原猿→真猿、視覚機能の進化
今日は目 の進化のお話。舞台は5300万年前。当時、地球上では気温が10~20℃も上昇し、広葉樹林が拡大して「樹冠(=枝の重なり)」が誕生していました。これは樹上生活者である猿類にとって、実に画期的な環境の変化だったのです。
それまで原猿は樹間移動する際、「樹冠」が無い為、地上に降りる必要がありました。地上移動は命がけ 。肉食哺乳類が狙っているからです 😈 。ワオキツネザル(原猿)のようなユーモラスな2足スキップ歩行 は、TV番組でもお馴染みですが、あれは、視野を高くし周囲を警戒しながら、次の樹木へと全力で地上移動する姿なのです。地上移動は危険と隣り合わせの決死行でした 。
それが、5300万年前「樹冠」が登場したことで、地上に降りずとも、枝から枝へと飛び移り移動することが出来るようになったのです。この新しい環境に適応しようと進化したのが目の構造でした。大きくは3点、新しい視覚機能をこの時に獲得し、原猿から真猿へと進化しています。
どう進化したか?気になる続きはポチっと押してからどうぞ
原猿から真猿へ:脳の進化
生物の進化は塗り重ね構造です。
その進化の特徴を最も顕著 に示しているのが、脳の進化です。
脳は、脳幹→小脳→大脳→大脳新皮質と塗り重なって進化してきました。
は虫類の脳と呼ばれる脳幹・小脳
ほ乳類の脳と呼ばれる大脳
霊長類の脳と呼ばれる大脳新皮質
図1(http://www.brain.riken.go.jp/japanese/g_braaw/g2.html#topより)
大脳は赤、小脳は黄、間脳は緑、中脳は青、延髄は茶色、嗅脳(嗅球など)はオレンジで示した。中脳と間脳、延髄を合わせて脳幹と呼ぶ。ニホンザル、チンパンジー、ヒトでは、大きく発達した大脳が間脳と中脳を覆っている。
図1より、サルの段階で、ほぼ人に近い脳に進化していますね 😮
ランキングをポチッと押して、サルの脳の詳細 へ進みましょう
真猿の分化と進化過程
これまで原猿の進化過程を追求してきましたが、波動さんの投稿で、ついに原猿→真猿への進化過程が抑えられました。今後は本格的に真猿の進化過程の追求に入っていきます。今回は、真猿の分化とその進化過程についてです。
真猿は、大きく「広鼻猿類(広鼻下目)」と「狭鼻猿類(狭鼻下目)」の2種類に分類されます。
(正確には、この2種類のどちらにも属さない種として「メガネザル科」が存在します。メガネザル は真猿(=直鼻猿亜目)でありながら、原猿(=曲鼻猿亜目)の特徴を多くもっている両者の中間的な猿です。これについては、後日詳細に追求する予定。)
「広鼻猿類(広鼻下目)」は、基本的に南米に住んでいることから「新世界猿」とも呼ばれ、クモザルやマーモセットなどがこれに属します。鼻の穴の間隔が広く、穴が外側に向いていることから”広鼻”と呼ばれます。
尻尾を5本目の手として使うクモザル(環境促進事業団HPより)
非常に小型のマーモセット科(ウィキペディアより)
これに対し、「狭鼻猿類(狭鼻下目)」は、アジア~アフリカに住んでおり、「旧世界猿」とも呼ばれます。
これには、マントヒヒや日本猿・マンドリルなどのオナガザル亜科とテングザルやハヌマンラングールなどのコロブス亜科が属しています。(まとめて「オナガザル上科」と呼ばれる)
「狭鼻猿類」のうち、人の仲間(ヒト科)・テナガザル科・オランウータン科なの大型類人猿は「ヒト上科」として、旧世界猿とは区別されます。
つまり「狭鼻猿類」は、大きく「旧世界猿(オナガザル上科)」と「ヒト上科」の2つに分類されると言うことで、私たち人類は、真猿類の「狭鼻猿類」・「ヒト上科」・「ヒト科」に属していると言うことになります。
(ヒト上科の分類は、現在様々な学説がありますが、ここでは伝統的な分類に則っています)
大型で派手なマンドリル(ウィキペディアより)
知能の発達したチンパンジー(生命の扉より)
「広鼻猿類」と「狭鼻猿類」は、サリさんの進化系統樹(11月21日記事)によると、真猿類の共通祖先「オモミス類」から始新世の終わり~漸新世の始まり3500~3000万年前前後に分かれています。
>最古の新世界ザルの化石は南米ボリビアの約2500万年前の地層から見つかっています。古生物学的な解析によると、この新世界ザル達は漸新世の頃にアフリカ大陸から大西洋を渡って南米大陸に侵入したと考えられています。当時の大西洋は現在の半分くらいの大きさで、最も狭いところでは500km程度だったと考えられていますが、それでもサル達が渡るには十分離れていたと思われます。おそらく海流に乗って島づたいに渡ってきたのでしょうが、信じられない話しです。(京都大学霊長類研究所 「霊長類の進化とその系統樹」 リンク より)
このように新世界猿は、アフリカから大西洋を渡って、南米大陸に進出し、広鼻猿と違う独自の進化を遂げたと考えられていますが、なぜ彼らは大西洋を渡る必要があったのでしょう?また、どのようにして大西洋を渡ったのでしょう?
