2011-03-29

「続・人類の拡散」シリーズ ~複数回成功した「出アフリカ」~

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 こんにちわ。arincoです。
 「続・人類の拡散」と銘打って始まった本シリーズ。
 前回までは
 アウストラロピテクス
ホモ・ハビルス
ホモ・エレクトス
ホモ・ハイデルベルゲンシス
ホモ・ネアンデルターレンシス
について、発見場所骨格的特徴気候を整理してきました。今後、それぞれの種の通点と異なる点を追求していく予定です。
 特にこの間明らかになった事は、各種を分けているものは、「骨格」という事です。従って、骨格については、今後特に注目していく必要があります。
 さて、今回は今後の考察に先立って、我々の主目的である「出アフリカ記は本当か」という視点に一度立ち返り、現状分かっている範囲での「出アフリカ記」についてまとめておく事を趣旨としています。
 今回のエントリーは「雑記帳」というサイトに拠る所が大きくなっています。雑記帳さんは、最近の人類学関連の研究成果を小まめに投稿されており、素人の追及にとって非常にありがたい存在です。興味のある方はぜひご覧下さい。
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1:ホモ・サピエンスの出アフリカは何回あったのか? 
 一般的にホモ・サピエンス(以下原生人類)の出アフリカは5~7万年前に行った1回のみ成功したと言われています。しかし、本当に1回のみなのでしょうか?近年の考古学的研究結果からは、少なくとも2回は成功したのではないか?という説も有力視される様になりました。
 そもそも、ホモ・サピエンスはアフリカ発なのか?という根本的な疑問もありますが、これは、現在、アフリカで見つかっているオモ1号、2号といわれる化石が約19.5万年前、ホモ・イダルトゥと言われるホモ・サピエンスに繋がる種が16万年前であり、ホモ・サピエンスがアフリカ発である点は一旦認めてよかろうと考えています。
 さて、第一回目の出アフリカは、概ね10~15万年前に行われました。例えば、レバント(東部地中海沿岸地方)では、10万年以上前の原生人類の化石が発見されています。また、12万年前にアラビア半島に既に進出していたこともほぼ確実になっています。 さらにインドでは10万年前のアフリカ北東部の石器と同様の石器が見つかっています。
 この様に、少なくとも第一回目の出アフリカでインド付近にまでは進出していた可能性が高い事が分かっています。
 加えて、まだ確定していませんが、中国で発見された原生人類の化石(柳江人)の生存時期は少なくとも13.6万年前まで遡り、ジャワ島で発見された12.5万年前頃の歯は、現生人類のものと推定されています。
 
 以上を総合して考察すると、1回目の出アフリカによって、原生人類はかなり広範囲に渡って拡散したのではないかと考える事が出来ます。
 
 
 
2:1回目に出アフリカした原生人類は、絶滅してしまったのか?
 この様に1回目の出アフリカでかなり広範囲に拡散していたと思われる原生人類ですが、一般的には、全て絶滅してしまったと言われています。
 その根拠としては、レバントの遺跡の原生人類の化石が10万年前と4万年前の間に全く見つかっていないというものです。(他の地域も同様)そして、その原因としては、ネアンデルタール人に駆逐されたと言われています。
 しかし、本当に絶滅してしまったのでしょうか?
 この説を覆す有力な研究としてレバントの石器文化の変遷の研究があります。結論から言うと、レバントの石器文化を丁寧に追っていくと、原生人類はレバント北部からは撤退していたが南部で生存していたと推測でき、絶滅してしまった訳ではないという事が分かってきました。
 尚、現在、出アフリカの成功回数が1回であるという説は、ミトコンドリアDNAやY染色体の分析を根拠にしていますが、この事に関して雑記帳さんは、
 

