2009-04-28

人類誕生:イーストサイドストーリーの草原説から、森林説へ

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4月の初め都内の公園で花見 に招かれ、たまたまお会いした某テレビ局の方と某企業に入社したばかりの研究員の方と「生物史」について、盛り上がってきました :D :D :D
周りの花見の華やかな盛り上がりの中で、「大地溝帯とか、チャドとか、C4植物とか、チーター兄弟とメスの違いとか、細胞膜、中心体、チューブリンetc・・・」私達3人だけ、周りから見れば異常な 盛り上がりでした。少し周りもあきれ顔・・
でも、私達は、こんな楽しい花見は初めて 、植物の下では、生物の話ししなきゃ :D :D :Dという勢いでした。
その方から聞いた話では、「大地溝帯で人類が発生したのはもう古い。森林で生まれた説が有力となっている。」とのこと。
「お~そーなんですか」と、その後、調べてみました。
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●まず、イーストサイドストーリーとは何?
上の地図を見てみると赤いラインと青いラインがあります。ここがグレート・リフトバレー(アフリカ大地溝帯)と呼ばれる部分です。約1,000万~500万年前から、この大地溝帯の形成が始まったと考えられ、大地溝帯の谷は、幅35 – 100 km、総延長は7,000 kmにもなります。
この大地溝帯が出来たことで、湿った赤道西風がさえぎられてアフリカ東部が乾燥化、それまで東部にあった森林は草原へと変化しました。
この乾燥化→草原化により、木がなくなった環境の中で、初期人類が木から下りて2足歩行を初めたと言うのが、今まで人類誕生の有力説と呼ばれていた「イーストサイドストーリー」です。
では、このストーリーがどのように破綻したのでしょうか?
以下、永井俊哉ドットコム「イーストサイドストーリーの破綻」より紹介です。
●イーストサイドストーリーの破綻

(前略)
フランスの人類学者、イブ・コパンが、このイースト・サイド・ストーリーを提唱したのは、1982年であるが、その後明らかになった新しい知見により、この定説に多くの疑問が投げかけられるようになった。
まず、800万年前の地溝帯の隆起は小さく、大きく隆起したのは400万年前と考えられるようになった。これはヒトが二足歩行した600万年前よりも後のことであり、地溝帯形成をヒトが類人猿から分岐する原因と考えることには無理がある。またアフリカ東部の乾燥化は300万年前ごろから始まったが、完全にサバンナになったわけでなく、森林がかなり残存していたことも炭素同位体の分析からわかった
他方、相次ぐ発掘成果により、二足歩行するヒトの最古の化石は、その記録を更新し続けている。コパンは、320万年前のアファール猿人(アウストラルピテクス・アファレンシス)の発見者で、この化石がヒッパリオンなど草原の動物化石と一緒に発見されたことから、ヒトは草原で進化したと考えるようになった。ところが、ケニアで発見されたミレニアム・アンセスター(オロリン・ツゲネンシス)やエチオピアで発見されたラミダス猿人の亜種(アルディピテクス・ラミダス・カダバ)など、500-600万年前の、すでに直立二足歩行していたヒトの化石は、当時森林に住んでいた動物と一緒に発見されたため、草原進化説は疑わしくなった

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トゥーマイ(左)と大地溝帯の西に位置するチャド(右)

そして、2002年に、イースト・サイド・ストーリーに深刻な打撃を与える発見があった。「ウェスト・サイド」である中央アフリカのチャドで、600-700万年前と推定される猿人の化石が発見されたのである。この猿人は、トゥーマイ(サヘラントロプス・チャデンシス)と名付けられた。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、また、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いとのことである。今でこそチャドにはサハラ砂漠が広がっているが、トゥーマイが発見された場所は、当時、現在の約80倍も大きかったチャド湖の湖岸で、魚やワニの化石が一緒に発掘されたことから、かなり湿潤な地域だったと考えられる。
トゥーマイの発見は古生物学の常識を覆すものだったために、いまだにそれが古人類であることを認めようとしない人もいて、論争が続いている。
現地で使われているゴラン語で「トゥーマイ」(生命の希望)というアダ名がつけられたこの化石は2002年に中仏のポワチエ大学のミシェル・ブリュネ氏らのチームが発見を公表していた。しかし人類発祥の地とされてきた「大地溝帯」のエチオピア、ケニア両国は「まさか」と驚きを表明した。発見現場は大地溝帯から2500キロも離れている。陰険な競争が展開されている古生物学界でも強い反論が出ている。批判派は、頭骨が押しつぶされたような形をしており、脳の容積が小さいなどと主張し、「ただのサル」だと断定していた。
(中略)
ただ、提唱者のイブ・コパン自身は、2003年2月に、「イースト・サイド・ストーリー」を自ら撤回した。イースト・サイド・ストーリーは、人類の起源を説明する定説としては、破綻したと考えてよい

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トゥーマイの発見より、学会の中で陰険な足の引っ張り合いが行われているところが、いかにも・・ですね
人類が誕生したのは、森林が残っている地域だった。大地溝帯の東側にもしばらくは森林が残っていた。森林がなくなり草原になったから2足歩行を始めたのではなく、何らかの先祖返りで手と足の指が木を掴めなくなり、地上という高い外圧環境にさらされ、何とか生き延びてきたと考える方がスッキリします。
では、
・このような先祖返りはおこるのか?
・このころの地球環境は実際どうだったのか?
・どのような動物がいたのか?etc
課題は山積みですが、引き続き生物史仲間と追求して行こうと思います。
画像:地球人の歴史  1.人類の起源
   :動物の系譜 人の系譜
   :NHKハイビジョン特集 フロンティア 

