れた生物ほど次の次元の新機能を獲得することにより複雑化・高度化してきた」
>例えばこんなこと。その環境に適応している生物は基本的に表現型を変える必然性がないため、長期にわたってほとんど変化しない(古細菌、カブトガニ、シーラカンスなど)。次の段階へ進化する生物は、それまで適応できていた安住の地を追われて、新たな環境に挑戦しなくてはならなかった生物たちだった。

「逆境がきつければきついほど進化するんだ」というのは、厳密に考えていくと語弊がある(これは事実に反する。言い過ぎ^^;)。
つまり“最も適応できていない”んだったら生き残れないやん。死んでまうやんけ。とツッコまれると「その通りです」というしかない。
当然、死んでしまったら(絶滅してしまったら)「進化」もへったくれもない。

リンクこの過去ログの人類もそうだが、ギリギリのところで絶滅を免れて生き残っている、という前提でなくては話にならない。
強烈な逆境の中でもかろうじて命をつないで、その結果壁を乗り越えたら、気付いた時にはいつのまにやら「進化」していた…ということだろう。
物理的な外圧の極端な変化(極端な例だが、今すぐ平均気温が30度上がったり、酸素が大気の2%になったり、水が全部凍りになっちゃったり)があったら、ほとんどの脊椎動物は死滅してしまう。
>例えば、古生代と中生代の間の「PT大量絶滅」、中生代と新生代の「KT絶滅」などですリンク 阪本氏)
このようにして、過去にも何度かの大量絶滅が起こってきた。
※画像の出典はここから↓
リンク
強力すぎる自然外圧は、生物の種を大胆にバッサリと削っていく。そんな中では、種は多様化・適応放散するどころか、どんどん絞られていく。
1.もし、その中でかろうじて生き残ることができれば、その自然外圧に対応して適応的な生物種が優勢になり、獲得した本能でもっとも生きやすいニッチを占める。
2.そこで種が多様化してきて、新たにできた種の間での生き残り闘争が始まる。「自然外圧」には適応できてるということが前提で、もっぱら、種間の闘争に有利な機能をいかに獲得できるかという競争になる。
他の様々な生物種の関係性の中でうまいことニッチを獲得しえた生物群はそこに居座れるが、その群の生物が生きられる物理的環境を追われる生物群も出てくるだろう。
前者は、何億年何百万年と形態を変えない生物(古細菌、カブトガニ、シーラカンス、ゴキブリさんなど)で、後者は、変化し複雑化し続けてきた生物群(真核生物さらに哺乳類~サルそして人類に至る系譜)である。
3.で、種間闘争において安定したニッチを獲得できた状態では、その生物種内の個体間闘争(もっぱら性闘争)が圧力として認識されるようになる
この、外圧の“次元”“段階”というものを考えて初めて、生物の適応原理や進化が構造化できるのではないかと思うのである。

簡単に言うと…
*「自然外圧」に適応できていなければ、「種間闘争」どころではない。
*「種間闘争」において生物学的ニッチを押えていないと、「個間闘争(性闘争)」どころではない。

(よーするにメシも食えてないのに戦争どころではない^^;)
っと言ったところだろうか(これまた厳密に言うと、生物はこれら全ての外圧に同時に適応していないと生きられないので、あえて概念区分したとしたら生物にとっての優先順位は上記のように認識されるだろう…、という意味で捉えてください)。
上記を整理するうえで、非常に参考になる投稿があるので一番下に紹介しておく。ぜひ読んでみてほしい。
その前にぜひ、ランキングリンクにとんで!よろしく~^^;)
       ↓

☆人気blogランキングへ☆
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=3996
『外圧適応態』(吉国幹雄氏)より
                 ↓

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "進化における「自然圧力」と「種間圧力」と「個間圧力」との関係構造"

List    投稿者 staff | 2006-07-16 | Posted in ①進化・適応の原理No Comments » 
2006-07-14

人類の祖先のほとんどは死滅していた(人類の拡散状況)

