2018-04-03

自然界における細菌は“生きているが培養できない”のが常態

01baiyo
画像はこちらからお借りしました。

近代医学においては、感染症の疑いがある患者に対しては、検査で細菌を採取して、「培養して同定する」という手順をとるのが“常識”である。
これは近代細菌学の祖とされるパスツールの時代から脈々と受け継がれてきた“常識”だが、
実は、自然界では「生きているが培養できない Viable But NonCulturable (VBNC)」状態で存在している細菌が圧倒的多数であることが明らかになっている。
むしろ、培養できる状態の細菌は自然界において極めて稀な存在であったのだ。

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~前略~
なぜ大部分の細菌は生きているのに培養できないのか。これには様々な要因があるらしいが,そのほとんどは環境からのストレスだ。温度の変化(低下や上昇),食料の減少,PHの変化など,あらゆる環境の変化はもろに細菌に直接的に影響する。このようなストレスを受けると細菌は矮小化する(容積あたりの表面積が大きくなるため,表面からの物質浸透に有利となるためと説明されている)。同時に代謝活性を低下させる。ある細菌は条件がよくなればまた代謝を再開させるし,別のある細菌は不可逆的な変性のため半死半生となっている。これらをひっくるめて「生きているが培養できない状態(VBNC)」と呼んでいるらしい。

ではなぜ,自然界の細菌のほとんどがVBNCなのだろうか。それは,土壌中の細菌も海水中の細菌も,その大部分が飢餓状態にあるためとされている。世の中,甘くないのである。この過酷な自然で生きていくための戦略がVBNC化なのである。逆に言えば,培養できる浮遊菌とは要するに,養分が豊富にある特殊状況のものなのである。

同時にこのことは,なぜ自然界のバクテリアが浮遊状態でなく,バイオフィルムなどの固着状態で生きている理由が明らかになる。栄養が使い果たされた環境におかれたバクテリアは,何かの「表面」に固着しようとする。物の表面は帯電しているために有機物を吸着しているからだ。その有機物をねらうなら表面にとにかくくっつくことだ。だから,表面があればそれに固着するのがバクテリア本来の生き方であり,基本戦略である。
そのわずかな吸着有機物を利用し,次第に代謝が活発になり,次第にそこに複数の細菌が集まり,やがてそれはバイオフィルムとなる。つまり自然界のバクテリアたちは,バイオフィルムで生きて行くしか道がないのである。要するに,細菌たちはこの変化しやすい地球環境に生まれたときから,バイオフィルムを作って生き延びてきたわけだ。生存のために最高度に発達したシステムがバイオフィルムである。しかも,そのバイオフィルムの中でさえも,大多数の細菌は飢餓状態であり,培養できないVBNC状態にあるのだ。

となると,「バイオフィルムがあると抗生剤が効かない」という理由も明らかになる。厳しい自然界で生き延びるために,自然環境の変化をもろに受けないような避難所であり,安全な生活の場がバイオフィルムだからだ。実際,細菌を試験管内の浮遊状態で調べた抗生剤の感受性と,バイオフィルムでのその細菌の感受性は全く別物である。単独浮遊細菌で有効だった抗生剤濃度の1000倍以上を投与しても,バイオフィルム内の同じ菌には効かなかった,という実験は有名である。

そしてこの本でも,バイオフィルムの驚くべき姿を教えてくれる。バイオフィルムは複数の細菌が生存している場だが,それは「単細胞生物がたまたま集まったもの」ではなく,高度の組織化された多細胞生物に類似した機能を実現しているのである。

バイオフィルムのマトリックス間には水が循環しているが,これは最も原初的な「循環システム(腔腸動物などの開放血管系の始まりですね)」であり,互いに代謝物をやりとりをしている様は機能分化である。これらの機能はホルモンやフェロモンに類似する化学物質のシグナルで精妙に制御されているのである。まさに多細胞生物そのものである。

しかも,バイオフィルムの分布拡大は,フィルムから離脱する浮遊細胞によって行われているが,これはようするに,植物が成熟した胞子や種子をまき散らすのと本質的に同じだ。だからこそ,浮遊細胞は培養できたのだ。

