2009-12-10

「利己的な遺伝子」など存在しない

前回の投稿「遺伝子の共同体~進化の歴史は共同性の塗り重ね」では、「全DNA(ゲノム)とは、まぎれもなく遺伝子の共同体である」ことを見てきました。
しかし、「利己的な遺伝子」という、これまで追求してきたこととは全く逆のことを主張している学説があります。
るいネット「遺伝子の共同体」より引用

ところが、ドーキンスはわざわざ「利己的な遺伝子」という表題をつけ、その中で何百回となく「利己的な」という形容詞をわざわざ付けまくっている。それは一体、何の為なのだろうか?それが、彼のイデオロギーでなければ、良いのだが。
%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E3%81%AA%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90.jpg

ドーキンスが主張している「利己的な遺伝子」という書籍のポイントは次ぎの2点です。
①遺伝子は自分自身を増やそうとする行動のプログラムである。生物は、そのプログラムを実現するための乗り物にすぎない。
②全ての利他的な行動も、遺伝子にとっては利己的で合理的な振る舞いでしかない。

遺伝子は連鎖的・協同的な働きをしてこそ機能するものであり、単独で働くことを前提とした「利己的」とか「利他的」という形容詞を使うことには意味が無いように思われます。
本当に、ドーキンスが言うような「利己的な遺伝子」は存在しているのでしょうか??
なぜ、彼は遺伝子の働きを説明するのに、わざわざ利己的などという言葉を使ったのでしょうか。
続きを読む前に、ポチッと応援お願いします
ブログランキング・人気ブログランキングへ
にほんブログ村 科学ブログへ

 にほんブログ村 科学ブログへ


■ドーキンスの主張する遺伝子は存在するのか?
るいネット「利己的な遺伝子」を切開する 1」より引用

ドーキンスは、まず始めに定義する。「厳密にいうなら、この本には、いくぶん利己的な染色体の大きな小片と、もっと利己的な染色体の小さな小片という題名をつけるべきであったろう」・・・「私は、遺伝子を、何代も続く可能性のある染色体の小さな小片と定義して、この本に『利己的な遺伝子』という表題をつけたのである」・・・「私は自然淘汰の基本単位として、従って利己主義の基本単位として、遺伝子を考えるほうがいいと述べた。私が今おこなったのは、私の主張が必ず正しくなるように遺伝子を定義することである。」
要するに、長期に亙って変異することのない遺伝子を仮定したいと云うことらしい。
そして又、こうも云う。「遺伝子を、少なくとも潜在的に長命・多産性・複製の正確さという特性をもっている最大の単位と定義する。」そして、つい筆をすべらせて、こんなことまで云っている。「遺伝子は・・・・、充分に長い染色体の一片として定義される。」・・・「実際の自然淘汰の単位として最大のものである遺伝子は、ふつうはシストロンと染色体の中間のどこかに位置する大きさであることが分かるであろう」
私は、唖然とした。学者たるものが、DNAの諸構造や諸機能(とりわけ、組換えや修復や免疫の分子的な仕組み)を知らずに、遺伝子について物を云うなどと云うことが、あり得るのだろうか?そんな筈はない。そこで何度も、彼の云わんとする奇妙な「遺伝子」の定義の意味を、捉え直してみた。しかし、どう考えてみても、彼の立論の大前提をなす「遺伝子」など、現実には存在しないのである。

まさに唖然・・・彼の言う「利己的な遺伝子」が存在しないことは遺伝子の特性、進化の基本原理をみれば明らかです。
根拠1.変異しない遺伝子など存在しない

彼が想定するぐらいの長さの遺伝子群なら(特に有性生殖の場合)、その多くが組み替えやミスによる変異を伴っている。つまり、殆どの遺伝子群は、自己ではなく変異体=同類他者を複製しているのである。もちろん、ごく短期なら、変異していない遺伝子群も存在する。しかし、彼が望むように定義した「自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代にわたって続き得る」変異しない遺伝子群などというものは、時間が長くなるほど限りなくゼロに近い確率でしか、存在しない。
DNA.gif

根拠2.変異する遺伝子こそ進化の源泉

もし彼の望み通りに(現実には殆どあり得ないが)、「変異しない、充分に長い染色体の一片」が存在したとしても、変異しない遺伝子(群)は、進化の誕生とは全く無縁である。云うまでもなく、進化は、全遺伝子群(ゲノム)が変異する=同類他者を作り出すことによってのみ発生する。云い換えれば、全遺伝子の共同体が出来る限り多様な同類他者を作り出すこと(もちろん体内適応という条件を満たして)こそが、全ての進化の源泉なのである。
%E9%80%B2%E5%8C%96%E3%80%80%E7%B3%BB%E7%B5%B1%E6%A8%B9.gif

■まとめ
ここで、あらためて前回の記事『遺伝子の共同体~進化の歴史は共同性の塗り重ね』で述べたことを整理してみます。
1.遺伝子はその全体が常に協働することで生命体を維持しており、群れの構造を有している
2.遺伝子も調和があってはじめて変異適応も可能となる。

ドーキンスは遺伝子を「長期に亙って変異することのないもの(=自己保存するもの)」として定義していますが、そのような遺伝子は現実にありえないということは明らかです。
そして、より重要なのは、全遺伝子の共同体が多様な同類他者を作り出すことこそ進化の源泉であり、遺伝子は変異を生み出すことに最大の意味があります。
ドーキンスのいう利己的・利他的という概念で遺伝子を論じるより、「共同性」という視点で追求していく方が、より生命原理に肉薄できるのではないでしょうか。
■参考投稿
「利己的遺伝子」も「ミーム」も宗教を批判するための道具に過ぎないのでは?
生物学に潜む危うい価値観の諸現象
ドーキンスはなぜ「利己的な遺伝子」を創造したのか~「利己的な遺伝子」の背後にある西洋的思想~
近代科学に混入する倒錯観念・欺瞞観念
以上、参考投稿元はるいネット

List    投稿者 andy | 2009-12-10 | Posted in ①進化・適応の原理No Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.seibutsushi.net/blog/2009/12/916.html/trackback


Comment



Comment


*