2009-06-05

人類の進化と脳容量の拡大 4 ~洞窟の生活~

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画像はこちらよりお借りしましたhttp://archaeology.about.com/od/southafrica/ig/South-Africa/Sterkfontein-Entrance.htm
人類はその誕生と同時に洞窟生活を始めたわけではありません。洞窟生活がいつからはじまったのかを正確に推定することは難しいですが、概ね300万年前からと言われています。
洞窟生活の特徴や現在明らかにされている、史跡や年代についてレポートします。
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洞窟生活の史跡を年代ごとに押えていきます。
★スタークフォンテン洞窟での初期人類の化石人骨の発掘の歴史
 1896年:金鉱山の探索者によって発見
 1924年:内部の調査で小さな頭蓋骨が発掘
初の猿人化石、タウング・チャイルド。1924年タウングという鉱山町の石灰採掘
場から発見された10才位の猿人の子供の化石。発見当時は小さすぎることから、
人類の仲間とは認められませんでした。
 1925年:『ネイチャー』誌上にて、これを アウストラロピテクス・アフリカヌス
       の名で発表
 1947年 ほぼ完全なアウストラロピテクス・アフリカヌス(愛称「Mrs. Ples」)
       の頭蓋骨化石が発掘
 1998年 「リトルフュト」と令名されたほぼ完全な化石足骨が発掘
300万年以上前の固い岩盤層の中にあり、現在も発見途上にある。
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Aはスタークフォンテン洞窟を示す。
このような発掘の歴史経緯からスタークフォンテン、スワートクランズ、クロムドライ及び周辺地域の人類化石遺跡群は人類のゆりかご、人類発祥の地と呼ばれ世界遺産登録されています。そしてこの地域では、アウストラロピテクス・アフリカヌスの頭蓋骨など450万~250万年前の人類化石や330万年前に人類が居住していた洞窟、石や骨でできた道具が多数発掘されています。180万~100万年前のものと思われる火を使用した痕跡も見つかっています。

★人類遺跡の宝庫とされている東アフリカの大地溝帯からも、数百万年前の最古の人類アウストラロピテクスから数万年前のより進化した人類まで多数の化石人類が発掘されているが
ここは渓谷の断崖から発見されており、必ずしも洞窟の跡をとどめていません。しかし、火山地帯であることから地形の変形は十分考えられます。
何より、この大地溝帯の北端にあたるアフリンの谷一帯で、約4万年以上の古さを示すネアンデルタール人の洞窟遺跡が7ヶ所、4~1万年前の後期旧石器時代人の洞窟遺跡が2ヶ所、約1万年前の中石器時代の洞窟遺跡が1ヶ所発見されていることから、移動もとである大地溝帯にいたそれ以前の人類が洞窟に住んでいたと想定することは、論理的に整合します。
しかも、このような洞窟地帯には連綿と人類が住みつき、中でも有名なイスラエルのタブン洞窟は、ホモ・エレクタスからネアンデルタール人まで数十万年にわたって利用されたことがわかっています。人類が隠れ住むのに最適な洞窟がいかに死命を決する砦だったかがわかると思います洞窟と死肉あさりについて

さて、次は洞窟内の様子(スタークフォンテン洞窟)について紹介します。
スタークフォンテン洞窟は海抜1450~1480mの高原サバンナにできた大規模な鍾乳洞の一つです。
洞窟の形成の経過は、以下です。
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土中に出来た空洞が時間を経て地上に繋がっていくのですが、地上からの侵食と土中空洞が繋がり、地上に開きはじめたのは今から約350~300万年ごろと考えられています。
一方スタークフォンテン洞窟で発見されたアウストラロピテクス・アフリカヌスの推定年代は今から約330万~約240万年前とされており、アフリカヌスの推定年代では、洞窟は現在に比べまだ狭く小さい穴でしかなかった可能性があります。
そして、洞窟内は入口より階段で徐々に地下30~35mほど下って行くと、洞窟内部は数万年単位で生成される垂れ下がる大型の鍾乳石や地面から上へ延びる円錐形の石筍や石柱が、至る所に確認できる非常に複雑な鍾乳洞となっている。洞窟内部は複雑な空間が左右上下に立体的につなぎ合っている状態で、「ゾウが生息できる」という意味の「エレファント・チャンバー」などと名称された主要な空洞部分を含め、洞窟内の平面的な幅は東西約200m 南北で約80mほど、そのほかに入口や数か所の細い空洞が横方向へ30m~40mづつ突飛に枝別れして延びているという構造である。鍾乳洞は南北より東西方向に長いのは、水に浸食され易い石灰岩やマルマニ・ドロマイト岩のレイヤ層の成り立ちからであろう。
最深度の場所には透明な水を湛え、小さな生物も確認できる奥行30mほどの地底湖となるスタークフォンテン洞窟は石灰岩の侵食・崩落によって現在の形に形成されてきたと考えられています。
(参照:http://hp1.cyberstation.ne.jp/legend-ej/p-2008safstkf.html)
 
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現在この洞窟は世界遺産に登録され、旅行客でにぎわっています。
その中での感想レポートについても紹介しておきます。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~yossi/SA2002/SAtour_0/SA_daytour.html
はじめてのアフリカ旅行記
http://archaeology.about.com/od/southafrica/ig/South-Africa/Sterkfontein-Entrance.htm

List    投稿者 Hikaru | 2009-06-05 | Posted in 4)サルから人類へ…1 Comment » 

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コメント1件

 mizuguti | 2009.08.04 21:01

地上に進出するには、新たないくつもの外圧に対応しなくてはならなかったですね。
以前金魚を飼っていたことがありましたが、温度が少しでも変わるとすぐに死んでしまいました。
現在地上に暮らしている生物にとっては普通のことですが、海の生物にとって温度変化への適応はとても難関だったに間違いないですね。

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