toba.jpg
※↑画像はトバ湖(インドネシア)の世界最大のカルデラ
さて、この間続けてきた人類の進化について、最近知ったサイトからの気付きを…。
ここ、ウィキペディアを見ると
リンク
ヒト亜科で6属、ヒト属だけだも9種の人類の亜種の化石が見つかっているけど、現存している人類は私たちホモ・サピエンスの一種のみ
これら人類の亜種の中には、ジャワ原人のようにアフリカを出て遠くまで広まった種もいたようだが、ホモ・サピエンス以外の亜種は一人残らず死に絶えてしまったようだ。
人類の祖先が、いかに大きな、想像を絶するような厳しい自然外圧にさらされて生きていたかが分かる。
記憶ではたしか百数十万年前にホモ・エレクトゥスの系統がアジアまで広がったけど、絶滅
そのあと50万年くらい前から、ホモ・ハイデルベルゲンシスの系統がアジアやヨーロッパに進出するも、これまた絶滅(細い糸でホモ・サピエンスに繋がってる可能性は残るけど…)。
またそのあとに、ホモ・ネアンデルターレンシスの系統がヨーロッパに進出→またしても絶滅
そして我らがご先祖様ホモ・サピエンスの系統がアフリカを出てヨーロッパやアジアを経由して全世界に広がっていくことになってたはず(←定説によるとだが)。
“Jurney of Mankind”
リンク

↑このサイトはなかなかすごい。必見!
14万年前以降の人類の拡散を時代を追ってアニメーションで見れる。
これを見ると…

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "人類の祖先のほとんどは死滅していた(人類の拡散状況)"

List    投稿者 staff | 2006-07-14 | Posted in 4)サルから人類へ…No Comments » 
2006-07-10

BBC製作エイプマン<第4回>「狩りと分業の開始」

aborijini.jpg
さてさて、引き続きBBC製作のエイプマン<第4回>についてまとめてみる。
今回は、「狩りと分業の開始」がいつだったかを化石資料から探る
これまでは、弓矢の発明がだいたい今から1万数千年前だったことから、その1万数千年前くらいまでは、他の動物より圧倒的に弱い人類は穴倉に隠れて暮らしていたのだろうと考えていたのだが、30万年というかなり前から、結構な道具を作って野獣たちと張り合ってたのではないか?という仮説が出てきている。
そのへんに注目してみておくれ。
      ↓

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "BBC製作エイプマン<第4回>「狩りと分業の開始」"

List    投稿者 staff | 2006-07-10 | Posted in 4)サルから人類へ…No Comments » 
2006-07-06

エイプマン第三回 人類の脳の発達はかなり後

apeman.jpg
引き続き、淡々と前回の「エイプマン」の第三回のレポートをしたい。
内容はおもしろいのだけど、途中に入る大げさな音楽と想像映像はやめてほしいな…。もっと淡々と事実を繫ぐだけにして欲しい(ドラマ性アップのためかもしれないが、映像イメージで変な固定観念を増幅させようという意図が感じられてよろしくない)。
ではここから<第3回>「変わり始めた身体」
インドネシアのジャワ島はユンガワン河のほとりで、1891年、ユージン・デュボアによって人類の祖先の化石が発見された。
身体は人、頭は類人猿に近かった。彼は、「この化石こそがミッシングリンクを埋めるものだ」という仮説を発表した。
しかし当時のほとんどの科学者は彼の説を無視した。
「人類の祖先は頭が大きいはずだ」と学者たちは期待していたので、頭が小さかったその化石は人類の祖先のはずがない、と考えられたのである。
それが、150万年前に生きていた人類の祖先=原人 ピテカントロプス・エレクトゥスの化石だ。
この化石は、おそらくアフリカで暮らしていたホモ・エレクトゥスの子孫で、獲物を追ってアジアまで移動したのだろうと考えられている。つまり、アフリカを出てジャワ島まで広がっていった初めての人類の祖先ということだ。
次に、人類学者として著名なリチャード・リーキー博士が登場。
彼は、化石ハンターのK.キメウ(ルイス・リーキーの元助手)を中心として発掘チームを結成。アフリカはケニアのツルカナ湖において発掘調査が始まった。しかし、1ヶ月の調査でも何も見つからず。
トゥルカナ湖に流れ込む干上がったナリオコトメ川でやっと150万年前の人類の祖先の化石が発見される。
ホモ・エレクトゥスの若い男性のものと推測された。頭蓋骨だけでなく全身骨格が出土し、この化石は「ナリオコトメボーイ」と名づけられる。
化石の特徴:額の部分が狭くて、目の上はすぐ頭頂部に繋がっている。
        歯 12歳ほどの少年。歯から全身に菌が広がった?敗血症?
        左目のすぐ上の部分=ブローカー領(言語機能を担う領域)の頭蓋骨にくぼみ
        もしかしたら言葉を話すことができたかもしれない?
        脊柱側湾の症状。類人猿はこの病気にはかからない。
        骨が丈夫(スポーツ選手でもここまではいかない)。
        彼は死んだ時まだ成長途中で、もし成人するまで生きていたら、
        身長180センチを超えていただろう。今の人類より大きく力が強い。
リーキー博士の発掘調査隊の一員だったウォーカー博士の談話。
>脊椎骨の中心の穴が非常に細いのはなぜ?と疑問に思った。
人類の脊椎の穴は神経が多いので太い。しかし、発掘された脊椎骨の穴は極めて小さかった。
サリーローハンプトン大学アンナ・マクラーノン博士は…
>呼吸のコントロールをする神経組織が通るには脊椎骨の穴が小さく、言葉を話すために十分な神経が通っていたとは考えにくい。
>おそらく、チンパンジー程度のコミュニケーションしかできなかったのであろう。