気になる続きはポチっと押してからどうぞ
原猿→真猿へ
原猿と真猿の違いは、大きくは昆虫食から葉・果実食へ、夜行から昼行へ(、脳進化)ですが、真猿が登場した背景を探るために真猿が登場した頃の外圧状況を整理してみます
サリさんが以前作ってくれた図を改訂しました
大きな流れとしては・・・
続きを読む前にポチっとお願いします
生殖限界まで達しなかったのはなんで?
11月21日の「生き残っている原猿って?」のサリさんの投稿を読んで
マダガスカルの原猿が真猿に進化しなかった理由の
②生殖限界まで達せず、縄張闘争が激化しなかった
ってなんでだろう 🙄 と思って調べてみました。
ヤクザル物語(後編)
前編でヤクザルの(遊動域)(発達)(集団構成)について見て行きました。
このHPはサル学で有名な京都大学人類進化論研究室のHPです。
他にも野生チンパンジーの世界や嵐山のニホンザルなどの生態もありますので参考に読んでみてください。但し、この種の報告は現在のサルについての生態報告という事をお忘れなく。
人類の直径の祖先である真猿と呼ばれたサルと現在のそれも人間に保護された中で生活しているサルはかなり異なっているという事です。一番の違いは外圧状況の違いです。
人類が誕生する直前のサルの状況は寒冷化や森の減少という自然外圧も現在より高く、さらに大型肉食獣がかなり地上に闊歩していた時代です。そして何よりも食料に対して過剰なまでの同類のサルが回りにいたのです。
そんな外圧の中、木の上に群がった真猿の集団は原猿時代に獲得した同化機能を使って集団を形成し課題共認ー役割共認ー評価共認する事で闘争集団として同類同志の戦いを生き延びて進化してきたのです。
それでは以下にヤクザルの生態報告を続けます。後編は(社会関係)(繁栄)(集団間関係)です。
いつも読んでいただいてありがとう。ポチッ
ヤクザル物語(前編)
こんばんわ。ken太郎です。
真猿の中でも最も身近な日本ザルの特徴について紹介します。
まずは基礎知識!基本的なニホンザルの社会についてウィキペディアから抜粋します。
>強力な統率力をもつボスザルとそれを取巻くメス、子供を中心として、他のオスは周辺部に位置し中心部に入ることが許されないという「同心円二重構造」として群れの社会構造が説明されている。ニホンザルの社会の仕組みについては、以下のようなものと考えらている。
・群れを構成するのは成体の雄と雌、および子供と若者である。群れに入らない離れザルがあるが、これは必ず若いか成体の雄である。
・群れの個体はすべての個体間で強弱が決まっており、全体として直線的な順位制を持っている。順位が高いものに対しては尻を向け、上位者がその後ろから乗りかかるマウンティングという行動があり、これによって順位が確かめられると同時に、争いが回避される。順位が離れるほどこの行動はおこなわれなくなる。
・単なる順位制でなく、階級があって、それぞれに群れの中での位置が決まっている。
・リーダーは中央に、その周囲に雌と赤ん坊、その外に若者雄が位置する。
・リーダーは外敵から群れを守り、また、群れ内部での争いに介入して調停する。
上記を頭に入れた上でニホンザルの亜種である屋久島のヤクシマザル(通称ヤクザル)の事例報告からサルの実態を見ていきたい 🙄 と思います。
以下はニホンザルホームページ「ヤクザルの生活と社会」http://jinrui.zool.kyoto-u.ac.jp/FuscataHome/yakuzaru.htmlから抜粋しました。
(遊動域)(発達)(集団構成)(社会関係)(繁殖)(集団間関係)の5つの面から生態と分析を報告します(分析は私の独断と偏見が多少入っていますが・・・・)
いつも読んでいただいてありがとう。ポチッ
もっとも強い不全を抱えた生物がもっとも進化した(新しい機能を獲得した)。
どうも、雅無乱です。今日はNHKの科学番組の話。
