2010-11-23

人類の拡散シリーズ13 ~土器の誕生~

人類の道具史の中でも、格段に技術力(観念力)の進化が見られるのが、土器の登場です。
石器の類は、材料を叩く・削る、といった加工が主ですが、土器は完成までに何段階もの工程を得て、材料の組成そのものを加工・変化させて完成します。
土器の登場は、今から凡そ2万年程前、今の中国辺りで最古の土器が出土しています。
その技術が1.5万年前には日本にも伝播、縄文文化としての道を歩み始めることになりました。同時期の他の観念的な進化の表れとしては、弓矢や飼い犬(狩猟犬・番犬)、そして土器を利用した調理等、それまでの洞窟暮らしから一転し、一気に地上進出して行く過程と連動しています。

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また、世界中に拡散した人類の中で、ほぼ同時期に土器が誕生している、という点も興味深いポイントです。世界的に見ると、凡そ1.2万年前のヤンガードリアス期という寒冷期に集中して土器の遺跡が出土しており、気候変動に伴う植生の変化が、生産様式への影響を与え、その結果として更なる観念進化⇒道具の発展へと繋がったのでしょう。
土器の誕生もまた、外圧状況の劇的な変化を受けて、観念適応により登場したと考えて良いでしょう。
さて、まずは皆さんご存知の土器は実際どのようにして作られたのか?から見ていきましょう。
■土器の製作工程
1.素地作り
粘土と砂などの副材料を採集して混ぜあわせて練ることで、気泡の少ない割れにくい素地を作る。
2.成形
粘土ひもを積み上げて土器の形を作る。少し乾かしてから内側を磨く。
3.文様付け
縄やヘラで土器の表面に文様を付ける。
4.乾燥
日陰でゆっくり自然乾燥させる。(約2週間)
5.野 焼 き
薪を使って焼き上げる。(あぶり焼き→本焼き→冷却まで約半日)

doki_noyaki_04.jpg
参考サイトはこちら
土器製作に適した土を採集し、必要に応じて副原料を混ぜ合わせ、焼成に耐え得る物を作り上げるためには、土の性質に対する知識が欠かせません。また焼成の工程でも、ゆっくりと温度を上げつつ、最終的には高温の炎へと育てていく、高度な火の管理が求められます。
そして、土器の製作技術を獲得する前段階に、実は重要な過程がありました。観念回路の原点とも言える、 精霊信仰 こそがこの技術発掘の萌芽となっていったのです。
るいネット『10/17なんでや劇場(2)原始時代~部族連合時代~武力支配時代』より

想像を絶する自然外圧に対応するために、人類が収束したのが精霊信仰であり、このことを「期待」という概念で捉え返すと「生存期待」というものになるだろう。生存期待をかけて自然と対話し、精霊信仰に収束した。これが原始人類の最先端の姿である。

■土器製作の技術は土偶からはじまった
これらの技術・知識を人類が獲得したのは、少なくとも約2万6千年前まで遡ります。
最古の土器という観点では、1万2千年~1万3千年前の北東アジア地域の土器が挙げられる事が多いのですが、文字通りの「器」型でないものも含めれば、上記の年代になります。
例えば、チェコのドルニ・ヴェストニッツェ遺跡からは、縄文ヴィーナスにも似た女性像などが出土しています。
これらの出土品から、土器製作の基本技術や基礎知識は、多くの人類集団が持っていたと考えられます。
現段階での考古学的成果では土器より土偶が先行している点や、次節で取り上げる縄文土器の高いデザイン性などを加味すると、「土を焼く」という行為は、生きるための必要からではなく、精霊への同化を試みる過程にこそ、観念進化の源泉があったと考えられます。
■縄文笛=精霊への同化
こちらはあまりご存知無い方も多いと想われますが、縄文時代の遺跡の中には、土笛も見られました。
この土笛を復元して作成している方や、その奏者もいらっしゃるのですが、これも自然対象への同化を試みた一例として、極めて重要な史実となります。
宇々地より

素焼き(800~850℃)で焼き上げられ形は球体が多く、吹き口の穴と指穴が1~5個程度のシンプルな笛です。吹き口より息を吹き込むと、中で空気が渦をつくり音が出ます。
現代の笛のように綺麗な音階を奏でるというよりは、単音の響きの音霊で、森羅万象の精霊たちと共鳴するための楽器といえるでしょう。