ウォーカー博士は、当時は、ブローカー領域の発達を根拠に「言語をしゃべれたのではないか?」と考えたが、それは否定され、ツルカナボーイは言葉はおそらく話すことができなかったと推測された。
身体の大きさから考えて脳の大きさが著しく小さい(一般動物の基準値くらいしかない)。
言わば、脳容積を基準とすると「1歳の赤ん坊の脳を持った大人」という感じ。
150万年前の人類の祖先の脳は、まだそれほど発達していなかったということが推測された。
>もし仮にその生物(ツルカナボーイ)に出くわしたとしても、獣に出会ったような感覚を覚えるだろう。意思の疎通はほとんどできないと考えられる。(ウォーカー博士)
人類の祖先は、420万年前からずっと二足歩行していたのにもかかわらず、150万年前まで脳は未発達のままだった。
ダーウィンの「二足歩行によって手で道具が使えるようになったので脳が進化した」という仮説は成立しないことが分かった。
第三回のレポートは、以上。
(たぶん分かりにくいと思うので、いずれもうちょっと整理して投稿しなおそうと思います)
このブログを読んでいただいて、応援してもいいかな~と思った方、
ぜひ、下のリンクにとんでください!よろしく~^^;)
       ↓

☆人気blogランキングへ☆
FC2 Blog Ranking

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "エイプマン第三回 人類の脳の発達はかなり後"

List    投稿者 staff | 2006-07-06 | Posted in 4)サルから人類へ…1 Comment » 
2006-07-05

人類の黎明期(BBC製作の“ape・man adventures in human evolution”より)

