2021-01-14

食と農から世界変える本物の農業への挑戦――下から新しいモデル創造する時代へ

共同体社会での「家族農業の挑戦」~国連家族農業の10年  リンク 

>日本の零細農業(古来から続いて来た「自然との共生関係」)の在り方が注目されており、コロナ禍後の世界は、共同体社会群(自主独立は自集団で食料生産が出来る)がネットワークで結ばれ有機体(生命原理に則った進化形態)になるとの予測もあります。

今回は、日本の小規模の第一次産業(農業・漁業)で共同体社会の実現態のなろうとしている事例を紹介します。

長周新聞 に記載されている

「食と農から世界変える本物の農業への挑戦――下から新しいモデル創造する時代へ リンク」を紹介します。

又「小規模漁業が輝く未来づくりをめざして リンク」の記事もあります。

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はじめに

いま世界は大きな危機に立っていると思う。一つは自然環境の激変と自然生態系の変化に襲われてきていることである。そしてもう一つは、自然破壊の要因といえる世界経済と国際社会のあり方である。現在の産業構造は人間が簡単便利で何でも欲しいものをいつでも手に入れ環境も快適で移動も通信も思いのままという暮らし方を追求してきた。その結果、お金を軸とした社会構造を築き巨大な社会システムで人工的な都市と機械に囲まれた暮らしを作ってしまった。富の集中と大多数の貧困とを生み出してきている。

しかしこのコロナ禍によって世界貿易と交流が激減しその崩壊が始まった。国内でも人の交通が止まり、産業が衰退し地域社会が壊れるような状況にある。ここからの転換とこれまでの富の集中と貧困の拡大の問題にどう答えていけるかが問われている。こうした局面でどう立ち向かっていくかを考えてみたい。

サトウキビから考えること

種子島ではサトウキビの栽培と安納芋の栽培が盛んである。しかし農業中心の島で農業の崩壊局面にある。サトウキビ栽培について考えてみる。

サトウキビは島の中心にある大きな製糖工場で精白糖に製造される。ほとんどの栽培農家はここに原料として持ち込む。収穫量は一反当たり6㌧もあればいい方だ。キビの糖度によって買取価格は異なるが平均1㌧2万円であり、粗収入は反当(10㌃)12万円にしかならない。しかも収穫の手作業が高齢化で困難となり機械作業を頼むと四万円超ほどかかるので残るのは3万~4万円ほどにしかならない。これでも栽培交付金などで下支えされていての結果。砂糖の関税が撤廃されて国庫収入が無くなり交付金がゼロになったらやっていけない。すでに日米FTA自由貿易による砂糖関税撤廃が決まっているので絶望的である。しかしこれは島の農家には知らされていない。南西諸島のサトウキビ栽培は畑の半分からそれ以上を占める。離島の農業経済にとっては致命的だ。

普通のサトウキビ栽培と大工場での精製糖はもちろん必要である。だが、精製してしまうと世界中どこで作っても同じ商品となる。そのため価格差でしか差異がなくなる。この砂糖生産を守るためには関税などの対応と交付金による生産奨励しかない。この栽培は糖度と量の問題でしかなく農薬化学肥料に頼った圃場面積拡大と機械化によるものとなる。それでもチンチバックやメイチュウなどの病害虫に悩まされる。さらに米国の異性化糖が輸入を拡大していく。

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しかし、種子島に残る小さいながらも伝統的な黒糖生産がある。登窯によって薪を燃やして三段の舟型鉄平底鍋に搾汁液を入れて、流れ作業で煮詰めて黒糖にするもの。サトウキビも黒糖専用に栽培し、量を追わず噛んで美味しいと感じられるように育て完熟させる。これを一本一本手刈りし虫喰いや折キビを排除選別して原料とする。生産者や畑ごとの単位で製造して味へのこだわりが強い。

種子島は南西諸島北端にあり糖度は平均5度から10度近く低い。甘さを抑えたミネラルバランスのいい美味しさになっているのである。これが黒糖を直接食べる文化が昔から定着した理由である。野良仕事のお茶請けや疲労回復や飲み過ぎの翌朝などで使われている。植物由来の鉄分やカルシウム、カリウム等が含まれる。

この黒糖作りはサトウキビ栽培から製造、販売まで農家自身が行っている。この結果、反当粗収入は40万円から50万円程になり経費を引いても30万円ほど残る。平均四反歩で粗収入200万円と田舎ではまずまずの収入である。

つまりサトウキビ栽培は単に工場への原料提供となると低収入に喘ぐことになる。しかし栽培から加工、販売まで農家が手掛けると収入は悪くない。しかも農家にとっては、自分の栽培したものがどのように最終的に消費されるか、生産と消費の全てに関わることが可能になる。生産から消費までのフードシステムを農家が主導権を持って関わることが可能になるのである。消費者の喜ぶ顔を見ることができる。ここから畑での仕事の仕方が変わるのである。すると農家の仕事が変わる。

大量生産大量消費を前提とした画一的な製品としての精白糖は世界中どこでも同じ製品である。差異は価格だけ。価格低減に流れていき生産者は苦しくなる一方である。栽培も可能な限り機械化工業化し効率を求めて化学肥料農薬頼みになっていく。果てはDNA操作種苗が出てくることが危惧される。世界的多国籍企業の出番である。

