2012-01-03

竜(龍)の起源

明けましておめでとうございます。
今年も正月恒例の干支にちなんだお題として、『時代の最先端?!オスが出産する~タツノオトシゴ~』に続いて、『竜(龍)の起源』をお送りします。
竜(龍)は、世界中の神話・伝説にみられ、竜やドラゴンと呼ばれたり、あるいは蛇の姿をしたりと、その種類は膨大ですが(関心のある人は「幻想世界神話辞典」を参考にしてください)、ここでは中国の伝説に起源をもつ竜を紹介します。
↓写真は「九龍図巻」陳容画(南宋) Wikipediaより。
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最初に竜の概要から(by Wikipedia

竜は神獣・霊獣であり、麒麟・鳳凰・霊亀とともに四霊のひとつ。
『史記』における劉邦出生伝説をはじめ、中国では皇帝のシンボルとして扱われた。
水中か地中に棲むとされることが多い。その啼き声によって雷雲や嵐を呼び、また竜巻となって天空に昇り自在に飛翔すると言われる。
南宋時代の博物誌『爾雅翼』では竜の姿を「三停九似」、つまり首~腕の付け根~腰~尾の各部分の長さが等しく、角は鹿、頭は駱駝、眼は鬼(幽霊)あるいは兎、身体は蛇、腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛にそれぞれ似るという。
また口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っていると言われる。

では、本題の竜(龍)の起源です。
それは、黄河流域でも長江流域でもない、新石器時代の中国東北部、現在の遼寧省を流れ渤海に注ぐ遼河(りょうが)の周辺で生まれました。この地の新石器文化は「遼河文明」と呼ばれ、興隆窪(こうりゅうわ)文化が最初の文化です。
(以下は、『ニッポン民俗学』の「龍と鳳凰、そして蛇—大陸の北と南からニッポンへ来た文明」からの抜粋で、安田喜憲氏と鳥越憲三郎氏の著作が元になっています。)
↓遼河文明は、地図右上に「興隆窪文化」とあり、黄色で囲んだところ。日本を守るのに右も左もないからお借りしました。
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▼龍の生い立ち
現在見つかっている最古の龍と思われるものは、興隆窪文化(8200~7400年前)期の揚家窪(ようかわ)遺跡から発掘された約8000年前の、地面に石を置いて形作られた2匹の龍(1.4メートル、0.8メートルの長さ)だ。
隣接する内モンゴル地区の敖漢旗(ごうかんき)遺跡では、土器に龍が描かれていた。少し遅れる査海(さかい)遺跡では、揚家窪遺跡と同様に石で形作られた、約20メートルの巨大な龍が発見されている。そこでは赤い龍を浮き彫りにした土器も見つかっている。
興隆窪文化に続く趙宝溝(ちょうほうこう)文化(7400~6500年前)に属する小山(しょうざん)遺跡からは、鹿・イノシシ・鳥の頭を持ち、しっぽは魚の尾びれで全身がうろこで被われた「龍」が描かれた土器が出た。
さらにその後続の紅山(こうざん)文化期(6500~4900年前)の牛河梁(ぎゅうかりょう)遺跡で発見された約6000年前の玉の龍も、イノシシの顔をしていた。同じ紅山文化に属する内モンゴル地区の遺跡でのイノシシ龍は、何と馬のたてがみを持っていた。
↓左は牛河梁遺跡の猪龍(蓮の蕾より)、右は内モンゴル地区の猪龍(ニッポン民俗学より)
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「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、角と耳がありイノシシの顔だ。
「遼河文明」は、森や草原そして川に棲む様々な動物の意匠(デザイン)に満ちている。イノシシや馬、それに魚などを中心に、森・草原・川の動物トーテムが複合したものこそが龍だと言える。それは同化・統合を繰り返す、後の中華文明のシンボルとなっていく。
▼最古の玉文明、女神への祈り
「遼河文明」が、長江文明に先行する、最古の玉(ぎょく)文明であり、約6000年前の紅山文化こそ、玉と龍の文明と呼んで差し支えない。
この秘密は、ステップ・ルート経由の西域との交流にある。ステップ・ルートで西方に行き、天山山脈の南麓に回れば、そこはタリム盆地(狭義の「西域」)で、玉の産地であった。
「遼河文明」のもう一つの特徴に女神像がある。それは大地の豊穣を祈願する大地母神である。(わが縄文文化の土偶もその伝播を受けた女神像と考えてよい。)
これで三つが出揃った。彼らは、複合トーテムの龍を信仰し、西域との交流による玉文化を育み、豊穣をもたらす大地母神である女神に祈りを捧げていたのだ。そこへ寒冷化が襲う。
▼5000年前の寒冷化の衝撃
約5000年前、天候が激変し再び寒冷化した。北方にいた遊牧民が南下し始め、紅山文化の人々を圧迫する。これに押されて、紅山文化を担っていた人々は南方の各地へ離散し、遼河の紅山文化は衰退する。
長江下流域にたどり着いた人々の影響によって花咲いたものが、龍を持つ玉文化の良渚文化である。良渚文化の玉龍には角と耳があるイノシシの顔である。一方、南方には古くから蛇信仰があった。龍は蛇と習合して完成した
▼南方での龍信仰の深層:蛇・大地・地下
南方では龍の性格が少し違う。古くからの稲作地帯である湖南省・洞庭湖(どうていこ)周辺は「龍宮」伝説の宝庫で、浦島説話とほとんど同じ話が多くある。ただ、日本の浦島説話では「乙姫」は「海神」の娘だが、ここでは「龍神」の娘だ。似た話は、古事記の山幸彦が「海神」の娘と結ばれ、姫がワニの姿となって子を産む神話である。そう、長江流域や日本では、龍の正体は水中に棲むワニでありなのだ。
中国南部では、蛇への信仰が龍信仰に習合したのだ。
蛇はあらゆる「循環」のシンボルである。脱皮に象徴される「死と再生」のシンボルであり、水の循環のシンボルでもある。蛇は雨を呼び、地下水を呼ぶ。そして蛇は突き詰めれば、母なる「大地」そのものへの信仰である。年ごとに豊穣を繰り返す「地下」の不思議への信仰でもある。
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以上、龍の起源と成長していく歴史を追ったが、安田喜憲氏は、
幼年期の龍や蛇は、森の文明=自然共存的で前都市的な文明に対応し、
成長した龍は、草原の文明=自然破壊(あるいは統制)的で都市的な文明に対応する
とまとめている。
如何でしたか?龍は「同化と統合を繰り返す、中華文明のシンボル」だったのですね。だから王権の強化とともに龍の力も膨張していく。
しかし一方で、リンゴの木村さんが見た龍もおり、こちらは元々の複合トーテムの龍を色濃く残し、超越存在を象徴するもののようにも思われ、神秘的で魅力ありますね。
では、今年も神秘的で魅力ある謎に迫って行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

List    投稿者 okamoto | 2012-01-03 | Posted in 6)“祖先の物語”番外編No Comments » 

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