chinpanzee.jpg
人類の起源や歩みについて現在有力とされている説を、様々な化石資料や研究から紹介するおもしろい番組を見たので、紹介したい。
BS朝日で放映していたBBC製作の番組、BBC地球伝説「エイプマン」“ape・man adventures in human evolution”。7月6日、7日にも20時から再放送をするみたいなので、映る方で興味ある人はぜひ見てみてください(詳細→http://www.bs-asahi.co.jp/bbc/bbc_01.html)。
私が見たのは第二回から。まずは私自身の見解は横に置いておいて、番組に紹介されていた事実や説をそのままご紹介する。
>アフリカ各地で出土した猿人の化石を様々な角度から検証し、その姿形や生態、さらに進化のメカニズムを明らかにしていく。猿人は類人猿とヒトの中間段階と言われるが、2本足で歩行していた点を除けば、その実態は類人猿に近い。体も小さく、捕食動物の脅威にさらされていた猿人が、過酷な生存競争に勝ち残り、我々の祖先となり得たのはなぜか? 類人猿からヒトへと進化の道が開かれた過程を探る。
アウストラロピテクスの発見の回想シーン。
アウストラロピテクスは、アフリカのカラハリ砂漠南部の石灰岩の採掘場(タウング)で発見された。爆薬で吹き上げられた物の中に動物の骨の化石が含まれており。当時ヨハネスブルグにいたレイモンド・ダート教授のもとに運ばれた。
教授の分析により、この骨が現存するチンパンジーとも人類とも異なるものであることが明らかになる。犬歯はチンパンジーより小さい。類人猿は背骨とは斜めに頭を支えているのだが、その化石では背骨の真上に頭蓋骨があった。これは人類の骨格の特徴。
しかし、人類と比べると脳のサイズがはるかに小さい。ダート教授は、これを猿から人類への進化段階の途中の化石と結論した。アウストラロピテクス・アフリカヌスの発見である。
レイモンド・ダート教授は、骨格や周囲にあった他の動物の化石から、「キラーエイプ説」(“殺し屋のサル”説)と呼ばれる次のような仮説を立てた。
周りにあった動物の化石は、頭蓋骨が多かった。ヒヒなどを襲って生肉を食らっていたのだろう、と彼は考え、狩り→道具の発達→脳の発達が進化の牽引力だったと結論した。獣など外敵に対応するために武器を作ったことが人類への進化の始まりという説である。
しかし、その後、その説には多くの矛盾があることがわかってくる。
南アフリカのマカバンスガットで現在は既に絶滅したハイエナやキリンの骨が大量に発見された。それらは、故意に傷つけられたり折られたりしていたと考えられる跡があった。トバイアス教授らによって、同じ場所で人類の祖先の化石も発見された(骨盤の形状が人類に近く、二本足で歩いていたと思われる化石だった)。
ダート教授は、その時代の人類が武器を作るために動物の骨を加工していたのだという仮説を立てたが、トバイアス教授は異なる見解を持っていた。
その後、エチオピアのハダール山脈で300万年以上前の完全な猿人の骨格(ルーシーと名づけられる)が発見される。 身長1メートルちょっととかなり小柄で、人類と異なり指がまがっている(日常的に何かにつかまる生活をしていたらしい)。住んでいたのは、樹や岩の上だっただろうと推測された。もうひとつの特徴として、腸の容積が非常に大きい。←植物を主食としていたため長い腸が必要だった。つまり、骨格から見ても食性から見ても、類人猿とほとんど変わらない生活をしていたと考えられた。
これらの発見から、トバイアス教授は、ダート教授の「キラーエイプ説」は誤りではないかと考えるようになる。
動物の化石には頭蓋骨ばかりが多い。肉食動物は頭蓋骨を食べ残す傾向がある。そして、マカバンスガットの同じ洞窟から発見された、化石化した豹の下あごと猿人の子供の頭蓋骨の化石にあいた穴が一致した。それが、人類の祖先が獲物を狩る側=「捕食者」ではなく、獣に襲われる側だったことの間接的な証拠となる。
この説が発表された時、多くの学者が、これほどか弱い祖先がどうやって生き残ったのかを不思議に思った。この化石は「華奢な猿人」と名づけられた。
さらに、同時代の地層から異なるタイプの猿人の化石が発見される(ロブストス猿人。参考:http://www1.ocn.ne.jp/~kawamako/mitinori.htm)。頭蓋骨のてっぺんに盛り上がりがあり、奥歯と顎が非常に発達していた。体格も頑丈な猿人。「頑丈な猿人」と名づけられる。
K.リード教授は、マカバンスガットの洞窟へ再調査にでかける。洞窟からは、300万年前に絶滅したレイヨウの折れた骨が多数発見される。現在はサバンナであるマカバンスガットは当時は森だった。300万年前に起こった急激な乾燥化で森が喪失しサバンナ化したと考えられている。
猿人に残された選択肢は二つ。
新しい環境に適応するか、それとも絶滅するか…
頑丈な猿人(ロブストス猿人)は植物の根を主食としていた。
NY州立大学では、液体ゴムで脳のレプリカをとった結果を比較することにより、現代人は、「頑丈な猿人」ではなく「華奢な猿人」を起源とするという仮説を立てた。
以後「華奢な猿人」の研究が進む。
T.ロイ博士は、石の破片をつぶさに研究。石に当時の動物の毛や肉が付着しているのを見つけ、当時の人類の祖先は石を使って動物の死体を切ったり骨を折ったりしていたと考えた。
ラトガーズ大学のロバート・ブルーマンシャイン教授によって、タンザニアのオルドバイ渓谷で大量の動物の骨が多数発見される。それらの動物たちの骨には、肉食動物の歯型もあったが、その他にも骨の表面に小さな傷跡が存在した。ブルーマンシャイン教授は、「華奢な人類」が、レイヨウなどの動物の骨を、石をハンマーのように使って砕いていたと考えた。中につまった骨髄を食べていたのであろう。彼らは、道具を使用していたのである。
「華奢な猿人」は当時から肉食を始めていた。すると、植物食の種よりも腸が短くなる。消化のエネルギー効率が良くなる。これらの変化によって、食べ物の消化に使われていたエネルギーが脳にまわり、脳が発達したのだという仮説を立てた。
樹の少ないサバンナでは、昼間に動物の死体を見つけるのは困難。肉食動物に見つかって襲われる危険性が高い。しかも、肉食動物の食べ残しを、さらにハイエナが群れでやってきて残らず食べつくしてしまう。
「華奢な人類」は、そのハイエナの食べ残し、つまり頭蓋骨に囲まれてハイエナも手がつけられない脳と、骨を割って骨髄を食べていたのではないかと推測された。
石器の発明→道具を作れる猿人だけが生き残った。さらに大脳の発達。知能が高まる。たくさんの肉が手に入る。→ますます脳が発達。というスパイラルが起こったと考えられる。
これで、人類に向けての進化の土壌が整ったのだ、と番組では結論付けていた。
以上、第二回はそんな内容だった。
※画像は海外のサイトから拾ったチンパンジーの足の裏^^;)
このブログを読んでいただいて、応援してもいいかな~と思った方、
ぜひ、下のリンクにとんでください!よろしく~^^;)
       ↓

