2010-02-09

実現論勉強会シリーズ8 人類:極限時代の観念機能:後編

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前回のおさらい 😀
・足の指の退化による安全な生活圏(樹上)の喪失…人類=カタワの猿
・想像を絶する過酷な自然・外敵圧力=生存圧力の増大
・直面する現実対象(過酷な自然)に対し、生存をかけた自然への期待・応望の試み
・自然に対する共認機能の作動(現実対象の凝視)⇒自然を応望すべき対象として精霊
 を措定
・人類固有の観念機能の原点(事実認識=科学認識の原点)
 観念機能の更なる先端化による生産様式の向上→弓矢の発明・生産/生存様式の進化

でした
人類はこの観念機能により劇的な進化を遂げますが、何も問題なく現在に至っている訳ではありません。むしろ現代における諸問題はこの観念機能によって引き起こされていると言ってもいいでしょう
今回はこの観念機能が孕む危険性について紹介していきたいと思います。

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 この観念機能(特に言葉)は、サルが頼りにする表情や身振りによる共認よりも、遥かに多様で容易な共認を可能にし、共認内容の無限の組み替えを可能にする。従って、観念機能こそ、DNA進化に替わる新たな進化機能=共認機能の完成形態であると言える。しかし、観念機能がDNA組み替えを超えた新たな進化機能であるという事は、その機能を獲得した人類は、その共認=観念内容によって進化もすれば退化もする可能性を孕むことになる。

 

観念機能獲得以前は、外圧に適応する手段として体細胞の変異が主だったが、観念=知能を獲得することにより、外圧への適応能力が飛躍的に向上しました。しかしこの機能は退化の恐れも孕んでいるようです。

   

 人類の最先端機能たる観念機能は、あくまでも本能回路や共認回路を充足する為にある。もっと簡単に言えば、現実課題に応えるためにあり、行動を導く為にある。従って、観念機能は、精霊信仰以来一貫して目の前の現実世界(自然や同類)を対象化してきた。そして現実対象⇒事実認識の蓄積によって、人類の生存様式を進化させてきた。

 

現実課題に応える、つまり期待応望による充足を得るために観念機能は存在し、これによる認識の蓄積が生存の要になっています。

   

 しかし、本源集団が解体された私権統合社会では、現実課題に応える為の観念機能は専ら私権の獲得に収束し、自分のことしか考えられない人間を作り出した。当然その私権闘争は、本源価値を抑圧し、解体してゆく。しかし、共認回路の充足の必要は、絶対である(サル・人類はそれなしには生きられない)。そこで、観念機能は(私権追求とは別に)現実には失われてゆく本源価値を、頭の中だけで対象化することによって、共認回路を充足させる方向に向かった。こうして、現実対象不在の架空観念(神や愛や自由、つまり古代宗教や近代思想)が捏造されていった。それによって、人類を進化させてきた観念機能の認識ベクトルは、現実対象から不在対象(頭の中に内在する本源価値)へと180度逆転させられてしまったのである。それだけではない。本来の観念機能は、本能課題や共認課題に直結して行動と一体となって作動するが、現実対象を捨象したこの即自観念(頭の中に内在する本源価値を言葉化しただけの観念)は、現実の一切の活動から切り離され、ただ「観念」それ自体の為に存在する。これは観念の倒錯である。

 

本来ならば、観念機能により現実対象に応えていくことで共認充足を得ることができますが、観念を用い私権(自分第一)に収束してしまったことにより、充足欠乏状態に陥ることになります。
その結果、架空観念(想像の世界)に充足を求めることになります。これが現代に巣くっている近代思想であり、観念機能は現実とは別の次元で存在することになります。

 こうして古代宗教や近代思想に代表される「観念」は、人々にとって、現実離れした、役に立たないモノになり果ててしまった。今や、かかる倒錯観念を駆使してメシを喰っている官僚や学者やマスコミ等の統合階級を除けば、誰も「観念」など信じていない。しかし、観念機能が人類の命綱(最先端機能)であるという事実は、不変である。それに、本来の観念機能を再生するのは、それほど困難なことではない。現実課題に応える為に、とことん現実を直視し対象化してゆきさえすれば、観念機能は再生されてゆく。この『実現論』は、その一里塚である。



事実、観念機能があったからここまで進化を遂げ繁栄できました 観念機能獲得から何十万年も経ちますが、私権に収束するようになってからは、まだ五千年しか経っていません。このことを考えると、本来の観念機能の再生は十分に可能であり、私権社会から共認社会へ収束している現代は、その基盤ができていると言えます
あとはいかに現実対象と期待応望の関係を結んでいけるか(心を開いていけるか)ですね 😀

List    投稿者 mizuguti | 2010-02-09 | Posted in ①進化・適応の原理2 Comments » 

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コメント2件

 スラッカー | 2010.10.02 5:20

>特殊化した旧世界猿の派生の類人猿の生き延びる道(絶滅を防ぐ進化)だったと考えられます
その敗者んの末裔が他の類人猿の絶滅を早めていると考えると進化の歴史というのは皮肉ですね

 サミぃ | 2010.10.09 14:40

ボノボがずいぶんとヒトに近いように思うのは私だけでしょうか。
種とは

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