2010-10-13

人類の拡散と進化シリーズ7~人類はどのようにして言語を作っていったのかPART2~

前回の投稿では、
「初期の言語は共認充足のために用いられたものであって、石器作りなどの“実用的な”目的で発達したものではない。」
という仮説を紹介しました。

今回の投稿では、いよいよ
「人類はどのようにして、言語を使った外圧への適応を可能にしていったのか」
について、約7万年前以降の後期旧石器時代に注目して迫って行きたいと思います。

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1.共認充足のための言語と過酷な外圧を対象化する観念(構造認識)

約7~1万年前、石器等の生産様式が一気に高度化する以前には、周りの自然や仲間を対象化した言葉はあったにせよ、その言葉が「石器をより使いやすくするにはどうする?」といった闘争的な文脈で用いられることは殆ど無かったと考えられます。
しかしそこには、スキンシップ(親和充足)に並ぶ
活力源(充足源) としての言語がありました。

ここで、当時の人類の日常を想像してみましょう。

*********************
生きる為に食料を確保するために男たちは洞窟の外へと出かけて行く。
洞窟の外はいつ襲われるかわからない、食料が発見できるかわからないという、非常に外圧が高いため言葉を交わすことはありません。
安心できる洞窟で待つ女・子供たちは、火を囲いながらおしゃべりをして男たちの帰りを待ちます。

ずっと話しています。もしかしたら帰ってこないかもしれない、食料が得られないかもしれない・・・
という不安を話すことによって和らげていたのでしょう。


学校でも会社でも、今だって女の子はおしゃべり大好きですよね。

そして男たちが帰ってくると、おしゃべりでみんなが“わっ”と盛り上がる。
話すことによって充足や笑いが生まれ、それをまた活力源として生きて行く。

*********************

一方で当時の人々は、既に過酷な外圧と対峙する中から観念機能を獲得し、
ある程度は、自然現象の構造認識(精霊信仰)予測思考が可能になっていたと考えられます。
それでも、おしゃべりは、あくまで活力源(充足源) であって、これらの構造を追求する場では無かったのでしょう。

みんなで残業するときに「終わらないよ~」と、大して意味のない事を言いながら作業する。そして仕事に片がついたら、ワイワイガヤガヤと飲みに行く!
そんな現代人の感覚も、ひょっとすると当時の人々から受け継がれたものなのかも知れません。

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2.自然外圧・同類圧力の上昇⇒どうする?

 では、7~1万年前の急速な言語機能・観念機能の発達→生産様式の高度化をもたらしたのは、いったいどのような状況だったのでしょうか?それには大きく分けて、二つの要素が考えられています。

●激しい環境変化(自然外圧の上昇)

この頃はアフリカ東部で激しい干ばつ(約13万年前~9万年前)、ヴュルム氷期(約7万年前~1万年前)に突入した頃です。
短い周期で気候が変動(寒冷化と温暖化を繰り返す高い外圧状況)していく中、
新人達は自然対象(鳥・動物の動き、日々の天候、植生変化、天体など)を注視し、
気候変動を予測した上で、食糧確保や大陸移動の判断を行っていく必要に迫られたと考えられます。
※参照(人類と拡散と進化シリーズ5~新人段階での観念進化~

※画像は現在のアフリカの干ばつ(こちらからお借りしました)
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●他集団との接触(同類圧力の上昇)

13.5万年~9万年の間、東アフリカは長い干ばつに見舞われ、現生人類の祖先でもある新人は、なんと2000人にまで急激な人口減少に見舞われ、まさに絶滅の危機にあったようです。
上記の気候変動による外圧上昇により、アフリカ内陸部での移動や、小集団への分離、そして再合流など、かなり流動的な動きがあった事もDNA調査の結果により判明しています。集団の動きが活発化することは、他集団との接点を増加させ、同類圧力上昇させていきます。
※こちらのブログで研究に関する記事が紹介されていたので転載します。

人類は7万年前に絶滅寸前の状態に追い込まれれていた、国際研究グループ
記事URL: http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200804251754&page=2(元ページは削除済み)

【Technobahn 2008/4/25 17:54】(略)アフリカ東部では13万5000年~9万年前に干ばつに襲われたことがこれまでの調査で明らかとなっており、研究グループでは人類はこの干ばつの結果、人数的に少ない集団に分離することを余儀なくされ、少数の集団に分離した人類は7万年前には絶滅寸前の状態にまで個体数が激減。しかし、絶滅の危機をなんとか生き残った人類は再び集団を作り、他の大陸への移住を試みることで人口は拡大し、現在に至る繁栄の基礎を作ったと推論している。

