2013-02-11

アインシュタイン、その光と影 2

相対性原理はどのようにして生まれたのか?

『光』の解明・・・アインシュタイン最も情熱を注いだ対象は『光』だったと言われています。伝記の中にも「~16歳のときにもし光に乗ったらどんな世界が見えるのだろう?という疑問を持った~」と記されています。そして晩年には、「~そんな子供しか抱かないような疑問を自分は一生問いかけ続けて、すっと子供のままの人生を送ってきた~」と述懐しています。
                              
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ところで、19世紀半ばの物理学で進展が著しかったのは『電気』や『磁気』の分野です。電磁波に関する知見も急速に広がり、その影響もあって光速度の計測も精力的に行われていました。
          
その中で大いに物理学者たちを悩ませていた問題が2つありました。

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ひとつ目は「光は粒子なのか?あるいは波動なのか?」というニュートンの時代以来、まだ決着のついていない問題でした。19世紀半ば~20世紀初頭には光を「波動」と考えるのがやや優勢でしたが、現代と違って当時は「粒子」と「波動」は全く別物と考えられていたこともあり、「波動」である光が宇宙を伝播するためには、媒質の役割を果たす何らかの物質が宇宙空間に存在するはずだと予想されていました。
                     
そして2つ目の問題は、公転や自転という運動をしている地球から発せられた光の速度は、それがどの方向に向いていてもほとんど違いが見い出せないことへの疑問でした。
                      
この2つの難問に対する共通の答えとして有力視されていたのが、一見何も無いように見える宇宙空間の中に媒質として機能する何がしかの物質が存在するという仮説でした。その仮想の物質を「エーテル」と名づけ、その性質や検出手段の研究に多くの物理学者が躍起になっていたのが19世紀後半という時代です。「エーテル」のイメージは、宇宙空間の中を流れている“風”や“空気”のようなものであり、同時に光の速度を一定にする“向かい風”あるいは“追い風”の役割も果たしていると想定されていました。
                   
「エーテル」の検出実験の中で突出した精度が期待できる実験方法を考案したのがマイケルソンとモーリーです。実験は1887年に行なわれましたが、後に『失敗したことで有名になった実験』と呼ばれるようになったことからも分かるように、「エーテル」は検出されませんでした。その後、追試も頻繁に行われましたが、結果はすべて“失敗”・・・、そして1970年代のレーザーを使った追試がダメ押しとなって、今日では「エーテル」の存在はほぼ100%否定されています。

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一方19世紀に大きく進展した電磁気学の内容とはどのようなものだったのでしょうか?
電磁気学発展の中核に居たのがファラデー・マックスウェル・ローレンツ・ヘルツの4人の学者です。中でもマックスウェルは、19世紀初頭にファラデーが幾何学的考察から見い出した電磁力に関する法則をもとに、それに修正を加えながら1864年に数学的形式(=方程式)としてほぼ完成させました。これは後にヘルツの手によってさらに洗練され、現在でも通用する電磁気学の基盤を成しています。
そしてマックスウェルの方程式からは、電磁波の速度を示した波動方程式も導かれました
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※εは誘電率:真空中ではε0=8.85×10-12N/V2

※μは透磁率:真空中ではμ0=1.26×10-6N/A2

上記の波動式のεとμにこの数値を代入すると、真空中の電磁波の速度は約30万km/sとなり、光速の実測値とほぼ同じ値になります。この点は、マックスウェル自身も指摘しており、光は電磁波の一種ではないかと彼も考えていたようですし、これも後にヘルツによって証明されます。
          
しかし何よりも重要なのは、電磁気学で導かれた方程式によると、電磁波や光の速度は真空中では常に一定になり不変であるという点です(この点は後にローレンツが明快に予測して理論化しています)。そして「エーテル」はどうやら存在しないらしいという実験結果を加味すると、地球という運動体から観測しようが、宇宙のどこかの静止したポイントから観測しようが、光の速度には変化がない、つまり光とは発光体や観測者の運動状態にかかわらず常に速度一定だという結論が導かれてしまうのです。
                    
ニュートン力学によれば、ある速さで等速運動を行う物体(ex.電車:速度=V)の中で別の速度で運動する物体(ex.ボール:速度=v)を、それらの外から(ex.電車の外で静止している人間が)観測すると、ボールの速度はV+vで計測されます。これを我々は加法定理と呼んでいますが、走っている電車の中で発せられた光を、電車の外で静止している人が見た場合は、この定理に基づくなら光の速度と電車の速度の和(or差)になるはずです。
                    
