2007-07-18

進化論の変遷 その2

こんにちは、今日は6月14日の記事に続けて、「進化論の変遷 その2」を投稿したいと思います。
前回は、ダーウィン以前の進化論から、ダーウィンの進化論までを扱ったので、今回はダーウィン以降の進化論~総合説を扱います。
sizentie9endou-1.jpg
写真は、メンデルが遺伝実験を行ったエンドウマメ

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まず、前回(進化論の変遷 その1)の内容を簡単におさらいすると・・・・
「天地創造説」
キリスト教が絶対正義・絶対真理とされていたヨーロッパでは、生物が「進化する」と言うことは全く考えられず、神がこの世界を創造した時点で、全ての生物が完璧な姿・形で創造されたと考えられていた。

「ラマルクの進化論」

キリスト教的世界観から脱出した「科学的思考としての進化論」の扉を開けた。「用不要説」(使われる器官は発達し、使われない器官は消失していく)と「獲得形質の遺伝」(個体が獲得した機能は遺伝する)を2つの軸とする進化論を提唱した。進化=「単純な生物から複雑な生物へと発展していくような、一定の方向をもつ必然的で目的論的な過程」と位置付け、進化≒進歩と考えた。
「ダーウィンの進化論」
現在の進化論に繋がる「自然選択(淘汰)説」(適者生存の繰り返し=進化)を提唱。進化=「特定の方向性がない偶然の変異による機械論的な過程」と位置付け、進化≠進歩と考えた。当時は遺伝の仕組みについては知られていなかったので、変異や遺伝についてはラマルクが提唱した「獲得形質の遺伝」が起こると考えていた。

■メンデルの法則

グレゴール・ヨハン・メンデル 参考:リンク
メンデルはオーストリアの科学好きの修道士で、ダーウィンと同時代に遺伝の法則を発見した人物です。子供が親に似るのは何かが親から子供に伝わるからに違いないと考え、有名なエンドウマメの交配実験を行いました。エンドウマメに着目した理由は、品種改良の歴史があり、様々な形質や品種があること、人工授粉が行いやすいことにあるようです。
メンデルは遺伝の法則を見つける為に、エンドウの誰が見ても解るいくつかの特徴(形状や背の高さ等)に着目しました。そして交配実験を繰り返し、「メンデルの法則」と呼ばれる一連の法則「優性の法則」「分離の法則」「独立の法則」を発見しました。
背の高くなる遺伝子をAA、背の低くなる遺伝子をaaとして、この2つを交配すると、両親の遺伝子が混ぜ合わされ、必ずAaと言う遺伝子の組み合わせをもつ子供が生まれます。背の高くなる遺伝子Aを持つエンドウは、背の低くなる遺伝子aを持っていても、必ず背が高くなります。このように、必ず形質として表れる遺伝子を「優勢である」といい、この法則を「優性の法則」といいます。(優性とは、優先されると言う意味で、遺伝的に「優れている」と言う意味ではない)
次に、このようにして生み出された遺伝子Aaを持つ子同士を交配すると、Aa×Aaで、AA×1、Aa×2、aa×1の割合で、遺伝子組み合わせが生み出されます。このように、Aaの遺伝子がAとaに分離されて伝えられることを、「分離の法則」といいます。なお、Aの遺伝子は「優性」ですから、この子同士の交配で生み出される孫世代は、背の高いもの(AA×1、Aa×2)が3割、背の低いもの(aa×1)が1割となります。
また、色やシワの形状などについて同様の交配実験を行っても、同じような遺伝の法則が確認されますが、それぞれの遺伝子(背の高さ、色、シワの形状)の間には相関関係はなく、それぞれ全く独立して伝わります。これを「独立の法則」と言います。
メンデルの発見したこの3つの遺伝の法則は、後に染色体が発見され正しいことが証明されました。
遺伝子の基本的法則を発見したメンデルの発見は、間違いなく世紀の大発見ですが、当時は研究成果が認められず、評価されることなく、メンデルはこの世を去ります 🙁 彼が発見した法則は、1900年にド・フリース等によって再発見され、研究成果は死後に承認・評価されることになりました。
ダーウィンと同時代に遺伝の法則を発見しながら、評価されなかった為に、ダーウィンはメンデルの法則を知ることはなく、ラマルクの「獲得形質の遺伝」が起こると考えていたのです。もし、ダーウィンが「メンデルの法則」を知っていたなら、ダーウィン進化論は全く別の展開をしていたかもしれません。