一昨年放映されていたNHKスペシャル『地球大進化 46億年 人類への旅』→http://www.nhk-book.co.jp/magazine/special/index_earth.htmlは、我々の「ご先祖様」の進化の歩みを追っていく番組だった。
この番組を見て、強く印象に残ったことがある。
それは、このエントリーの題にあるとおり「その時点で最も適応できていない、周囲に比べて著しく立ち後れた生物ほど、次の次元の新機能を獲得することにより複雑化・高度化してきた」という事実だ。
例えばこんなこと…
↓続きは、これをクリックをしてからね^o^)w
  
続きを読む "もっとも強い不全を抱えた生物がもっとも進化した(新しい機能を獲得した)。"
「イヌとネコの別れ道」~ネコ編
こんにちは
「イヌとネコの別れ道」tanakaさんの記事を読んで、
イヌとネコのご先祖様が同じだったことを知り、へぇ~~~ って思いました
イヌ派の人とネコ派の人ってよく意見を対立させてるけど、もとは同じ動物だったんですね
ちなみに私はネコ派です (笑)
小さいころから、ネタ郎、ネタ次郎、ネタ三郎・・・ペルシャ猫を3匹飼っていました
>ネコが家畜化されたのは4000~8000年前のエジプトで、リビアヤマネコが全ての飼い猫の祖先だと考えられています。この頃、人間は初めて農耕=麦の栽培を開始しましたが、人々の頭を悩ませたのが、収穫した麦の倉庫に忍び込むネズミの被害。そこで一計、人様の麦には目もくれず、ネズミを追いかけてくれるネコを飼い始めたのが始まりだそうな。
イヌは防衛 などのために家畜化されたと思っていたけれど、
ネコが家畜化されるようになったのにもちゃんと理由があったんだぁ~
「ネズミ退治のためにネコを飼い始めた」 なるほど~
しかし、イヌやヤギ等に比べるとネコの家畜としての歴史は浅く、
イヌのように目的を持って繁殖を進められなかったので、種類・毛・色・体格などの多様化は見られず、イヌは約300品種あるのに対しネコは約50品種らしいです
2003年の調査によると、日本では約809万頭のネコが飼育されているみたいですよ
ペットとしてネコを飼っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか
というわけで、 ネコの家畜化 について、もう少し詳しく調べてみました
「イヌとネコの別れ道」~番外編 と思って読んでいただけたら幸いです
ネコ好き な人も、そうじゃない人もクリックしてくださぁ~い
本能を超えた新しい機能(共感機能)の獲得②
~共感機能を獲得するまでの経緯~
縄張り争いに負けた猿は、当然一匹ではなく、縄張り境界線上に何匹か存在しています。
それら縄張りを持たない敗者たちが、互いに身を寄せ合うようになってくるのです。 (依存収束)
<獄谷温泉の猿>
注:写真の猿は縄張り争いに負けた猿ではありませんが、一箇所に集まって身を寄せ合う習性をもつ猿の事例としてUPしています。
お互い共通の不全課題を抱えて依存収束した負け猿たちは、依存し合う中から、「どうする?」⇒「どうにかならないか?」と可能性を相手に求め、互いに相手に期待収束してゆきます。
依存収束⇒期待収束し、互いに相手を『注視』し続ける内に、遂に相手も同じく依存し期待している事を発見し(探り当て)、互いに相手の課題=期待を自己の課題=期待と同一視して理解し合うに至ります。
自分以外は全て敵で、かつ怯え切っていた原猿弱者にとって、「相手も同じく自分に依存し、期待しているんだ」という事を共有できた意味はとてつもなく大きく、相手に深い安心感を与え、互いの不全感をかなり和らげることが出来ました。
この辺の感覚は、現代人である私達も実感できるところだと思います (同じ境遇の人を見たり、話しをするだけで、ちょっと安心する 🙂 って感覚ですね。)
次に進む前にポッチっとお願いします。