2009-01-10

中心体の起源は膜に有り?

 中心体は、真核生物においては分裂を司るものであると同時に、微小管という細胞骨格の一部となっている。一方、原核生物の細胞分裂を司っているのは細胞膜であり、細胞を支える構造も膜に存在する。
であれば、原核生物にあって分裂を司る中心体の起源は、細胞膜に存在する可能性が高い。(kumanaさんの投稿はそれを裏付けている)
いつも通りのポチッをお願いします。
ブログランキング・人気ブログランキングへ にほんブログ村 科学ブログへ 

 にほんブログ村 科学ブログへ

膜構造の進化

 原核生物(真正細菌)の細胞膜は、ペプチドグリカンという骨格構造を持っている。
Mur%C3%A9ine.JPGペプチドグリカン
最近では、原核生物にも細胞骨格があることが分かってきているが、構造的には二次的なものであって、浸透圧に抗する骨格は膜の内部にあり、いわば「外骨格」の構造を採っている。(細菌細胞内は能動輸送によって浸透圧は5~20気圧に達する。)
一方、真核生物の膜は、主構造としての機能を持っておらず、細胞内部にアクチンフィラメントや微小管等の細胞骨格が発達している。いわば、「内骨格」の構造である。
cytosk.jpg真核細胞の細胞骨格
だから、細胞自体が柔軟に動くことができ、食作用(エンドサイトーシスやエキサイトーシス)も容易である。
中心体から伸びる微小管も、細胞骨格の一つだから、もともと中心体に相当するものが細胞膜、すなわち「外骨格」の中にあったとしても不思議ではない。

膜機能の進化

原核生物の膜には、認識機能、運動機能に加えて分裂機構が存在する。(ペプチドグリカンも細胞分裂に関与している)
一方真核生物では、認識機能、運動機能は膜に存在するが、主構造は細胞骨格「内骨格」に移行し、膜は、認識機構や運動機能に分化した。
すなわち、認識機能や運動機能など、膜機能の分化(進化)があったと言える。
ただ、真核生物は、原核生物同士が共生してできたと言われているので、ここの進化はおそらく非連続的なもの。
ペプチドグリカンを持たない、マイコプラズマのような細菌が真核生物の元になったと言われており、ペプチドグリカンのような、固い細胞膜を持つ真正細菌では、共生する候補とはならなかったであろう。
したがって、原核生物の骨格たるペプチドグリカンと、細胞骨格たる微小管、ないし中心体には進化過程に断層があって、構造的共通性は無いと予想される。
●残課題
真核生物の浸透圧は細菌に比べて低いのか?細胞壁無しに、どうやって支えているのだろう?
 

List    投稿者 blogger0 | 2009-01-10 | Posted in 未分類 | 4 Comments » 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.seibutsushi.net/blog/2009/01/658.html/trackback


コメント4件

 doUob | 2009.03.14 16:30

なるほど~
よくわかりました。詳しい解説ありがとうございます!
内容の中で、以下の部分がわかりませんでした。よろしければおしえてください。
>実際生物が高エネルギーを獲得していくにつれて、地球のもつポテンシャルは低下(低エネルギー=安定化)に向かっていく。
つまり生命の誕生と同時に地球はそのエネルギーを生物に委ねることになったのである。
これは、地球全体としては閉じた系として考えられる、ということでしょうか?
また、生物側から見た場合、地球のエネルギーが低下していくことが生物にとっての外圧(エネルギーが得づらい)として作用し、エネルギー生成機構を発達させていった、という理解でよろしいでしょうか?

 KAM | 2009.03.15 2:15

chai-nom さんへ
生物進化を地球レベルのエネルギー現象と結びつけて考える見方、とても面白いです。
細胞膜によって「細胞質という小宇宙」を作るというという記述には、はっとさせられました。
実は、今、ちょうど『胎児の世界』(三木成夫著)という本を読んでいて、「小宇宙」に関して次のような記述があり、考えていた最中でした。
「植物は動物の腸管を引き抜いて裏返したものだ。根毛は露出した腸内の絨毛となって、大気と大地に体を開放して、完全に交流しあう」
「動物のからだは、その発生が物語るように、最初から宇宙の一部を切り取っておのれの体内に封じ込め、さらに体表に深い入江をつくって、それを体内に誘導する。」
「動物の食と性がまさに”内臓された”宇宙との交流によって行われることを物語るものであろう」
動物が、体内に宇宙を内臓する前の段階で、一つ下の階層で、細胞が宇宙を内臓していたのかもしれないという気づきを、chai-nom さんの記事から得ることが出来ました。
>つまり生命の誕生と同時に地球はそのエネルギーを生物に委ねることになったのである。
地球と生命という2者で見ると、このような見方もできると思います。
ただ、太陽エネルギーも含めて考えると、別の見方も可能かと思いました。
僕は、生命も地球の一部と見て、生命が降り注ぐ太陽エネルギーをたくわえ、「地球+生命」のエネルギーが上昇しているというイメージを抱いています。
これは、三木成夫さんの「植物は、太陽を心臓として、天空と大地を結ぶ循環路の、ちょうど毛細管の部分に相当する」の影響を受けています。

 chai-nom | 2009.03.18 20:32

doUob さん コメントありがとうございます。
>これは、地球全体としては閉じた系として考えられる、ということでしょうか?
また、生物側から見た場合、地球のエネルギーが低下していくことが生物にとっての外圧(エネルギーが得づらい)として作用し、エネルギー生成機構を発達させていった、という理解でよろしいでしょうか?
このレポートでは閉じた系として記述していますが、なんでや劇場レポート3では宇宙との関係も視野に入れたレポートがUPされています。少し難しいですが、そちらも読んでみてください。
なお地球エネルギーの低下が、エネルギー生成機構を発達させていったという件は、難しいところです。
先回のなんでや劇場では、「偶然の必然」という説明がありましたが、例えば生体膜を獲得したのはなんで?という疑問には、無数の適応バリエーションの中からその新機能を獲得した高分子複合体が後に生物につながったと考えるのが一番しっくりくるように思いました。
現在から約45億年前のことですから、どちらが先か難しい問題ですが、地球エネルギーの低下だけに限らず、高分子化していく(=高い適応力を獲得していく)前生物の進化自体が前生物同士の同類圧力を高め、それも次の高エネルギー状態に向かう(内圧を高める)方向の適応を促進していたと考えられると思います。

 chai-nom | 2009.03.18 20:52

KAMさん コメントありがとうございます。
三木成夫氏の『胎児の世界―人類の生命記憶』という本は多くの人にインパクトを与えた話題の書物だったようですね。私は不勉強で知らなかったのですが、様々な人がブログなどで書評をUPしています。
今度わたしも読んでみようと思います。
ところでこのブログに度々登場する「なんでや劇場」は1回/月に定期的に開催されています。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=600&c=200
この生物テーマもあとわずかで終了しますが、機会があればぜひ参加してみてください。

Comment



Comment