2008-02-20

自然の摂理を逸脱した技術ではないか?

なぜES細胞研究が人に適用できるようになったのか?に関連してクローン技術を扱ってみたいと思います。
10年ほど前にドリーという羊が注目を集めます。
その理由は、クローン技術による世界初の哺乳類の体細胞クローンであったことです。

最近にもこんな記事がありました。

クローン犬1匹1600万円=韓国で商業化、米女性と初契約
世界初のクローン犬を誕生させることに成功したソウル大と提携する韓国のバイオ関連企業「RNLバイオ」は14日までに、米国の女性から死んだ介助犬の複製依頼を受け、飼い犬のクローン化で初めての契約を締結したことを明らかにした。契約額は15万ドル(約1600万円)。今後、巨大な市場であるペット犬をめぐる「クローンビジネス」の加速化も予想されるが、倫理面での批判も出そうだ。
~・ 中略 ・~
ソウル大は2005年に初めてクローン犬の誕生に成功。0.8%に過ぎなかった成功率を現在は25%まで上昇させ、今年1月にはRNL社と協力し、クローン専門施設を設立した。
2008/02/14 時事通信社

クローンってどうなの?と思って調べてみました。
さて、本題に行く前にポッチ とお願いします。
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クローンとは何か

クローンというのは、もともと遺伝的に均一の細胞の集団のことを指していた。いま一個の細胞を適当な条件で培養すると、それは二個に分裂し、四個、八個というように枝分かれしながら数を増やしてゆく。このように枝分かれの結果生まれた、最初の一個と全く同一の性質を持った子孫の細胞を「クローン(分枝)」と呼ぶのである。突然変異を起こしたり、外界に適応することによって性質が変化したような細胞は除外される。
がんの中には、たった一個のがん細胞が分裂増殖して腫瘍を作るものがある。こういうがんはクローンとして増殖しているという。
単細胞生物であるアメーバやゾウリムシも、無性生殖で増えている限り単一のクローンである。クローンは均一な性質を持っているので生活環境が変化した場合、全部が死滅してしまうか、別のクローンと有性生殖をして遺伝子を交換することによって生き残りを計るほかない。

生命倫理を問う「◎クローンとは何か」より抜粋


クローン技術

哺乳類のクローンを生み出す方法は、受精後発生初期(精子と卵子が受精した受精卵が、その後細胞分裂を続けていく初期の段階)の細胞を使う方法と皮膚や筋肉など成体の体細胞を使う方法の二つに大別されます。
受精後発生初期の細胞を使う方法では、成体の遺伝的特徴が分からないので、同じ受精卵からとった細胞が成長した個体はどれも全く同じ遺伝的特徴を持ちますが、この方法では生まれてくる個体の遺伝的な特徴をあらかじめ予測することはできません。
一方、成体の体細胞を使う方法では、理論上新しく生み出される個体は親とほとんど同じ遺伝子の組み合わせを持ちますので、生まれてくる個体の特徴を予測することができます。

科学技術庁研究開発局ライフサイエンス課「クローンって何」より抜粋


クローン技術は遡れば50年余りの歴史があり、優良な品種から優良な子を得ようという畜産技術としての開発がその発端であったようです。
そして、今日では遺伝子操作の技術とあわせ用いて、医療などについても期待されている技術です。(この当たりは、なぜES細胞研究が人に適用できるようになったのか?に記載されています。)
しかし、生命倫理の観点から言えば、

日本では「自然」という概念があった。生殖によらない人間の複製は、まさしく「自然」の理に反する。
生命倫理を問う「◎生命倫理の観点から」より抜粋

しかし、その一方で

これほどまでに自然を破壊し、人工の理念が作り出してきた近代社会が、いまさら「自然」を持ち出して説得力があるだろうか。


生命の理解、そして「理解」の理解。に以下が引用されていました。
京都大学理学部三年の田中さん(仮名)は、文系就職を考えている。
セミナーに参加したりOB訪問をした企業は、銀行、証券、メーカー、コンサルタントなど40~50社に上る。
高校時代の化学の教師に影響され、ノーベル賞受賞者を輩出してきた京都大に進んだ。だが、入学してみて「成果が出るまで10年、20年かかることもある。僕にはそこまでやりとげられるだろうか」と迷いが生まれた。
より広い社会に関心が移り、就職活動で企業を回るうち、世界を相手に仕事ができる総合商社に魅力を感じ始めた。


これは雑感なのですが、成果がでるまでに時間がかかるという理由ではなく、科学や生物などで追究しようとしている技術が自然の摂理を逸脱した技術であるが故に、現実味が無い技術(課題)になっているという事ではないのでしょうか?
生物史とは人類までを貫通した摂理そのものであり、人類社会の普遍構造が見えてくるように思われます。つまり、この自然摂理(生物史)を学ぶことが現実そのものでもあります。
現在、求められいるのはこのような認識転換ではないのでしょうか。

最後までお付き合いありがとうごまします。m(_ _)m

List    投稿者 yoriya | 2008-02-20 | Posted in ⑧科学ニュースよりNo Comments » 

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