List    投稿者 yooten | 2009-04-28 | Posted in 4)サルから人類へ…6 Comments » 

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コメント6件

 さんぽ☆ | 2009.06.27 2:18

衝撃的な事実ですね!!
かなりショックをうけました。
市場の為に、まさに自然の摂理に反したものがどんどん生み出されていっているということですね。
そして、幹細胞から豚肉を作り出そうとしているなんて。。。
なんかかなりヤバイことをしているように感じます。

 なすぼね | 2009.06.27 9:07

効率性を重視したために自然界ではありえないリスクを背負ってしまったという好例ですね。。。ただ人為淘汰は近代科学の発達する前からあったわけです。江戸時代の日本でも自然界ではありえないような奇形を作り出し珍重していたようですから。。。
最後の方の食肉培養については興味深いです。これからどんどん増えていくであろう世界人口に付随する食糧危機のためにもこういう研究は必要だと思います。
ヒトが今以上の生活水準で生きていくには自然界に負担が掛かり過ぎるわけで、ある程度「自然」から距離を置いて負担を減らすべきなのかもしれませんね。

 かわい | 2009.06.27 20:05

さんぽさん、コメントありがとうございます。
今の所、肉工場はあまりにもコストが掛かりすぎて実用の目処は全く立ちそうにないようです。
自然の摂理に反するという意味では、相対的に必要となるエネルギー量等も、明らかに不整合な状態になるので実現不可能ではないか?と考えています。
それ以前に、そんな発想自体がどこかおかしいと感じますけどね。。。

 かわい | 2009.06.27 20:09

なすぽねさん、コメントありがとうございます。
食肉培養についての是非は、一つ前のコメントでも書きましたが、恐らくエネルギー総量等から判断すれば自然に対する負荷はむしろ増加している可能性の方が高いだろう、と予測されます。
現在日本で実施されている、野菜工場についても同じ事が言えるでしょう。
人間の都合だけで物事を考える、という事に限界があり、やはり「共生」「協働」といった概念を軸に追求を深めた方が良いように想いますが、如何でしょうか?
ちなみに、江戸時代の事例に興味があります。良かったら詳しく教えて下さい。

 なすぼね | 2009.06.27 21:38

申し訳ありません、どうも僕の方に事実誤認があったようです。まだ現時点ではコストが高いようですね。技術の向上をまだあと数十年は待たなければいけないようで。。。人口爆発には間に合わなそうですね
ところで
>人間の都合だけで物事を考える、という事に限界があり、やはり「共生」「協働」といった概念を軸に追求を深めた方が良いように想いますが、如何でしょうか?
「共生」「協働」という概念を軸にしたときでも「長期的に安定して利益を得よう」という人間の都合でしかない、というのはひねくれた答えでしょうか(笑)
あと、「共生」という言葉自体が広い意味を持ち過ぎているため、ある事実から導かれる意味と別の事実から導かれる意味が異なってしまいます。僕は「共生」という言葉には、お互いに相手を騙してやろう、より多くの利得を相手から得て、自分が相手に与える利得を小さくしよう、という競争の末の妥協案のようなものだと思っています。そのような消耗戦を続けているとお互いに得るものが少なくなってしまうからです。ですがそれでも虎視眈眈と相手を騙してやろうという状況は続いていて、実際にそうして寄生に近い状態に変化したケースがあります(確か『寄生と共生』という本の中に例が出ています)
もちろんそれだけではなく、もっと協力的な事例もありますが、どうしても「共生」という概念を持ち出すと幅が出過ぎて議論の上では扱いにくくなってしまうと感じています。
最後に江戸時代の話ですが、専門ではないのでとりあえず1つだけ。ソメイヨシノは江戸時代に生まれたであろうサクラの1品種ですが、接ぎ木でしか増やすことはできず自然的な方法で増えることができません。ソメイヨシノという種はとても脆弱で、たった一つの樹からのクローン植物であることから病気にも弱く、ほかの種と交雑しなければ子孫を残せないという行き詰まった存在です。

 かわい | 2009.06.29 13:34

なすぽねさん、返信ありがとうございます。
確かに「共生」という概念の中には、市場に代表されるような騙しあい・駆け引きといった取引関係があり、闘争回避の為の妥協点、といったニュアンスは多分に含まれるものになりますね。するどい考察です!
自然界における適応手法の主戦略は、外敵闘争による淘汰適応、即ち勝ったものだけが生き残る仕組みである事は間違いありませんが、その様な種間闘争の中にもお互いの活力を生み出す為の外圧が生じ、それが変異促進、即ち進化の原動力となっていると考えられます。その様な広義な意味において、お互いに活きる為の外圧を形成しあう関係を協働と表現しても良いのかな、とも思っています。
話題変わって、江戸時代のソメイヨシノの接木の件は耳にしたことがあります。植物の適応戦略は、動物とは異なる多様性を持っていて驚かされる事が多々ありますよね。結構、頻繁に自然状態での異種間接合も発生しているようですし。
今後も、疑問や感想など、ドンドンコメントお願いしますね。また、当ブログは会員制でやり取りを通じての追求を目指していますので、良かったら会員になっていただいて一緒に追求しましょう!
http://www.biological-j.net/bbs/send_mail.php

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