2021-03-04

「戦争は人類の本能」説は事実か

生物史を通して「生物は常に飢餓状態で、群れて、情報を交換し合い、共生関係を保ち、必死になって生き延びようとしている⇒『戦争は人類の本能ではない』」と言えるが

そのような中で米人の多くは、「戦争は人類の本能」と思っているようなので

先の実現塾、「戦争の起源と国家の支配構造」での議論で

3月中に公表される革命綱領ゲサラ法では、核兵器が禁止され、世界中で非戦条約が締結されるという。

>過去2000年間、巨大な国家が存在してきたのは、戦争に備えるためである

・・・以降 論考が続いたが  非戦条約は難しいと思っていた。

改めて【戦争は人類の本能」説は事実か】の記事(日本学術会議フォーラムにおける山極壽一会長の挨拶  2018年11月27日)を読み返し、「世界中で非戦条約が締結される」可能性が見えて来た。

「戦争は人類の本能」説は事実か より転載

「戦争は最初から人類にあらわれたものではない。人類進化の歴史700万年のうち、たかだか最後の1万年、農耕が始まった頃からあらわれたものでしかない。それは化石標本からも、歴史の事実からも、私の霊長類の研究からも明らかになっている。戦争は人間の本性でもなく、社会を維持する原動力でもない。平和や調和を求めるのが人間の本性であるという前提に立って考えねばならない」

(中略)

人類学の見地からみた真実

山極氏は『ゴリラからの警告--人間社会、ここがおかしい』(毎日新聞出版)で、オバマのノーベル平和賞授賞式の演説について、戦争は人類とともにあったとして「平和を維持するうえで戦争は必要であり、道徳的にも正当化できる場合があることを強調した」ものであり、その言葉通り、アフガンへの武力介入を強め、11年にはアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを殺害した必然性を明らかにしている。

そして、「なぜオバマ前大統領は戦争という暴力が平和の正当な手段であると言いきるのか。なぜノーベル平和賞は暴力を用いて戦争を抑止しようとする活動にあたえられるのか。そこには、戦争につながる暴力は人間の本性であり、それを抑えるためにはより強い暴力を用いなければならないという誤った考えが息づいているように思う」と記している。

政治国家出現で戦争始まる 日本では弥生以降

山極氏はさらに、こうした「戦争が人間の原罪であり、暴力は最初から人間とともにあった」とする考えが広がったのは第2次世界大戦直後からであることを強調している。それは、南アフリカで人類の古い化石を発見したレイモンド・ダートがうち出した「人類は長い進化の歴史の中で狩猟者として、獲物を捕らえるために用いた武器を人間へ向けることによって戦いの幕を開けた」という仮説を根拠にしたものであった。

その後、人類学、考古学で明らかになった科学的事実は、ことごとくこの学説の誤りを証明するものとなった。ダートが主張した人類化石の頭骨についた傷は、人類によるものではなく、ヒョウに殺された痕だと判明した。それらによって「人類は狩猟者ではなく、つい最近まで肉食獣に狩られる存在だったし、人間に近縁な霊長類が群れをつくる理由は、食物を効率よく採取するためと捕食者から身を守るためだったということがわかってきたのだ」。

ちなみに、『日経サイエンス』は、12月号の特集「新・人類学」のなかで、アメリカの人類学者、R・B・ファーガソン(ラトガーズ大学教授)の論文「戦争は人間の本能か」を掲載している。

ファーガソンは、戦争が人間の本能から来るという論の影響として、政治学者フランシス・フクヤマの「近年の戦争と虐殺の起源は数十万から数百万年前の祖先である狩猟採集民、さらにはチンパンジーとの共通祖先にまで遡る」という記述や、国際政治学者セイヤーの「自分の部族を守ろうとする本能的な傾向が、時を経つうちになぜ、国際関係におけるよそ者嫌いや自民族中心主義に変容していくのか、進化論によって説明できる」という説をあげている。

そして、「ヒトの本性に部外者を集団で侵す傾向がある」から、人間は戦争を我慢できないという論には、なんら科学的根拠がないことを明確にしている。人間の歴史において、集団的殺戮が登場するのは、狩猟採集社会が規模と複雑さを増し農耕が始まったころである。この歴史的段階は「政治国家を形作る基礎」となり、このころから人間はしばしば戦争を引き起こすようになった。

ファーガソンは考古学や民族誌の記録を詳細に検討した結果、戦争が起きやすくなる前提条件として「定住性への移行、地域人口の増加、家畜など貴重な資源の集中、階層性や社会的複雑さの増大、貴重な品々の取引、集団の境界および集団的アイデンティティの確立」などをあげている。

そして、文化人類学者ミードが1940年に著した論文のタイトル「戦争は発明にすぎず、生物学的必然ではない」が持つ普遍性を明らかにしている。

ファーガソンは日本で発見された縄文・弥生時代の受傷人骨も、そのことを裏付けるとしている。それに関連して、中尾央・南山大学人文学部人類文化学科准教授(自然哲学)が「日本で戦争が始まったのはいつか」と題するコラムで、縄文時代(狩猟採集社会)の遺骨や遺物から「明確な戦争の確証が得られていない」が、弥生時代(農耕が主体)では、戦争があったことを証拠立てる埋蔵物が明らかに増えていることを明らかにしている。

山極氏は別のところで、「人間はその本性からして暴力的な動物なのか、あるいは穏やかで温和で平和を愛する動物だったのに、どこかで暴力的な行為を始めたのか。自分たちに都合よく“必要な戦争だ”という政治家に対して、科学者は証拠をあげて、それが正しい判断なのかどうか、答えなくてはいけない」と語っている。それは、次のような指摘とつながっている。

「今、日本では近隣諸国とのトラブル防止のために武力増強が必要との声が高まりつつある。アメリカの強大な武力を傘にしなければ国土を守れないという声も強まっている。しかし、人間以外の動物は同種の仲間の争いを力で抑えたりはしない。ベトナム、イラク、アフガンなどアメリカの武力介入を受け入れた諸国が幸福になった例はない」

「日本が武力を強めていく将来に私は強く異を唱えたい。世界はそろそろ暴力とは別の手段を採用して紛争を解決すべきなのだ。現代の科学による正しい人間の理解がその先鞭(せんべん)をつける必要がある。これからの日本の政治はその範となることができると私は信じている」(『ゴリラからの警告』)

List    投稿者 seibutusi | 2021-03-04 | Posted in ⑧科学ニュースよりNo Comments » 

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