2010-08-31

人類の拡散と進化シリーズ1~人類の拡散と絶滅~

前回の投稿にもあるように、人類500万年の歴史の99%は洞窟暮らしでした。そしてその間、1箇所の洞窟に定住していたのではなく、世界中に移動しながら生活していたのです
人類はなんで移動したのでしょうか
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■人類の拡散と進化
まずは、原始人類の置かれた外圧状況と進化について、概略を押さえてみます。
るいネット「人類の拡散と絶滅」より引用。一部追記しています。

◆アフリカでの外圧と進化(猿人⇒原人)
①目に見える外圧=足指の先祖返り(外敵や気候変動に対し不自由)
(適応方策)⇒踊りによる歩行訓練と自然対象への祈り
(獲得機能)⇒観念機能(言葉・道具)→脳増大、歩行能力の上昇
②目に見えない外圧=ウイルス・細菌
(適応方策)⇒恒常的な突然変異と淘汰
(獲得機能)⇒「防衛力」としての免疫機能の上昇
⇒原人に進化(約150万年前)
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◆原人による第一次拡散(約150万年前)
(外圧状況)氷河期の開始→森林縮小→生存域の縮小・闘争激化
(適応方策)⇒(①の獲得機能を生かして)アフリカから拡散
⇒アジアへ到達=ジャワ原人・北京原人⇒その後絶滅
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◆旧人による第二次拡散(約60万年前)
(外圧状況)60万年前はドナウ氷期に当たり、原人の頃と同じく急激な乾燥化→食料不足が起こった
(適応方策)⇒(①の獲得機能を生かして)アフリカから拡散
⇒中央アジア、ヨーロッパへと広がっていく。
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◆アフリカ残留組の進化
アフリカの活性度の高いウイルスとの進化競争⇒より高い免疫機能の獲得
(脳容量=知能も平行して進化)
⇒新人に進化(約20万年前)

◆新人による第三次拡散と旧人の絶滅(約15~10万年前)
寒冷化(最終氷期)・乾燥化→森林の縮小⇒再度アフリカから拡散
→既にアジアに居た旧人と接触→免疫力の格差により旧人が絶滅
⇒新人が全世界に拡散・適応し現代人へ
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人類は、アフリカから3度拡散しているんですね。
極限的な外圧状況に晒されながらも、その都度身体や脳、免疫機能を進化させ、新しい生存域に適応してきたのです。

■人類の置かれた外圧状況
①極限的な自然外圧
極限的な外圧とは、いったいどんな外圧だったのでしょうか?
化石の発掘状況から、人類500万年の歴史のうちの大部分は洞窟に隠れ住んでいたことは明らかです。
「人類のゆりかご」と呼ばれ、原始人類の化石や石器が大量に見つかっている渓谷がアフリカにあります。
この大地溝帯は約1,000万~500万年前にマントルの隆起によって形成されました。この隆起した山脈や高地によって、大西洋の湿った空気を運ぶ偏西風がアフリカ大陸西側で雨を降らし、東側大地溝帯を乾燥帯へと変化させました。
つまり人類が棲家とした地域は、アフリカの中でも特に環境が厳しく動物も生きられないような厳しい場所でした。このことから、人類は動物も住まないような場所に逃げ隠れ、絶滅と隣り合わせで生き延びてきた弱者である、ということがわかります(その他の理由として、人骨の殆どが骨粗鬆症であったことが挙げられます)。
これは人類史を遡る上で非常に重要な認識です。よく専門の歴史書に猛獣に襲い掛かる原始人類の様子が描かれていますが、これは当時の外圧状況を捨象した、誤った見方であることに留意しておく必要があります。
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化石が見つかったオルドヴァイ渓谷
②見えない敵=ウィルスの脅威
極限的な生存圧力(自然・外敵圧力)以外にも人類に襲い掛かった外圧があります。それがウィルスです。
このウィルスに対する免疫力の差によって、絶滅した人類がいるのです。

○免疫力の格差による原人の絶滅
 アフリカは熱帯地域でウイルス・病原菌の活性度が高く、媒介生物も多いため、多様で強力な種が進化し易い(AIDS、エボラ等)。そのため、アフリカに住み続けている人類では、ウイルス等で死ぬ者も多いが、中にはウィルスの進化に応じて耐性を獲得する者が現われ、免疫力が強化されてゆく。一方、アジアはアフリカに比べウイルス活性度は低いため、時間を経るにつれてアフリカとの免疫力の格差が広がっていく。
 例えば、150万年前にアフリカを出た原人の免疫力を1とすると、15万年前に新人がアフリカを出た段階では、新人の免疫力は10に進化しているのに対し、アジアの原人の免疫力は3~4程度の進化に留まっていると考えられる。免疫力の差が1や2なら絶滅までは至らないが、格差6~7の状態でこの二者が接触することで、免疫力の弱いアジアの原人は新人が持ち込んだ(新人にとっては平気な)強力な病原菌に感染し、絶滅してしまった。

■なぜ人類は拡散できたのか?
以上のような厳しい外圧にさらされていた人類は、環境変化(寒冷+乾燥化)を契機にアフリカ大陸を脱出しました。
ただでさえ、まともな食事にありつけない人類は、環境変化によってさらに追い込まれ、遂に、アフリカを出る決意をしたのです。
この人類の拡散は、移動というよりむしろ「決死行」と呼んだ方が適切な表現かもしれません
決して、物見遊山で拡散・移動したわけではないのです。食料=ごちそうを求めて生存域を拡大していったという学者の説がありますが、これは誤り
その証拠に、拡散して以降の人類も洞窟や崖地に隠れ住む生活のままであり、また約500万年前~約1万年前まで人口はほとんど増えていないのです。
では、なぜ人類は決死行と呼べる移動を決意することができたのでしょうか

○知能進化(脳容量増大)の過程
 200万年以上に亙る踊り(歩行訓練)と、サル時代に獲得した共認機能を自然対象へ振り向けた祈りの結果、人類は観念機能を獲得し、言葉や道具を使えるようになった。人類は200万年前にはほぼ直立できる(→頭の重量を支えられる)まで進化し、また道具や言葉の使用によって生存条件=食糧事情を改善できた。これらによってさらに脳を大きくすることが可能となり(猿人の約2倍)、より知能を発達させた原人に進化した。
(補:この間、猿人は、頑丈な体格の猿人と華奢な体格の猿人など何種類かの種に分かれたが、生き残ったのは体格が小さく=本能上は弱く、知能により依存せざるを得ない華奢型の猿人の方で、頑丈型の猿人はその後絶滅)
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人類の踊り

人類が決死行に踏み切ることができたのは、①言葉の発明により、方針の共認を適切に行うことが可能になった事、②二足歩行により長距離移動が可能になった事、が主な要因と考えられます。
とりわけ、重要なのは言葉=観念の発達です。
本能上弱く、華奢な人類が生き残ったのは、人類固有の機能=観念進化に可能性を賭けたからに他なりません。

次回は、人類の観念機能の獲得過程について追求していきます
お楽しみに

List    投稿者 andy | 2010-08-31 | Posted in 5)人類の拡散No Comments » 

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