また、土器文化そのものは世界各地に展開されていきますが、中でも縄文土器は他に類を見ない特徴を多く持つ独特な様式を開花させました。
土器の誕生(2)

縄文土器と言っても多様で、一定の期間、一定の地域において共通の材質・製法・デザインなどにより、同じ効果や雰囲気を持つものを「様式」として分類しているのですが、全部で70種類ほどあります。形態や文様の特色は大雑把に見て六世代程度で、次の段階へと移行していったようですが、時代が下るほど変化のスピードは加速したと考えられます。

ちなみに、この多様な様式を特徴も含めて紹介してくれているサイトがこちら。
縄文土器の編年
日本には、南北両方から土器の文化が流入しており、様々な部族(集落)間に伝わると共に、実に多様な文様や形式的進化を遂げていきます。
これを、市場の起源と混同して捉えるのは大きな誤りで、
道具の進化⇒安定した生産様式の確立⇒人口増加(→出洞窟)
⇒集団分割の必要+集団統合の必要性の上昇による、共認形成の道具として
積極的な贈与(充足 )ネットワークが形成されていったものと考えられます。
life_house_house.jpg
(縄文生活イメージ)
同時期に広範囲に流通が見られたものとして、原産地の限られているヒスイや黒曜石等、食生活などとは切り離された物流が活発化していくのも、この時代の特徴でしょう。
そして、縄文土器の様々な様式に見られる文様にも、文字通り集団統合の要としての共認形成の意味合いが強く込められていたようです。
縄文土器に見る「和合共認」

縄文土器は、この粘土造形の特色を最も良く発揮させ、ヤキモノとしての土器の造形において、とくに世界に冠たる独自で豊かな展開を見せたのだ。
器の形態全体のプロポーションの異常なまでのバラエティーも、その大仰な突起とともに、ヤキモノとしての容れ物の域を超えているのだ。
まさに、縄文土器の文様というものは、「物を入れるためのもの」としての機能を阻害するほどである。

25.jpg2009-05-03.jpgdoki.jpg

底の部分よりも口の部分が大きく膨らむものも多く、現代人からすれば、何かのはずみに倒れそうで、はらはらする。
時代が下って、弥生土器となるとまったく別のタイプになる。
弥生土器には余分な装飾はまったくなく、現代でも使えそうな、立派な容器である。
ここに、縄文人と弥生人の潜在思念における大きな違いが現れているのではないだろうか。

縄文人が(機能性よりも)大事にしたものは、集団としての共認内容ではないか、
という仮説を出すのは、武居幸重である。
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『文様は装飾のために機能し、 同時に集団としての共通理念や価値基準を表現し、
確認する機能を本来持っている。』 
集団内に共通理念があれば共通の文様が存在するというわけである。
共通理念とは生活の中でどのような事を価値あるものとして認めるかという事であり、わかりやすく言えば「価値観・生活観」だ。
それを支えているもの。
その形を抽象化して表現したものが文様の出発点だ。
(引用:「縄文心象」)
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集団の共認事項を観念化(言葉・文字に表す)前段階として、抽象化し装飾として表現していたのが縄文時代ではないだろうか。

この抽象化文様の中心には、雌雄を特徴付けたものが多く見られ、和合(生殖)と食(生産)という、大きなエネルギーの創出に対する期待が強く込められていたのではないかと思われます。
また、これらの道具の進化史から伺える事として、人類にとって共認機能・観念機能は外圧適応上必要不可欠なものであったか?を識る事が出来ます。DNA上はチンパンジーとわずか1.2%程度しか変わらないのが我々人類の姿なのですが、あらゆる対象に同化し、不全からの充足を求めて進化を続けてきた結果が、今日へと繋がっているのです。
こんなに豊かで快適な日常生活を送れるのも、先人達の絶え間ない追求と同化の積み重ねがあったからこそ。物的豊かさの実現された現代では、ついつい忘れがちな全対象への感謝の念を、このような機会を元に取り戻していきたいですね。

List    投稿者 kawait | 2010-11-23 | Posted in 5)人類の拡散No Comments » 

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