ところがマクスウェルの方程式によると、光の速度は全ての観測者に対して不変であるという“奇妙”な予測が出てきます。しかも観測結果からは加法定理が成立するようなデータは予想に反してなかなか出てきませんでした。その後何度も追試が行われたようですが、計測事実は翻りませんでした。
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つまり、19世紀後半~20世紀初頭にかけての物理学の世界は、力学の理論的な帰結であるニュートン力学と電磁気学の理論的な帰結であるマクスウェルの方程式には根本的な矛盾が存在することが顕在化し、それが大きな障害となっていた訳です。
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当初はマックスウェルの方程式の方が疑われ、それは近似的なものに過ぎないと考えられていました。それもそのはずで、200年の歴史をもつニュートンの運動方程式とその変換規則(=ガリレイ変換)からは輝かしいほどの成果が蓄積されていましたし、ニュートン力学体系は(電磁気学が極めて観念的であるのに対して)日常の生活実感とほぼ一致するものでもありました。しかし、アインシュタインは逆にニュートンの方を疑ったのです。

★光の速度が観測者や発光体の運動状況によらず一定だとすれば、ニュートン力学やガリレイ変換のどこに誤りがあったのだろうか?

★マックスウェルの方程式が力学分野でも成立するようにするためには、ガリレイ~ニュートンの手によって完成された古典力学にどんな視点を加えればいいのか?

アインシュタインは、これらの命題を机上の厳密な論理思考によって追究し始めます。そして、それまでの物理方程式や定理を徹底的に検証します。このような探求手法を『思考実験』と呼びますが、その中でアインシュタインは、ローレンツが19世紀末に発表した論文(≒光速度一定を前提にした距離や物体の長さの収縮論など)を参考にして、ニュートン力学における『時間』の扱いに焦点を当てます。

・ニュートンはどんな状況でも『時間』が常に一定に流れることを大前提にしたからこそマックスウェルの方程式と合致しなかった・・・     
・『時間』とは状況によって変化する変数のひとつであり、座標的には3次元の『空間』に『時間』を加えた4次元の『時空』を前提に数学的な解釈と演算を行うのが正しい・・・

これらがアインシュタインの結論でした。つまり、ニュートン力学では(x y z)で表現した空間=3次元座標に、それまではパラメーターとしては登場しなかった時間=tを加えた(x y z t)という4次元座標で物理学を記述するのが正解であると主張したのです。
          
不正確になることを承知でやや数学的に書くと、(X1 Y1 Z1)と(X2 Y2 Z2)という2つの座標の空間的隔たりを生むために要した時間をtとすると、別の座標系での空間的隔たり(X’1 Y’1 Z’1)と(X’2 Y’2 Z’2)を生じるために要した時間t’との関係において、tとt’は同じように流れていると、ニュートン~ガリレイは見なしていました。しかし、アインシュタインはtとt’は同じ流れ方はしない、さらに座標系の変換には『時間』の流れ方の変換要素も含まれる4次元以上の変換規則が必要だと考えたわけです。
          
これが、多くの入門書でエキセントリックに書かれている「時間が伸びる」「長さが縮む」ということの意味です。つまり、その物体が置かれている状況や運動状態によって『時間』も『空間』も変化するというのがアインシュタインの相対性原理の骨子です。もちろん、その変位規則も前述のローレンツが考案した「ローレンツ変換」によって定式化されており、数学的に記述することが可能になっています。

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個々の数式は別にして、概要自体はわかってみると意外に単純な話なのですが、ほぼ常識のようになっている『時間』という絶対基準を新たにパラメーターに加えて、物理学の公理を書き換えるという発想はなかなか出てくるものではありません。ただ、相対性原理をアインシュタイン1人だけの成果と見るのは誤りで、マックスウェルやローレンツらの電磁気学に関する研究の蓄積がなければ、アインシュタインの相対性原理は生まれてこなったでしょう。その意味で、アインシュタインの相対性原理は当時の物理学における成果の“塗り重ね”の産物です。
          
むしろアインシュタインの偉大さは、物理学に限らず自然科学全体を統合的に語ることのできる理論への渇望が突出していたいう点です。だからこそ、過去の研究成果の検証の緻密さは群を抜いていたと思われます。言わば『温故知新』による正統的な発想の柔軟さ、そして統合理論への欠乏、この両輪によってアインシュタインの相対性原理は花開いたのです。
                                              by 管理人

List    投稿者 staff | 2013-02-11 | Posted in ⑬相対性理論・量子力学・素粒子No Comments » 

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