☆人気blogランキングへ☆
FC2 Blog Ranking

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "人類の黎明期(BBC製作の“ape・man adventures in human evolution”より)"

List    投稿者 staff | 2006-07-05 | Posted in 未分類 | No Comments » 
2006-07-04

もっとも強い不全を抱えた生物がもっとも進化(新しい機能を獲得)した

sakura.jpg
昨年放映されていたNHKスペシャル『地球大進化 46億年 人類への旅』http://www.nhk-book.co.jp/magazine/special/index_earth.htmlは、我々の「ご先祖様」の進化の歩みを追っていく番組。この番組を見て、強く印象に残ったことがある。
それは、この投稿の題にあるとおり「その時点で最も適応できていない、周囲に比べて著しく立ち後れた生物ほど次の次元の新機能を獲得することにより複雑化・高度化してきた」という事実だ。
例えばこんなこと。

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "もっとも強い不全を抱えた生物がもっとも進化(新しい機能を獲得)した"

List    投稿者 staff | 2006-07-04 | Posted in ①進化・適応の原理No Comments » 
2006-06-19

『生命と場所』より…生命観

life%26position.jpg
知人に勧められた本=『生命と場所』(NTT出版:清水博著 1992)の序文に、とても共感したので、紹介したい。
004Pより
>新しい時代はまだ完全にその姿をあらわしていないが、地球規模の大きな変革期の今ほど、変化をリードする哲学や思想が必要とされるときはないであろう。その哲学や思想が、生命、さらにいえば「生きているシステム」の深い把握を基盤にして成立するものであることには疑問の余地がない。考えてもみよう。われわれの生命ばかりでなく、そのなかでわれわれの生命を存続させている環境の生命が、かつてこのような危機に直面したことはなかった。この危機の深刻さは、単に量的なものだけでなく、生命の多様性の消滅という不可逆な変化からきている。この危機はまちがいなく、われわれ人間の生きているシステムに関する根本的な誤解と、その上に立った欲望に発している
>近代がデカルトの「われ惟う故にわれあり」から始まったとすれば、新しい時代は、けっして閉じたものではない人間の生命を深くとらえ、己の姿を再発見することから出発するであろう。
005Pより
新しい時代の人間像は自他非分離な自己把握によるものでなければならないのだ。その意味では、われわれはまだ人間を発見していないが、同様にさまざまな組織、社会、国家、国際社会などの人間のシステムにも、自他非分離の形で生きていけるシステムに変貌させることを考えていかなければ、環境との調和はありえない。そのためにはまず生きているシステムの本質とは何かを知ることであろう。
さらに、312Pより
>精緻につくられ、理論として完結しているかのように見える近代科学の理論も、実際に適用してみようと思うとさまざまな穴があいているというのが、このごろの私の感慨である。ことに観察や問題の対象と、観察者や問題の回答者のあいだは、ほんとうは分けることができないのに、近代科学の理論では、これを分離可能なものとしてとりあつかっている。その影響を考えていくことが、近代の諸矛盾をのりこえる科学への入り口となる。
引用が長くなってしまったが、この文章を読むと、既存の思想体系としての「科学」は一つのパラダイムに過ぎず、そのパラダイムは行き詰まりを迎えているのだということにあらためて気付かされる。
既存のパラダイムにしがみつき権威を維持しようとする学者と、パラダイム転換の必要を強く感じる学者や人々の間の認識の差を埋めるのは大変だ。現在の科学にしても、旧い時代のパラダイムや現在の学界の権威に基づく認識バイアスがかかった結果存在している。旧いパラダイムから新しいパラダイムへの転換期として現在の「科学」を俯瞰する視点も重要かもしれない。
デカルト以来の“近代思想”の影響を色濃く受けた、“人間”および“観察主体”(自我)に絶対的価値を置く近代科学から、対象世界と同化した「自他非分離」の新しい世界の捉え方へと脱皮しない限り、「科学」は人類と世界を滅亡に導く道具になってしまう、ということを筆者の清水氏は危惧しているのではないだろうか。
人類も生物の一種(生命の原理は人類にも適用される)であり、しかも“近代自我”という人間が勝手に作り出した幻想が、対象世界を客観的に把握などできるはずがないということはもはや自明であり、この旧いパラダイムから抜け出した新しい対象世界把握・生命把握が必要だと思う。しかし、21世紀になって数年経つ今になっても、そういう可能性のありそうな思想や哲学や科学が一向に現れてこないのはなぜなのだろうか。
近代思想(人間第一主義や主体としての自我の肯定)という非科学的な(まるで根拠の無い)固定観念の縛りは、「科学」に思ったよりも深刻な影響を与えているのかもしれない。
このブログを読んでいただいて、応援してもいいかな~と思った方、
ぜひ、下のリンクにとんでください!よろしく~^^;)
       ↓