 現生人類は7万年前以前に、レヴァントだけではなく東南アジアや東アジアまで進出していました。しかし、6万年前以降に出アフリカを果たした集団が拡散したさい、各地の先住現生人類集団にたいして数で優位に立ち、先住現生人類(あるいは、ネアンデルタール人のような先住の非現生人類も)を吸収しました(両者の間で混血があったものの、先住現生人類のミトコンドリアDNAやY染色体の系統が失われたということです)。そのため、現在の非アフリカ人の遺伝的多様性は乏しくなり、現生人類の成功した出アフリカは1回だけだと見えるようになったのでしょう。
 ヨーロッパにはじめて進出した現生人類は上部旧石器文化のオーリナシアン(オーリニャック文化)を携えていましたが、オーリナシアンはレヴァントでも外来文化として出現し(レヴァントの上部旧石器時代を6期に区分した場合は、第3期または第4期以降)、その起源地をザグロス地域に求める見解もあります。
 アフリカ東部より紅海を渡ってアラビア半島から南アジアへ進出し、そこから世界各地に進出した現生人類が、現代の非アフリカ人のミトコンドリアDNAやY染色体の祖先系統となり、そのなかで、南アジアからザグロス地域に進出してオーリナシアンを築いた現生人類集団が、レヴァントやヨーロッパで先住人類集団を数で圧倒して吸収した、とも考えられます。
 
 もちろん、このオーリナシアン集団だけではなく、その後にも南アジア起源(究極的にはアフリカ起源ですが)の現生人類集団がレヴァントやヨーロッパへと拡大したのでしょう。その結果、7万年前以前に出アフリカを果たした現生人類集団の遺伝的痕跡は、現代の非アフリカ人には見られなくなったのだと思います。http://sicambre.at.webry.info/200805/article_14.html

 と考察しています。
 この見解は単純な推定ではなく、考古学的成果とも関連させている点で非常に興味深く、かつ納得のいく見解です。
 
これらの事を総合すると、第一回目に出アフリカした現生人類も絶滅せず生き残ったと考える方が出来るでしょう。
 
 
 
 3:初期原生人類や他種との交配の可能性はあったのか?
 従来、ホモ・サピエンスと他種との交配はなかった。と言われていましたが、上記、1,2、を踏まえれば混血説も十分に考えれます。
 実際、最近の研究成果でネアンデルタール人の遺伝子の少なくとも4%以上は現人類と同じ事が分かりました。また、

 また、デニソワ人と現代人との核DNAの比較から、メラネシア人のゲノムの4~6%はデニソワ人に由来すると推測されています。このことから、デニソワ人は後期更新世のアジアに広く存在した可能性が示唆されています。もっとも、デニソワ人の居住地域を経由した一部の現生人類集団が、デニソワ人と混血し、その一部の子孫がメラネシアへと進出したとも考えられますから、デニソワ人が広範囲に存在していたか否か、現時点では断定の難しいところです。今後、デニソワ人のゲノム解読がさらに進展し、より多くの現代人やネアンデルタール人との比較が進めば、デニソワ人の存在範囲や進化系統樹における位置づけについても、今よりも詳しく分かるでしょう。http://sicambre.at.webry.info/201012/article_24.html

 とある様に、サピエンスでもネアンデルタール人とも違うデニソワ人と現代人との核DNAの比較から、メラネシア人のゲノムの4~6%はデニソワ人に由来すると推測されています。
 この様に遺伝子学的にも証明されつつある今、我々がホモ・サピエンス・サピエンスを主流としながらも、様々な近縁種と交配した可能性は十分にあるのだろうと推測する事が出来ます。
 
 
4:出アフリカの理由は?
 それでは、そもそも出アフリカはなぜ行われたのでしょうか?その理由としては、技術革新論や気候論がありますが、外圧=内圧という概念から考えると、気候変動が大きな要因ではないかと推測できます。
 事実、近年の研究からは、

