実現論を学ぶ意義、その効果等
昨年末から、実現論.前史を通じての勉強を続けてきましたが、中間整理として改めて生物史を学ぶ意義や気付き等を紹介します。
実現論前史、前半を学んで
①前史を学ぶ意義
>始原単細胞から人類を結ぶ直線上に塗り重ねられてきた遺伝子群(の内、現在も有効な遺伝子群)は、単細胞時代の遺伝子を含めて全て現在形において、作動している。~中略~(換言すれば、それら無意識の次元で作動する諸機能は、決して人間の意識と無縁ではない。)私たちが、哺乳類や原猿・真猿・類人猿にまで遡ってそれら諸本能や社会構造を解明しようとした理由も、そこに在る。(実現論1_1_04)
ここでは、人類の直面する課題に対してどの様な共認闘争を展開していくのか、その為の考える軸として、これまで進化してきた由来を捉えることの有用性を端的に示されている。
塗り重ね構造(=進化積層態)という存在規定は、個々人が歴史的存在であるとの認識を具体的に提示したものであると共に、例えばコンピュータに於けるファームウェア→OS(オペレーティングシステム)→ミドルウェア→アプリケーションなどのソフトウェア構造をも想起させる。否、恐らくは人類の側が進化積層態であるからこそ、自然界の模倣としてこの様なシステムを発想し得たのであろう。
その点からも、人類が諸課題に対して今後新たな可能性を見出すにはDNAに深く刻み込まれた歴史の掘り起こしと事実共認が有効であると予想される。
②外圧適応態としての基本アプローチ
>事実、進化の源泉はDNAの多様性にある。つまり、同一の自己を複製するのではなく、出来る限り多様な同類他者(非自己)を作り出すことこそ、全ての進化の源泉であり、それこそが適応の基幹戦略である。しかし、同類他者=変異体を作り出すのは極めて危険な営みでもある(∵殆どの変異体は不適応態である)。従って生物は、一方では安定性を保持しつつ、他方では変異を作り出すという極めて困難な課題に直面する。~中略~より大掛かりな突破口を開いたのが、雌雄分化である。つまり、雌雄分化とは、原理的にはより安定度の高い性(雌)と、より変異度の高い性(雄)への分化(=差異の促進)に他ならない。(実現論1_2_02)
進化という言葉自体は小学生の頃から馴染みはあるものの、具体的に安定と変異という2つの側面からなされるというシンプルな考え方は大きな気づきであった。
特にこの2つが相反する要素であるという点では弁証法的史観を再認識させるものでもあり、今後の諸課題への取組みや人生に向き合う上でも1つの視点を与えてくれるものである。
上記の紹介投稿のように、実現論を通じて学ぶ中身は、常に今現在の日常と綿密な繋がりを持っており、生物史の学びとは、自らの存在構造を確かめる作業と全く同一のものとなっています。進化積層態とは、過去の成功体験の積み重ね・実現態であり、逆境の度に諦めず前進してきた変異の実現が、我々そのものなのだと気付く事は、今後迫りくるであろうどんな課題にも立ち向かう勇気すら与えてくれます。
また、それら生物の実現史を学ぶ機会をより有意義なものとすべく、勉強会の中で「図解化演習」というものにも取り組んでいますが、実はこの「図解化」の効用も、生物進化の歴史そのものを体現する上でとても重要な要素である事に気付きました。
図解に使う2種類の矢印は「進化の歴史」そのものを表す
図解=構造認識であり、
様々な事象に対する因果関係の矢印:→(一本矢印)
様々な不全からの可能性収束の矢印:⇒(二本矢印)
の2種類の矢印を使って構造を整理する事。
そして、構造認識=自然の摂理であり、現実に起こった物事の理由(なんで?)を辿る事=歴史的事実の追求過程は、生物進化の歴史そのものと完全に重なります。
さらにこの図解で重要なのが、『可能性収束⇒統合』の二本矢印の存在。
これこそが、生物が逆境に晒される度に、あらゆる方向へ向けて探索の⇒を発現させ、その中で最も適応可能性の高い⇒(方針)を見定めた結果、そこへ収束して再統合される、という進化の歴史そのものを表しています。
すべての生物が現在まで連続的に進化を続けてきた事実、そしてその理由や根拠は明確に存在し、外圧変化と外圧適応、あるいは収束と統合といった概念を使うと、進化の連続性をすっきりと理解できます。
また、生物進化の歴史とは成功体験の塗り重ねであると同時に、変異の発現による新たな障壁・矛盾を抱え、その不全を乗り越える為の探索過程も必須となってきます。これが、二重矢印(⇒)を発生させる逆境にあたります。
2種類の矢印を使った図解化=構造認識の修得とは、自然の摂理・生物進化史への同化過程そのものであり、現在適応不全に陥っている我々人類にとっても、図解化・構造化の訓練は突破口を見出す為の探索=必須課程である、と再認識しました。
今年も、この実現論.前史の続きを学び、紹介して行きます。
次はいよいよ木に登った猿!