☆人気blogランキングへ☆
FC2 Blog Ranking

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "『生命と場所』より…生命観"

List    投稿者 staff | 2006-06-19 | Posted in 未分類 | 1 Comment » 
2006-06-07

「脳は他者の怒りや恐怖を無視できない」

douitusi.jpg
今日は、ワーヤード・ニュースから^^)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20050127303.html
>怒った声を聞くと、脳の中で音声認識に関連する部分である上側頭溝の働きが活発になることがわかった。
>被験者に対して、一方の耳から聞こえてくる怒鳴り声は無視し、もう一方から聞こえる普通の声に意識を集中するよう指示した時でさえ、fMRIの映像では上側頭溝が活発に働いていた。
>脳は重要な情報を含む可能性がある感覚信号を優先し、他のことに没頭していた心にも、その信号を伝えているということになる。

めっちゃ心当たりありますね~。
職場で誰かが怒られていたり、不機嫌な感じの人がいたりすると、思わずなんかギクっとしたりいやな空気になったりしちゃう。
後ろ向きの人が一人でもいると、周りみんなの気が重く沈んでしまう。
人間の同化能力のすごさを物語ってる現象ですね。
自分のことしか意識に無く、平気で不機嫌になったり、ヤル気なくダルそうにしている人は、それが周りの活力をいかに下げているのかを認識した方がいいですね(自戒もこめて^^;)。
自分へこだわりを捨てて、周り人の脳を元気にする人になりたいものです。
応援してくれる方、ぜひ押してくれろ~^^;)
      ↓

☆人気blogランキングへ☆
FC2 Blog Ranking

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "「脳は他者の怒りや恐怖を無視できない」"

List    投稿者 staff | 2006-06-07 | Posted in ④脳と適応No Comments » 
2006-06-05

細胞内での連続共生説(初稿)

(初稿)2008.07.30
科学者が、論理整合性を堅持するために書く論文に比して、一般の素人向けの書籍は、著者の肩の力が抜けた分、その人となりが見えてきて、面白いことがあります。例えば、福岡 伸一著の「生物と無生物のあいだ」などは、(顔写真とは似つかわしくもない?)美文に読み耽ってしまったりもします(爆)。
同様に、リン・マーギュリス女史の「共生生命体の30億年」の出だし部分も、文章から垣間見れる私生活場面ではオマセで一途で悩み多い出会いと結婚や、息子との自説をめぐる応答の中に、人物像と研究者としての原点が見えてきて、ちょと好感が持てたりします(笑)。でも読み進むと、やっぱり奥付の写真のように、顔は微笑んでいるけど腕を組んで攻撃的ないかり肩が見えてきたりもします(爆)。
一般に認知されつつある共生説との違いや、自説に都合の良い概念や状況証拠(?)が展開されていますので、その内容を紹介したいと思います。
■1世紀を経て、その検証の時期を迎えた、という「共生説」
—————————————-
◆共生:1873年/アントン・ド=バリは、「異なる名称をもつ生物が一緒に暮らすこと」と定義した。
—————————————-
◆共生発生:ロシアのコンスタンティン・メレシコフスキー(1855~1921)が提唱した概念。
(*共存が長期にわたると、場合によっては、新しい体や器官や種が出現するという共生発生が起こる、というもの。)
—————————————-