 湖のコアと盆地からの地震の記録とが示しているのは、135000~90000年前のアフリカ熱帯地域は、最終氷期極大期(35000~15000年前)以上の旱魃に見舞われていたということです。これは、自然環境と生態系に重大な影響を及ぼしました。たとえば、現在マラウイ湖の水深は706mですが、当時は125mにまで低下し、塩分・アルカリの濃度が上昇しました。
 こうした乾燥状態は95000年前頃より緩和し始め、マラウイ湖の水深は、60000年前頃には現在の水準近くにまで回復しました。こうした気候変動は、初期現生人類の人口減少とその後の急速な人口回復(ビン首効果)、さらには出アフリカにも関わりがあると思われます。http://sicambre.at.webry.info/200710/article_16.html

 出アフリカには気候が大きく関係していた、とする研究が報道されました。イスラエル南部のネゲヴ砂漠の洞窟の錘乳石・石筍・二次生成物を調べたところ、異常に降水量の多かった時代が14万年前頃に始まることが分かり(11万年前頃まで続き、13万年前頃から12万5千年前頃までがもっとも降水量の多かった時期とされます)、これは現生人類の中東への最初の進出時期と一致する、とのことです。多雨期にはサハラ砂漠やシナイ半島の砂漠が縮小し、それらの地域を経由して現生人類が出アフリカを果たしたのだ、とも推測されています。http://sicambre.at.webry.info/200709/article_12.html

 とある様に13.5~9万年年前のアフリカ熱帯地域に大旱魃が起きていたことが分かっています。
 
 一方、14万年前頃から中東全体は多雨地域となり、11万年前頃まで続いた事が分かりました。つまり、乾燥化→砂漠化によって原生人類にとって住みにくくなったアフリカからの決死行が出アフリカだったという事です。
 
 第二回目は7.5万年前にスマトラ島のトバ火山の大爆発が起きる等、こちらも大規模な気候変動が起こっています。
 
 やはり、原生人類はアフリカの気候変動により、やむなく移動した。という事なのでしょう。
 
 
 
5まとめ
 以上をまとめると
・原生人類の出アフリカは複数回存在した。少なくとも2回は成功していた。
・考古学的成果やDNA鑑定を合わせるとネアンデルタール人等の異種との混血の可能性は高い。
・出アフリカの主要因は気候変動という外圧の変化。

という事になります。
今後これを軸にしてさらに追求を深めて行きたいと思います。お楽しみに

List    投稿者 arinco | 2011-03-29 | Posted in 5)人類の拡散3 Comments » 

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コメント3件

 エスペロ | 2014.06.14 5:44

ありがとうございます。大変参考になります。最近、斉藤成也氏(国立遺伝学研究所)と、篠田謙一氏(国立科学博物館)の話を聞きました。それらによりますと、ホモサピエンスの出アフリカは何回かあったようです。10万年以上にあったホモサピエンスによる出アフリカは、どうも成功しなかったようです。成功した第1回の出アフリカは、6万年前だそうです。彼らがオーストラリア先住民らの祖先です。、第2回は、その数千年後で、ネグリト人の祖先です。斎藤氏は、ネグリト人のDNAを調べると言っていました。第3回が、ユーラシア人(コーカソイドとモンゴロイドの共通祖先)だということです・・・

 p.antenna | 2015.10.15 9:29

今朝のツイッターに池谷裕二さんが、

yuji_ikegaya: 出エジプト記:アフリカで誕生した現生人が欧州に出たのが約4万年前。ほぼ同時に欧州先住民ネアンデルタール人は絶滅。しかし中国には8万年前には人が居たようです。今朝の『ネイチャー』→http://t.co/unXKWOwH7o(ネアンデルタール強国には進出できなかったのでしょうか)

 新谷俊平 | 2017.02.17 20:05

アフリカから出た動機は人口増加 食べ物の確保たとおもいます ヒトは食べ物めぐって争い続けている 今の世界の状況も食べ物をめぐる争いですべて説明がつく 自動車がなくてもいい 食べ物さえあればヒトは発情し交尾し命をつなぎます

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