・樹上という第4世界の制覇種となった彼らがぶつかった壁とは?
・そして、どのようにしてその壁を乗り越えたのか?
人類に近づくに連れて、集団としての機能や適応様式などがグッと実感しやすくなってきます。
楽しみですね!
では、皆様今年もよろしくお願いいたします。 😛
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コメント9件
さんぽ☆ | 2010.08.15 22:57
夜鳴くセミの理由は、何だろう?と思ってワクワクしながら読みすすめていました!
セミの祖先にまで話が及び一段深い分析だったので、びっくりです!!
セミの祖先は、カメムシだったのですね!!
そう考えると、夜鳴く理由もさらに納得です☆
くまな | 2010.08.16 21:54
>AYOAN IGOKAHさん
蝉の起源は、温暖期の中緯度地域です。
発生の時期は、化石からすると今から約1億3千万年前頃、白亜紀前期です。恐竜時代の末期です。化石の発見場所は、ブラジルのほか中国の遼寧省(日本の東北地方と同緯度)もあり、熱帯起源?と思ってしまいます。
しかし、その時代はパンゲア大陸が分裂していく大陸大移動期で、火山活動が活発だった時期です。地球の温度は今より平均で10~15度高く、極地方にも恐竜が生息していたほどです。
東京や大阪の年間平均気温が16度台で、バンコクのが28度台で、その差12度。気温で単純に見れば、日本のような中緯度地域が熱帯地方と同等になります。
したがって、蝉の起源(発生)は温暖期の中緯度地域で、地球の寒冷化とともに低緯度地域に移動してきたということになります。
くまな | 2010.08.16 22:17
>さんぽ☆さん
昆虫は適応力が高く、様々な環境に適応しているので、紐解くには難しい題材です。おまけに化石が少ないというか、あまり注目されていません。
ちょっと深入りし過ぎて、途中でどうなることかと思いました(笑)。今回は、バンコクの蝉の例から仮説を立ててみました。
昼夜両用の哺乳類 | 2010.08.17 17:55
面白い記事ですね。ついつい引き込まれてしまいました。
1つ質問!
記事にも少し述べられていますが、夜行性か昼行性かは、主に何によって決められているのでしょうか。地球のエネルギー源は太陽だから、基本的には昼行性をどの生物も目指すような気がするのですが・・生物によっても違うかもしれませんが、夜行性を選択する主要因はなんでしょうか?
雅無乱 | 2010.08.21 22:33
セミが鳴くのは生殖のため(つがいを形成するため)なので、種によるのでは?
くまな | 2010.08.22 1:03
昼夜両用の哺乳類さんへ
>夜行性か昼行性かは、主に何によって決められているのでしょうか。
弱者か強者かによって決まると思います。
元々生命は深海の暗闇で生まれました。その後、種間闘争の過程で、弱者がリスク(自然外圧)が大きいニッチへと進出します。その先に、太陽や酸素といった、生命にとって有害となる環境に辛うじて適応した種が生き残り、進化していきます。
太陽や酸素の環境を得た生物は、その高活性に適応し、繁栄します。更なる種間闘争が生まれ、そこでの敗者は、ニッチを求め太陽エネルギーの少ない寒冷地や水の少ない乾燥地へ決死行を試み、辛うじて適応した種が生き残り、また進化していきます。
そのようなニッチのひとつが夜行性です。昆虫の天敵は、当初は両生類です。彼らは変温動物なので、基本は昼光性です。そこから逃れるために夜行性の獲得は有効だったと思われます。食性が、夜でも捕食できる植物食なので、比較的適応しやすかったとも思われます。
「植物食で、ニッチとしての夜の生活に逃げた」ということで、夜行性は弱者だから、ということになるでしょう。
くまな | 2010.08.22 2:17
雅無乱さんへ
>セミが鳴くのは生殖のため(つがいを形成するため)なので、種によるのでは?
おっしゃるように、昼光性か夜行性か、あるいは昼鳴くか夜鳴くかは、種の単位で同一でなければ繁殖できずに絶滅してしまいます。
ここでは、種による違いがどうして生じたか(どういう原理で適応しているのか)が解明したいところです。少なくとも、日本の蝉もタイの蝉も元はつながっているわけですから。
30年前 | 2010.08.28 19:40
蝉が夜鳴いているのに、気がついたのは、30年ほど前です。しかも、四国、松山です。大都会ではありません。ネオンの傍で、ニイニイゼミが良く鳴いていました。夜のネオンに、人間だけでなく、セミまで狂いってしまったか、と、悲しい思いをしたことを覚えています。
AYOAN IGOKAH | 2010.08.15 8:50
確かに、最近蝉が夜鳴いていました。子供の頃は、午前中から鳴き始め、暑い午後に猛烈なせみ時雨となり、夕方カナカナ蝉が鳴いて終わるという流れでした。
仮説面白いのですが、蝉の起源はどうなっているのでしょう。熱帯地方が起源なのでしょうか?