ということですから、まさしく、100年以上を経て検証の時期にあるといえるでしょう。
■連続細胞内共生(SET)説:リン・マーギュリス
「連続」という言葉は、一運の合体に順序があることを指しており、「共生発生が真核細胞の起源である」というマーギュリスの説は、四つの過程があります。そして、その四つにはすベて細菌が関係する、といいます。その慨念のあらましとは、
====================
◆発酵性「古細菌」と呼ばれ、硫黄と熱を好むタイプの細菌が、遊走性の細菌と一緒になり、一体化して、動植物や菌類の細胞の祖先細胞の基本となる核を含む細胞質を構成した。この原初の遊走性プロチスト[狭義の原生生物で、多くは単細胞]は嫌気性である。
◆有糸分裂をするようになった遊走性のプロチストに別のタイプの自由生活微生物である酸素呼吸細菌が組み込まれた。この酸素呼吸性の三者(好熱好酸菌、遊走性細菌、酸素呼吸細菌)の複合体は、微粒子状の食物をのみこめるようになったので、大きくて複雑な細胞が生まれた。〔約20億年前:遊走能と酸素呼吸能をもつ真核細胞の登場〕
 この第二の合併体、すなわち酸素呼吸能を獲得した遊走性の嫌気性菌は、三つの構成要素をもち、大気中に蓄積した酸素に対処できる細胞になった。小さな遊走性細菌と耐酸性や耐熱性の嫌気性菌と酸素呼吸細菌の三つからできたこの細胞から、数々の動植物が生まれることになる。
◆複合細胞が生まれた一連の合体の終わりに、真核細胞のうちのあるものが緑色の光合成細菌をのみこみ、消化しそこなって(=細胞内での闘いのすえに)体内に残した緑色細菌は葉緑体になった。つまり、日光を好み光合成ができる緑色細菌が第四のパートナーとして完全に一体化した。
この最後の合体で生まれた遊走性の緑藻が、今日の植物の祖先である。
真核細胞の細胞質にある遺伝子は「裸の遺伝子」ではなく、細菌の遺伝子に由来するという考えで、細胞の基本となる細胞質は核も含めて嫌気性細菌の子孫だとする。
====================

マーギュリスは、連続細胞内共生説(SET)が主張する四つのうちの三つまでを同定できる、としています。つまり、
◆ステップ1):細胞の基本となる細胞質は核も含めて嫌気性細菌のものであり、
         とくにタンパク質をつくる代謝の大半は、好熱好酸性細菌に由来する。
◆ステップ2):『?』
◆ステップ3):真核細胞内で酸素呼吸をするミトコンドリアは、「紅色細菌」あるいは
         「プロテオバクテリア」と呼ばれている細菌が共生したものだ。
◆ステップ4):葉緑体その他の色素体は、かつては光合成シアノバクテリアだった。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 科学ブログへ
==========
争点は、「ステップ2)」ですが、生物学者一般は内因説を支持しているようです。
====================
◆内因説あるいは直接派生説:1970年代前半
 ブリティッシュ・コロンビア大学 マックス・テイラー
                     トム・カヴァリアースミス 
真核細胞の起源について、直接派生説では三種類のオルガネラ(ミトコンドリア、繊毛、色素体)は核から「摘み取られた」DNAから生じたもので、外来の細菌由来ではないという見解。
====================

直接派生はマックスが理論として考え出したものだそうですが、生物学者一般の暗黙の前提となっている分化による進化という概念と一致している、というものです。
しかし、マーギュリスは、「繊毛、精子の尾、感覚突起、そのほか数多くの真核細胞の付属物が、嫌気性菌と遊走性細菌との融合から生じた。」との視点に立ちます。

> 中心小体/キネトソームになった外来者には、いまも自由生活をしている親戚がいる。細菌の一種、スピロヘータである。スピロヘー夕の祖先であるくねくね動く乱暴者たちは、空腹のあまり死にものぐるいで多くの古細菌につっこんでいった。侵入された古細菌のなかには、今日のサーモプラズマに似たものもあった。侵入のあとに停戦がきた。私はスピロヘータと古細菌が合体した状態で生き残り、最古の真核細胞が生まれたのだと思う。【中略】
> そこで何が起こったか。つねに乾燥や食物不足や有害物などの潜在的な災難にさらされている外に比べれば、細胞内環境は水分と栄養分に恵まれたところだ。古細菌の細胞膜という障壁を突き破ったスピロヘータ(あるいはそのほかの遊泳性の細菌)は、常にエネルギーと食物を享受できることになった。
> 襲撃したものとされたものの増殖のしかたはしだいに関連してきた。生息の拠点となる元の細胞を制圧してしまったのでは、襲撃者も長くは生き延びられない。襲撃者は共生体となり、時の経過とともにオルガネラとなったのである。合体のあと新しい生き残りの策略が生まれたのだ。
> 私は、くねくねと動く酸素に弱い細菌が食物を求めて古細菌を襲い、侵入していった場面を心に描く。動く細菌にすみつかれた古細菌は、そのおかげで速く動けるようになった。真核細胞は、「染色体のダンス」と呼ばれる有糸分裂をするが、これこそスピロヘータのたえまない動きに由来する。