また,VBNCの知見はさまざまな細菌による感染症に対する見方を変えてくれる。

例えば,コレラ菌は流行期には水の中から検出できるが,非流行期には全く検出されない。後者はVBNC状態である。ところが,この状態でもコレラ菌は毒性を失っていないのだが,なんと,人体の腸管を経由することで,培養可能な状態となり,感染力を有して復活するのだ。同様の「人体を経由するとVBNCから培養可能型に回復する」現象は,病原性大腸菌でも検証されている。

恐らく,この「VBNCから培養可能型へ」の変化はどんな生物の腸管でもいいわけではないだろう。恐らく,ある細菌にはある特定の動物の腸管,という対応になっているはずだ。となると,コレラ菌をその地域から一掃するのは,きわめて難しいということになりそうだ。要するに,コレラ菌と人間は同じ生態系で生きていて,万年飢餓状態に置かれているコレラ菌が増殖するためには,ある種の動物の腸管にもぐりこむことが必要であり,たまたまその動物として人間を利用しているだけだからだ。

また,大腸菌を海水中で培養すると急速に培養できなくなる。従来はこのデータから,未処理の下水を海洋に投棄しても安全,とされてきたが,実はこれも,単なるVBNCであり,大腸菌は検出できない状態で生き延びていたのである。大腸菌交じりの糞便を海水に投棄すると大腸菌が死滅しているわけではないし,大腸菌が検出されないからといってきれいな海水だというわけでもないのだ。このあたり,かなり怖くないだろうか。

このような知識に出会うと,医学界での抗生剤や消毒薬に関する従来の知見は,全て見直す必要があるのではないかと思われる。従来,抗生剤の効果は浮遊菌を対象にさまざまな濃度の抗生剤を作用させ,その半分が死に絶える濃度で求められてきた。しかし,上述のように浮遊状態は細菌の特殊な状況であり,自然状態ではVBNCが基本である。要するに,浮遊細菌という,「最も活性が高く,最も抗生剤が効きやすい」状態で実験されてきた物である。ここからして既に,不合理なのである。抗生剤が有効なのは炎症を起こしている元気な細菌だけであって,VBNCにある大多数の同じ細菌には効いていない。これを繰り返していけば,やがて抗生剤は効かなくなるはずだ。

これは消毒薬も同じだ。消毒薬の効果を調べるためには,試験管や寒天培地に細菌をばらまき,それに消毒薬を作用させ,それを新たに培養してコロニーを作った数で調べている。しかし,本書でも繰り返し述べられているように,VBNCの細菌は全て死滅しているわけでもないし,復活できる菌が含まれている。

まして,殺菌効果を生理食塩水に浮遊させた細菌で調べた場合,消毒薬は失活しにくいことは明白だ(生理食塩水では消毒薬は失活しない)。一方,線維芽細胞などの人体細胞に対する毒性(作用)を調べる際には,血液培地などで細胞を培養し,その上で消毒薬を作用させるが,この実験系は最初から,消毒薬が失活しやすい条件で行われているのである(培地そのものが消毒薬を失活する効果を持つ)。
従って,このような条件が異なる実験データを比較して,「人体には安全な消毒薬の濃度」なんて議論をするのは愚の骨頂である。

~後略~
『培養できない微生物たち -自然環境中での微生物の姿-』(Rita R. Colwell,学会出版センター)<新しい創傷治療>より

近代の細菌学や医学によって様々な発見がもたらされたという一面はあるが、そのほとんどが実験環境下での特定の要素のみに着目して抽出されたものである。つまり、自然界の外圧状況や細菌同士の相互適応戦略といった現実と全く乖離した条件下での発見であったといえる。
ひとまず近代の要素還元的思考に基づく“常識”と訣別し、徹底した事実追求に基づく仮説立案⇒皆で検証していくことで、現実と整合した理論を構築していけるのではないだろうか。

List    投稿者 seibutusi | 2018-04-03 | Posted in ⑧科学ニュースよりNo Comments » 

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