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人類の聴覚はどう進化したのか?

Posted By seibutusi On 2020年3月26日 @ 9:01 PM In ⑧科学ニュースより | No Comments

会話は、受け手と話し手が音声波のやりとりを通じて、交互に立場を入れ替えること によって成り立っている。

人類の音声言語と発声器官の進化http://www.seibutsushi.net/blog/2020/03/5414.html [1] では、

人類の音声言語(会話=おしゃべり)について、発声器官(形態)の進化 を見てきました。

今回は、会話の聴き手 に着目して、人類の聴覚機能の進化 について見ていきます。

耳をひらく~グローバル時代の聴力http://www.piano.or.jp/report/04ess/livereport/2017/05/18_23015.html [2] より。

 

聴覚はどう進化したのか?

●五感による知覚の割合は、視覚8割、聴覚1割!

本来、人間は視覚優位である。五感による知覚の割合は、視覚情報が8割以上に対して、聴覚情報は1割程度である。(※以下は文献をもとにグラフ化したもの。聴覚7.0%という統計もある)

図1.2  五感による知覚の割合リンク [2]

聴覚情報は大量かつ多彩であるのに、意外なほど知覚されていない のである。我々を取り巻く社会環境も、聴覚より、視覚に多くのしかけがある ように思う。街中は広告、看板、ビジュアル映像などの視覚情報にあふれ、我々消費者に瞬時に好意的な印象を持ってもらえるよう工夫が凝らされている。刺激的に、心地よく視覚に訴えかけることで、消費者との心理的距離を縮める のである。視覚+聴覚が同時に刺激されると、さらに判断は早くなる。

しかし、視覚情報と聴覚情報にズレが生じると、聴覚情報が優位になる。つまり 時間の経過という要素が加わると、視覚情報よりも聴覚情報に耳を傾けるようになるということは聴覚を活かせば、より長期的・立体的・複層的に、物事を認識する助けになるだろう。

●聴覚のおかげで人類は進化した?

サルから進化した人類は、視覚優位の動物である。しかし人類の進化は、視覚の発達ではなく、聴覚の発達こそが寄与した ようだ。それはネアンデルタール人と、人類の祖先である現生人類との比較で説明される。両者の違いは「社会脳」といわれる前頭前野の発達であり、現生人類はここが大きく発達したために進化した。(参考:『人類進化の謎を解き明かす』ロビン・ダンバー著、鍛原多惠子訳、インターシフト、2016年)

約35万年前に出現したネアンデルタール人は、高緯度地帯に分布し、その日照時間の関係から異常に視覚が発達していた(後頭野)。しかし前頭前野は発達しておらず、発話能力はあったものの言語としては未発達だとされる。共同体の結束を強めるため、音楽(歌詞のないハミング、踊り、リズムに合わせて手を叩くなど)をする習慣があったが、音声情報は文脈として意味づけられることがなかった。集団規模が110人と比較的小さく、高度な社会活動をする必要がなかったことも一因である。それが後に絶滅を招いたとも言われる。

一方、約20万年前にアフリカ大陸に出現したホモ・サピエンス(解剖学的現生人類)は、日照時間が長いため視覚能力を肥大化させる必要がなかった。その一方で、150人規模かそれ以上の大きな集団で生活しており、集団内の社会的秩序を保つため、言語を駆使するようになった(ヒトや鳥なども、集団規模が大きくなるにつれて声や身振りによるコミュニケーションが複雑化していく)。そのため前頭前野が大きく発達し、社会的認知能力が大きく増加した。次第に言語は高度化し、物語や宗教を語り、文化や芸術を創りだすようになった。その志向意識水準は、ネアンデルタール人より高次である。

“本質的なちがいは認知にあり、私たちが頭の中で行えることにある。おかげで私たちは、文学や芸術を生み出す高等文化をつくり上げた。”(『人類進化の謎を解き明かす』p20)

さらに人間が文字を扱うまでに、何万年もの時を待たねばならない。文字がなければ、音を聴いて相手を理解しなければ成り立たない。言葉が話せるということは、聴き手がいるということ だ。したがって 言語の発達は、聴覚の発達とも密接に結びついている と考えられる。

~中略~

●「聴く」は、多様性の一歩か

では「聞こえていても、聴いていない」という状況はなぜ起こるのだろうか?

我々は日々多くのものを耳にしているが、その中から無意識的に自分が関心をもったものに焦点をあて、それが際立って聴こえるようになっていく。その関心とは、家族や友人、学校の先生であったり、様々な音楽や楽器の音、時には自然や動植物の音であったりする。それらが言語や音楽の場合には、単なる音声の連続ではなく、脳内で意味づけされていく。つまり文脈として聞くようになる。

しかし逆に自分が理解できる文脈でないと、または自分の感情や思考と異なる音情報を耳にすると、「聴かない」「聴く耳をもたない」ということも起こりうる。つまり音情報を受けとるのを止めてしまう。そう考えると、 「聴く」というのは、「音を認知して理解する」「理解したものを受け入れる」ことと密接に連動している だろう。つまり、能動性や自発性と関わりがある

音声情報は様々な経路をたどって前頭前野まで運ばれ、そこで初めて意味づけがなされる。耳をひらく というのは、この神経回路を少しずつ作っていくことなのかもしれない。意識して様々な音を聴くことが、知覚の領域を広げ、より多様性を受け入れることにも繋がる と考えられる。音楽は幅広い周波数を含んでいるので、その可能性を大きく広げてくれるのは間違いないだろう。

 

(以上)

 


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