2020-11-20

人類奴隷化計画は「人類の家畜化≒人類の幼児化」なのか?

前回の記事

「世界支配を考えている人間は、「本能(右脳)を封鎖し、従順な人を創る(人類奴隷化計画)生物の多様性原理に反する」事を目指しているのか?」と記載しましたが

人類奴隷化計画は、西洋では度々登場(選民思想他)しており、その起源は、遊牧民の生産手段の一つ「動物の家畜化(犬・ヤギ・豚他)」から「オスの去勢(闘争本能を削除し従順なメス化)→宦官(西アジアおよび中国の帝国)」そして「本能(右脳)を封鎖し、従順な人を創る」と考えられる。

西洋文明では現在でも「人の理性こそが人の本能(≒自然)を制御することが出来る」そして「子供は獣と一緒であるので幼児から躾が大切」などが常識となっている。

世界の先進国の中で日本のみが、上記の思想に染まってない可能性が高い。

日本人の特質「最もネオテニー化した民族自然との循環共生社会創出」】参照

一方で、動物の家畜化≒人類のネオテニー化の危険性についての記事も有りましたので転載します。

注1「家畜化」とは Wikipediaに書いてある内容

一般的に、家畜化によって、動物には以下のような変化が生じる。

・気性がおとなしくなり、人間に服従しやすくなる。

・脳が縮小する。

・人間にとって有用な部位が肥大化する。

……このような現象は、人間の保護下にあることで、自然選択の圧力かがかからなくなるために引き起こされるものと考えられる。

同様の傾向がヒトにも見られ、これを自己家畜化と言う。

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農耕はなぜ幼児化なのか (

【農耕のはじまりとともに、人間は人間の家畜となった。】

なぜか。

農耕社会が私有財産を生んだからだ。

ひとびとは定住するようになったので、食べ物や住居を持ち運ぶ必要がなくなった。そして穀物は保存が効く(おもしろいことに、タロイモを主食とする部族は比較的平等社会である。これはタロイモがすぐ腐るからである)。このことが何を可能にしたか。他人の労働によって食べていく権力者である。

狩猟採集社会にはこういった権力者はありえなかった。たとえばキリンを一頭しとめても、それを独り占めすることはできない。すぐに腐ってしまうし、重たくて持ち運ぶのは困難だ。富は重荷である。人々は自然に食料を分け与えた。

農耕の広がりとともに、階級社会が始まったといえる。

【奴隷道徳のはじまり】

階級社会では、ひとびとは支配者と被支配に分断される。すべての階級社会はピラミッド構造。支配されるものの方が多い。つまり、農耕社会(=文明社会)は大多数の奴隷と少数の主人で構成される。

支配階級は農民が雌牛を飼育するように、農民を「飼って」いた。つまり支配階級は農民を家畜化していったのである。

【支配者にとって望ましい被支配者】

支配者は「利益」と「統制」の最大化を求める。

では、支配者にとって望ましい被支配者とはなにか? 従順で、言うことを聞き、臆病で脅しに容易に屈し、我慢強く、信じ込みやすく、意志や知能が低く、力が弱く、しかし体力がある健康な人間である。これらは……幼児的である。

こういった人間は支配者を喜ばせたので、何千年もの間繁栄していった。

【支配者にとって望ましくない被支配者】

逆に支配者にとって望ましくない被支配者とはなにか? 反抗的で命令に従わず、独立的で階級に反発をいだき、利己的で集団の和を乱し、自由を求め、反権威主義的な人物である。

こういった人間は、何千年もの歴史の間何度も「除去」された。その繰り返しは、農耕が始まって1万年。300世代くらい繰りかえされただろう。

――もっとも、支配は双方向的である。

被支配者たちもまた「よりよく支配されること」を望んでいた。配偶者としては自営業者よりサラリーマンの方が好まれるものだ。親は子どもを従順な人間に育てる。その方が幸福に生きられるからである。

自発的隷従によって被支配的な人々が再生産される。言ってしまえば、ニーチェの言う「奴隷道徳」は農耕のはじまりとともに存在するのである。

【野生の人間と養殖の人間】

私たちは「養殖の人間」である。これは比喩的な表現だけど。

「天然の人類」たち――農耕を知らない(あるいはJames C. Scottによれば農耕を拒絶してきた人々)は容易に権力に屈服しない。ピクォート戦争で捕らえられたインディアンのように。

また、彼らは非常に単純というか、衝動的に生きる。ブッシュマンに牧畜を教えようとしたが、彼らは与えられたヤギをすぐさま食べてしまったという。 まあ、野蛮というか素直というか。

【人類は一万年前とは違う】

人類は農耕が始まってから変わった。

それは単に「文化」にとどまらない。遺伝子レベルで人間は変わったのである。

オーストラリアの原住民たちは「野生の人間」の性質を保持していると言われる。

インディアン、アボリジニー、アイヌ民族、ハワイ人。

彼らは単に「先にそこにいた」から虐殺されたのではなかった。彼らは容易に家畜化されなかったから殺されたのである。反逆した者は殺され、服従する者は生き延びた。それだけの話だ。

なんて残酷なんだろう! と思われるかもしれない。しかしこれは歴史上常に行われてきたことだ。

適応性の高い者が子孫を繁栄させる。それが生物の法則である。

私たちの社会では、攻撃性や独立心は生存に不要だ。「よりよく支配される」者の方が繁栄する。従順な労働者(会社員)の方が、ホームレスやフリーターより子孫を持つ。

【まとめ 人間は変わる必要があるのだろうか】

「農耕を採用したことは人類最大の誤りだった」と主張する人がいる

たしかに農耕によって国家が生まれた。階級が生まれた。ひとびとは土地に縛られ、税金を奪われ、自由を失った。過酷な労働や過剰な人口密度、伝染病に苦しめられることになった。

人類のネオテニー化は初期人類に見られるとも言われる。つまり25万年前から家畜化されている。だから、人類から家畜化の傾向はなくなることはないのかもしれない。

しかし、農耕の始まりによって人類は急激に家畜化されたこともまた事実だろう。それは人間が、イヌ、ネコなどと同じように人間を支配するようになったからである。

現在も人間の家畜化は進んでいる。支配関係はますます巧妙に、強力になっている。

しかしそれでも、人間というのはおもしろい。支配されることに我慢ならない人――自由を求める人はつねに存在する。かっこよくいえば、ネコの中の獅子、イヌの中の狼である。

私たちは家畜であることを続けるべきなのだろうか。それとも、「野生の人間」に戻るべきなのか。それはまだ結論がつけられないが。

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List    投稿者 seibutusi | 2020-11-20 | Posted in ⑧科学ニュースよりNo Comments » 

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