■ド・フリースの突然変異説
ユーゴー・ド・フリース 
参考:リンク
オランダの植物学者・遺伝学者であったド・フリースは、遺伝の研究を行う中で「メンデルの法則」を再発見しました。同時期(1900年)に、コレンスとチェルマックもメンデルの法則を再発見し、「メンデルの法則」は彼の死後に、承認・評価されました。
ド・フリースは更に栽培実験を行う中で、生じたいくつかの変異株が常に同一の形質の子を生ずることに気が付きます。彼は、これを特定の遺伝子が変化した為に、その遺伝子によって生じる形質だけが標準と異なる「新種」が生まれたと考え、これを「突然変異」と名付けました。
「メンデルの法則」の再発見当時、メンデルの遺伝子に関する説では、遺伝子は親の生活とは何の関係もなく、全く変化せずに子孫に受け渡されるため、進化論は成立せず、「メンデルの法則」「自然選択(淘汰)説」を批判する理論とされていました。しかし「突然変異」の発見によって、遺伝学からも、遺伝子に変化を生じる可能性、つまり進化の起きる可能性が認められました 😀
こうして、ダーウィンの発見した「自然選択(淘汰)説」と遺伝学が、「突然変異」の発見によって結びついたのです
同時に、突然変異の発見によって、ラマルクの「獲得形質の遺伝」が、誤っていると考えられ始めました。「獲得形質」がキリンの首を長くしたのではなく、たまたま首の長くなる突然変異を起こしたキリンが生まれ、それがダーウィンの言う自然選択(淘汰)によって生き残った結果が、進化であると考えられるようになったのです。こうしてラマルク説ではなく、ダーウィンの自然選択(淘汰)説が進化論の中心論へとなっていったのです。

■自然選択(淘汰)説+突然変異の発見+集団遺伝学・分子生物学の発展⇒総合説へ

ド・フリースは「突然変異」の結果、「新種」が生まれると考えていましたが、その後、突然変異の詳細が分かるにつれ、突然変異が直接に新種を生み出すことはまずないと考えられるようになっていきます。
突然変異という現象は、個体に遺伝的変化を生じさせ、種内の遺伝的多様性を増加させる要素として、自然選択(淘汰)説の中に取り入れられるようになります。突然変異で生じた様々な形質を持つ個体間での自然選択によって進化が起きる、という考え方です。
1930年代には、生物集団内における遺伝子の変化に関する遺伝学=集団遺伝学がロナルド・フィッシャー等によって創始され、これによって、ダーウィン進化論と遺伝学が統合され、理論化されていきます。これに、系統分類学・古生物学・生物地理学・生態学等の研究成果を取りいれた進化論が、「総合説(ネオ・ダーウィニズム)」と呼ばれる現代主流の進化論です。DNAの仕組みが解ってきた今日では、分子レベルで説明しようという分子生物学も発展し、総合説に取り入れられています。
即ち、ダーウィンの自然選択(淘汰)説+突然変異の発見+集団遺伝学・分子生物学等の発展⇒総合説(ネオ・ダーウィニズム)と言えます。
このように、進化論+遺伝学の発展で形成されてきた総合説は、現代の進化論の主流派と言えますが、一方で様々な研究が進むにつれ、「自然淘汰だけでは進化のすべてを説明できない」と言う反論も多くなってきています
次回は、この総合説への反論、現代の進化論論争に迫りたいと思います
(BY NISHI)
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List    投稿者 crz2316 | 2007-07-18 | Posted in ①進化・適応の原理1 Comment » 

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コメント1件

 ちょもらん | 2012.01.22 23:53

すげぇ!
俺としては出来るだけたくさんの有能な種と混血しててほしいな~自分は。

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