しかし、手作りの黒糖は、畑ごとに味が違う。サトウキビ一本ずつ味が違うのである。当たり前だが、その味がそのまま黒糖に出る。この自然からのミネラル食品の味わいと価値は、脳疲労回復を重視する博多の病院Boocsクリニックで患者さんに紹介しているほどである。この価値をどう伝えるか、こうした希少な伝統の黒糖作りを継承し発展させていきたい。

いま問われているのは農業の価値観が変わること。お金のために効率と平均化と見てくれ重視などの食べ物の商品化生産から、生命が喜ぶ生命系の生産循環に携わることを自覚することなのである。これは手仕事や五感を使った黒糖の製造作業などで心と体の統合的発達と充実をもたらすことになる。黒糖作りは、繊細な感覚と運動能力と味へのこだわりという芸術的な感性が求められている。ここにサーファーの聖地としての種子島への移住者たちの参加がある。今、島に移住したこうした若者たちと古老の先輩たちからの技術継承に取り組んでいるところである。それは本物の農業のあり方に迫る挑戦となっている。彼らは昔からの百の仕事をこなす自給型の生き方、百姓になるという。職人の価値観に似ている。

(中略)

農業の未来への挑戦――生産と加工と消費を結ぶこと

黒糖作りでサトウキビ栽培と収穫と加工、そして販売まで一貫して携わることで見えてきたものは何か。土作りの意味である。土壌分析をして植物の必要なミネラルバランスをどう回復させるか、その有機肥料資材の作り方である。また土の団粒構造は土壌菌と草の根から作られること、これをどう形成していくか。いかに土壌菌、それも枯草菌中心の畑を作るかである。慣行栽培の畑の作物は収穫後腐る。山は枯れるのである。山の土壌は枯草菌によって作られている。この関係を学ぶことだ。

種子島では昨年安納芋に元腐病が大発生した。原因は糸状菌である。この糸状菌は腐敗菌である。これを食べて繁茂するのが本来は枯草菌なのだという。土壌を殺菌剤によって殺菌し、化学肥料使用と妨害虫への農薬の多投は畑を弱らせる。こうした慣行栽培と連作は病害によって衰退していく。

農産物栽培は何のためか、誰のためかという基本に立ち返る必要に迫られている。お金のためという。しかしそれすらも確保できない状況に追い込まれているのだ。儲かるのは農業機械企業、化学肥料企業、そうして種苗会社を買収した多国籍化学企業である。肝心の農家は衰退する一方である。そして美味しくなくただ価格だけが安い農産物が氾濫していく。

地域づくり村づくりとコモン(共有)の価値

現在の社会は崩壊へ向かっている。ゲームは一人勝ちし他の人に掛け金が無くなったらおしまい、ゲームオーバーである。そうしたらガラガラポンでやり直しである。今までは戦争で廃墟としてやり直してきた。もうそれは不可能である。人類の絶滅しかない。 では、今まで述べてきたように農と食から作り直すこと。命にこだわる食のつながりで新しい産業と社会を生み出すにはどうすればいいだろうか。すでに日本各地でも、いや世界各地でもその動きは起こってきている。その共通語は自然とともに生きることである。

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では、新たな価値観と協同の創造力のために求められている価値とは何だろうか。これは理論だけではできない。効率は時間概念とともにある。これを捨てることは、非効率ではなく時間を命とともに積んでいくのだ。一定時間で一定の生産物を生むのではない。手仕事や身体全体で関わる仕事は、作ることに集中し短い時間を長く、長い時間を短く感じることである。これはものづくりの自分との関係性の中にある固有性であり、他人と同一の基準で図ることはできない。手仕事をなす人には分かる自明のことである。

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他人を意識しないものづくりはない。自己の表現としてのものづくりは、全て他人との関係性においてある。他人との関係性と社会性を直接に意識しない金銭的価値だけで作るものは価値がない。あるいは擬制的価値である。偽物である。それを作る自分もまたそうなる。

何を言いたいか。資本主義の問題を語りそのシステムを変えようとする人もまた資本主義の中で生きている。これは空気の中で生きているのにそれを自覚しないようなもの。いつの間にかその価値観の中で存在しているのである。だからいつも不安の中にいて分断と競争の中にいる。お金がなければ生きていけないと思っている。そしてお金に依存し食べることから暮らすこと労働すること、全てが金銭的価値の中で動いているのだ。

実は、人はお金がなくても生きていける。家族も養うことができる。それはどうやるか。まずは食べ物、住まいを自分たちで確保することからだ。いま日本の田舎は畑も土地も古民家も溢れかえっている。市町村の補助金も多く、工夫すればほとんどお金がなくても何とかなる。問題は食べ物を作り古民家を再生し、そして村人たちと様々な行事や村仕事をこなすことである。

世界を変えていくのは、いきなり巨大システムの上部を破壊するのではなく下から小さなコミュニティの単位でモデルを創造しつなげていくことだと思う。それはいま世界中で起きている。これまでの有力なリーダーが出てそしてそれに付き従う集団ではなく、多様で温かく愛と希望を持った小さなグループが主導していく。その価値観は、「アメニモマケズ」であり「イワンのバカ」の世界である。いま問われているのは新たな人々の未来である。

(パルシステム連合会顧問)

List    投稿者 seibutusi | 2021-01-14 | Posted in ⑧科学ニュースよりNo Comments » 

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