と展開すします。このあたりの内容は、2008年06月22日のなんでや劇場91「生物史から学ぶ自然の摂理⑪ 生命の基幹システムを探る~タンパク質の多様なはたらき~」でも取り上げられました。
マーギュリスは、最初はスピロヘータが古細菌に付着するための構造をつくったのだが、その付着部が、スピロヘータと古細菌の「共生発生的な統合の結果、今日の中心小体/キネトソームになったのだ」、と捉えています。それゆえに、マーギュリスらは普通の生物や細胞小器官にはあまり見られずスピロヘー夕や繊毛にだけ共通して存在する核酸やクンパク質を探している、といいます。
====================
◆エネギュイ=レンホセック説:1898年/L・F・エネギュイ
                   ミハリー・フォン・レンホセック
彼らが、動物細胞の中心小体とキネトソームか同じものであることに気づき、有糸分裂のあと中心体が極から移勣してキネトソームになるという考えを提示した。この説は彼らの死後に、電子顕微鏡の所見によって証明された。
→マーギュリスが「中心小体/キネトソーム」
 という二重の名称を使うきっかけになった。
====================

キネトソーム(Kinetosome)
オクスフォード大学のデイヴィッド・C・スミスは、真核細胞内に存在する、スピロヘー夕共生体の名残と思われるものを「この微生物は徐々に自分の部分を失い、ゆっくりと背景に溶けこんでいったが、遺物がもとの姿をしのばせる」と表現したそうです。なにやら、三木成夫氏が「ヒトのからだ――生物史的考察」の中で、

> これにくらべて、個体発生ではすべての過程が連続的に追求できるという利点があり、しかも“個体発生は、宗族発生をくり返す(ヘッケル)”という先人の言葉にもあるように、てっとり早く、生物分化の歴史がながめられるがのごとくである。
> しかし実際にそこに再現されるものは、宗族発生の歴史そのものではなく、いわば歴史の“おもかげ”であって、しかも、このつかみどころのないものが走馬灯のごとくに過ぎ去るのである。


と述べていることを彷彿とさせるではありませんか! それはまた、

>歴史的に形成されてきた存在は(=進化を重ねてきた存在は)、生物集団であれ人間集団であれ、全て始原実現体の上に次々と新実現体が積み重ねられた、進化積層体(or 塗り重ね構造体)である。 (リンク

とも、さらにオーバーラップしてきます。摂理を極め透徹した洞察力に富む賢人たちの潜在思念には、それぞれに通ずるものがあるということでしょうか?
—————————————-
精子の尾や、繊毛虫の繊毛、女性の卵管細胞、喉にある繊毛、有糸分裂のときに染色体を引っ張る微小管も、輪切りにすると独特の同じ構造(=九組の微小管からなる)をしているのは確からしいです。状況証拠はあるのですが、運動系の蛋白質の起源としてスピロヘータを特定するだけの事実の解明には至っていないと、いいます。
翻訳者である中村桂子氏が藻類の進化を調べた結果、細胞が一緒になったり、DNAがあちこち動き回ったりすることを実証したと云いますが、続けて曰く、

>少なくとも、私たちのような多細胞生物をつくる細胞が出来上がるところまでの進化は、これまで考えられていたように遺伝子に変異が起きて、その中から環境に合ったものが選択されるというイメージよりははるかにダイナミックなDNAの動きで新しい種が生まれたということは紛れもない事実と言ってよいと思う。(「訳者あとがき」より)

これらの事実関係を紡いでいけば、原生生物の「細胞内の連続共生説」には、同意できそうです。
出典:「共生生命体の30億年」リン・マーギュリス著/中村桂子=訳
関連参考サイト:原生生物の進化
      by びん

  にほんブログ村 科学ブログへ

続きを読む "細胞内での連続共生説(初稿)"

List    投稿者 ayabin | 2006-06-05 | Posted in 未分類 | 3 Comments »