今日の人類の人口は66億7000万人にも及んでいるが、研究グループでは、これまでの研究成果を総合すると人類は「ミトコンドリア・イブ」を含む数百名の集団を起源にアフリカ内で拡大を進めたが、15万年~9万年前に別の種族に分岐した後は気象変動のため人口は減少し、7万年前には一時、約2000人未満の集団にまで減少したのではないかと述べている。

画像はミトコンドリアDNAによる調査結果から明らかになった20万年~6万年前まで人類がアフリカで辿った道筋をDNAの系統から図式化したもの。
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このように、
自然外圧・同類圧力の二重の外圧上昇に晒された人類は、
これまで以上に、必死に観念を作動させ、仲間に「どうする?」と期待をかけあっていきます。
これが、言語機能・観念機能の更なる発達を生み出したと考えられます。

3.どうする?⇒観念(構造認識)の言語化

るいネット「人類はどのように言語を作っていったのか その2」より引用

後期旧石器時代の到来とともに、言語が論理思考に使えるようになったのは、まず、それ以前に、前適応として、十分複雑な「人間関係」などを表現できる文法構造、構文構造をもっていたことと、そして、群の中の人間以外の動物、物、などについて「普通名詞」を発達させたことで、人間関係以外の情報交換が言語によって可能になったときであろうと思われます。

当時の人々の間では、集団内の共認充足を深めるために仲間を認知する術が獲得され、集団内の役割共認に基づいて「名前」が付け合われていったと考えられます。
その後、徐々に洞窟外の自然対象にも普通名詞が付けられていったと考えらますが、初期の段階では、あくまでも共認充足を得るためのおしゃべりという文脈上で自然対象が語られ、自然対象への探求はおしゃべりの中ではそれほど進んでいなかったと考えられます。

7~1万年前の気候変動により、アフリカからの移動を余儀なくされた人類は、
本格的に外部世界への探求を試み、
自分たちの仲間、個体同士に通用させてきた認知の仕組みを、万物に適用させ、万物の心を読み取る事を始めます。
これによって、「なぜ精霊はこの時期に雨を降らしたのか?」「仲間である動物達はどんな生活をしているのか?また、どこへ移動し始めたのか?」など対象への同化を深め、物事のしくみを理解していったのです。

この段階で遂に人類は言語を用いて万物の構造を深く捉えることが可能となり、
仲間との共認過程を経て、認識が塗り重ねられ、観念機能が飛躍的に発達していきます。
約200万年前、人類が観念(構造認識)・言語機能を発明して以降、独自に発展してきた両機能が結びつき、
「万物の道理を論理的な思考を用いて言語化する」ことが可能となりました。

4.生産様式に見る観念と言語の発達

後期旧石器時代には、最も高度な各種の石器など、様々なスタイルの物質文化が生まれます。
石器製作では、きわめて薄い石器を作る高度に専門家した技術が発達しました。硬い石の打撃具や木やトナカイの角などの軟らかい打撃具で、直接的にあるいは間接的に、自由自在に打ち割いた繊細な石器が登場しています。当時の石器はみな薄手で小さく(細石器)、また木の柄をつけるなど、実際の使用工程をイメージして、使いやすいように工夫された様子が覗われます。
上記の様な極限まで高まった外圧の中では、食料確保の確度を高めるため、より精巧な道具が求められるようになります。無言で黙々と取り組んでいた石器の製作の場面でも、
集団内で作り方のコツや材料の性質(石や骨の心)を言語化することで
高度な技術を共有していったのでしょう。

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(画像はこちらからお借りしました)

まとめ

人類は、約7~1万年前、これまでに経験したことが無いような過酷な外圧状況の中、それまでは専ら共認充足のために用いられてきた言語を用いて観念(構造認識)を共有し、それによって更に加速度的に言語機能・観念機能を発達させていきました。その結果、石器を始めとする様々な生産様式を高度化していくことが可能になり、現在へと種を存続させています。

私たちは現在における時代の転換期の中で再び、新たな可能性を対象化できる新たな言語を求めているようにも思います。自分達を導く確かな認識を求め始めた人々の「草の根の共認活動(マジ話etc.)」は、7万年前の人類がそうしたように、新たな可能性を実現するための新たな言語を共認していく営みなのかも知れません。

List    投稿者 tomo | 2010-10-13 | Posted in 5)人類の拡散No Comments » 

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