2014-11-15

栄養学の嘘2~ドイツの飢饉が実証した近代栄養学の嘘

 

前回『栄養学の嘘1:「北緯50度の栄養学」を導入した明治政府の誤り』に引き続き、近代栄養学の基礎理論や登場した時代背景などから、その限界と誤りを明らかにしてみようと思います。

18~19世紀にドイツで誕生し発展した近代栄養学は、西欧諸国に広がり、明治時代には日本にも政府主導もと導入されます。世界中で認められた近代栄養学ですが、皮肉にも発祥の地である当のドイツで「近代栄養学の嘘」を実証する出来事が第一次対戦時に発生します。

第一次世界大戦中、ドイツとデンマークは、イギリスの海上封鎖により穀物の輸入が途絶え、さらに国内の農作物生産も低下して、絶対的な食料不足が起こります。

食料危機が深まり、ついに「豚殺し」が始まります。豚の飼料消費は実に人間の2倍以上。その飼料を人間の食料に回すことで、食料を確保しようとしました。

ドイツ、デンマークとも、この食糧危機対策が実施されましたが、それぞれの国の“近代栄養学”に対する考え方の違いから、一方では“飢饉”、もう一方では“健康増進”という、全く逆の結果が生じます。

Berlin 1918.

ベルリン(1818年)~ジャガイモの配給を待つ人々

(写真はコチラからお借りしました)

 

 

 

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■誤った栄養学とずさんな政策が招いた飢饉
~76万2796人もの餓死者を出したドイツの悲劇

当時の学者のはじき出した単純なカロリー計算によると、豚飼育用のジャガイモは人間の消費量を上回る。ならば、豚は殺てしまい、その分を人間に回せば良い……しかし、人間のエネルギー源としての穀物と脂肪分の役割の違いを無視した暴論は飢餓をより深刻なものにしてしまいます。

食料危機はさらに深まり「豚殺し」が始まる。豚肉はドイツで最も好まれた肉であったが、食料消費は人間の二倍以上であり、飼料を人間に回すことで、食料を確保したのである。しかし、この政策の前提になったのは、炭水化物と動物性タンパク質の違いを考慮しない単純なカロリー計算であった。

1915年春に豚の屠殺が全国的に行われた結果、一時的には豚肉が市場に出回ったが、全ての肉を加工することはできず、多くの豚肉が破棄された。その後にやってきたのは国民のタンパク質・脂肪不足であった。

「豚殺し」で食糧危機は一層深刻化した。多くの農民が、家畜飼料の高騰を理由に、食用のジャガイモから飼料用のルタバガに作付けを転換したため、1916年にはジャガイモの収穫高が激減し、ドイツは飢餓状態に陥った。人々はルタバガを食べるしかなくなったのである。

飢餓下で女たちは食料を得るために行列を作り、あるいは互いに争った。生き延びようとする努力が犯罪に手を染めることになり、子どもの栄養失調・餓死と窃盗犯罪が増加した。いたるところで法と宗教の良俗が完全に崩壊したのである。

ドイツ現代史研究会 「書評:藤原辰史著『カブラの冬』(服部伸)」より引用

※「ルタバガ」=カブラの一種、日本のカブとは異なる。ジャガイモよりも糖分と脂肪分を多く含むが、水分が大半を占め味が悪いため、次第に飼料として使用されるようになった。

■“野菜食中心の栄養学”への転換により、食糧危機を乗り切ったデンマーク

一方デンマークでは、栄養学者、M・ヒンドヘーデの指導のもと、いち早くフォイトの栄養学を捨て、“野菜食中心の栄養学”に切り替えます。結果、食料危機を乗り越えただけでなく、かえってデンマーク人の健康増進に役立つことになりました。

デンマークの栄養学者、M・ヒンドヘーデが行った食生活改善実験の記録、『戦時下の栄養』(大森憲太訳、畝傍書房)です。

彼は1895年から、低タンパク食を行いはじめております。それまでの西洋の栄養学はドイツの学者フォイトらのいう「肉食が人体の肉を作る」にもとづいていたのですが、この食生活では体が疲れて仕事の効率が悪いと、ヒンドヘーデが、粗製パン、ジャガイモ、マーガリン、野菜、果物、牛乳中心の食生活に切り替えてみたところ、本人も家族も健康増進できたのです。

しかし、他のデンマーク人は相変わらず肉を多食していた。そんなとき、第一次世界大戦が起こり、デンマークやドイツは食糧封鎖され、穀物の輸入がストップ。酪農園デンマークとはいえ、飼料穀物の大半はイギリスなどからの輸入でまかなっていたため、酪農ができなくなりました。そこで政府は食料対策をヒンドヘーデに命じ、肉不足をいかに乗り切るのか対策を立てさせたんです。

ヒンドヘーデはビタミンを摂取すべく、胚芽の残る粗製パンやジャガイモなどを中心に食料を配給し、なんと2年間、国産食料だけでもちこたえておるのです。しかもその間、デンマーク人の死亡率は過去に類のないくらい低下しております。また、病気になる人も減り、結果としてデンマーク人の健康増進に役立ったそうです。肉やパターの配給も少量ながらあったようですが、基本的には植物性の食料だったんですね。

魚柄仁之助著「食べ方上手だった日本人」より引用

栄養価の低さを量でカバーして“必要なカロリー”を確保しようとしたドイツ、一方、少量でも人間に“必要な栄養素とカロリー”が確保できる食材・調理法を見つけ出しそれに転換したデンマーク。この栄養学に対する姿勢の違いが、“飢饉”“健康増進”という全く逆の結果を招いたのです……。

なお、このヒンドヘーデが実施した施策の結果は、日本にも伝わっています(大阪時事新報 1924.10.27(大正13) 「栄養学を一新する少食主義」)。

■それでも、「近代栄養学」は今もなお続く?

こうして、ドイツの悲劇とともに終焉を迎えるものと思われた近代栄養学でしたが、その予想に反して、あれから100年以上経った現在に至るまで脈々と受け継がれています。

厚生労働省「日本人の食事摂取基準(2015年版)」では、エネルギーの指標がこれまでのカロリーから、身長と体重から算出するBMIに変更になりましたが、参考値として記載されるカロリーについて、運動程度が平均的な18~49歳男子でエネルギー摂取基準は(明治時代の日本人の栄養所要量=2450kcalをも上回る) 2650kcal/日 という高カロリーが必要とされています。このようにフォイトがつくった「近代栄養学」は、いまだ日本に生き続けているのです。

日本では、明治~大正~昭和を通じて、「近代栄養学」に基づく食生活を実践できたのは一部の裕福層に限られ、一般庶民の食生活にはほとんど影響はなく、伝統的な食生活は長く続きます。しかし、第二次世界大戦の敗戦を契機に、日本人の食生活は大きく変化します。アメリカで発展した栄養学が、アメリカの食料政策のもと大々的に導入されたことがその発端です。

この新しい栄養学は、“カロリー計算”などを導入し従来の栄養学を発展させたものでしたが、元となったのは「ドイツで生まれた近代栄養学」にほかならず、実はフォントの栄養学が装いを一新し復活したのもだったのです。

 

……次回、「栄養学の嘘3:世にもあやしい「カロリー」という概念」に続きます。

List    投稿者 seibutusi | 2014-11-15 | Posted in ①進化・適応の原理, ⑩微生物の世界No Comments » 

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