2008-08-13

生物史をこんなに追求しているのはなんで?

学生でも専門家でもない素人で、生物史を勉強している人ってあんまりいないと思います。
私も、 数ある学問の中のひとつだし、専門家にまかせておけば私は勉強しなくてもいいやーって思っていました
 
でも実は専門家ではない普通の人々も、生物史を勉強した方が良い!
というのは、私たち人間は決して自然を完全に支配したのではなく、むしろ自然の摂理に従って生きているからなんです
 
『生物史から、自然の摂理を読み解く』って、こんなブログです♪リンクにも、
>40億年を超えるという気の遠くなるような歳月の中で培われてきた生命の歴史から、永遠に普遍性を失わない事実体系を構築することが重要だと考えます。この事実体系、つまり『自然の摂理』ほど私たちの羅針盤として心強いものはありません。
とあるように、私たちは単なる興味本位で生物を調べているのではなく、生物史を追求しているのにはちゃんと理由があります。
 
🙄 生物史を追求するのはなんでだろう 🙄
 
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生物史にまでさかのぼって歴史を学ぶ意義。
その一つは自然の摂理を学ぶことです。
自然の摂理とは、生命が数十億年にもわたって適応と進化を繰り返してきた、その無数の成功体験の積み重ねです。我々人類も同様で、自然の摂理を土台にして、逆境(=樹上に棲めるという本能上の武器を失い、想像を絶する過酷な自然圧力(実現論1_6_01)の中で「こうすればうまくいく」という成功体験を共認機能を使って積み重ねてきた。それが人類の規範です。
自然の摂理を知ること、人類の本性が共同性にあることなどを知ることで、どう生きれば上手くいくか(⇒規範)が体得できます。例えば、生物が雌雄に分化し役割分化を拡大してきた過程は、男女の役割規範はどうあるべきかの答えを教えてくれます。
自然の摂理を学ぶことは最良の規範形成になります。それが歴史を学ぶ、もう一つの意義なのではないでしょうか。
 
歴史を学ぶ意義~自然の摂理を学ぶことは、最良の規範形成(リンク

上に引用した投稿に書いてある通りですが、生物史を学ぶのは自然の摂理を学ぶためです。
自然の摂理を学ぶことは、私たち人間がどう生きていったら良いのかの判断軸になります。

環境問題も財政問題も本能を直撃するような苦痛を伴わないばかりか、それらが進むと何がどう人類にとって支障となるのかが、実はまだ鮮明になっていないことに気付きます。要するに、観念を媒介にしないと察知できないこれらの領域は、同時にその程度や重要性を判断するにも、正しい‘モノサシ’としての新理論(=構造観念)がないとすぐに思考が混濁してしまうということです。そして結果的には、正しい観念抜きには、課題を突破するための出発点になる問題意識や目的意識も芽生えないことも示しています。
 現代の教育(もっと絞り込めば教科書)の致命的欠陥は、正しい観念の基礎部分がすっかり抜け落ちているということのようです。
 では、正しい観念とは何か?・・・。それは『実現論』で大半のページを費やしている“自然の摂理”、あるいは“生命の摂理”とも言えるような領域ではないでしょうか。自然や生命の摂理を知って初めて、環境問題や財政問題に限らず、少子化や男らしさ・女らしさの問題にもリアリティティーが湧いてくるのだと思います。
問題意識・目的意識も観念を媒介に醸成される(リンク)

  
男女の生き方の問題ひとつ取ってみても、男女平等で同じ生き方をするのが良いのか、男と女は違うんだから違う生き方をした方が良いのかと考えてみたときに、なにか判断の根拠になる軸が必要になります。
生物の歴史を見ていくと、もともと雌雄が分かれていなかったものが、雌雄で別の役割を担うことで種として強くなっていった、という事実が分かり、男女は別の役割を担って生きた方がお互いの良さを生かせるという、自然の摂理に気づきます
そうやって学んだ自然の摂理は、女性の働き方や家庭のあり方など、さまざまな問題に答えを出す判断軸になります
環境問題や戦争や精神病など、山積みになっているたくさんの問題に答えをだすためには、自然の摂理を学ぶことが必要なのです

List    投稿者 staff | 2008-08-13 | Posted in 未分類 | 4 Comments » 

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コメント4件

 さんぽ☆ | 2008.09.23 17:56

「増殖刺激」というもの、初めて知りました!
しかも外部要因がないとこの増殖刺激は与えられないのですね。
増殖も外圧に応じて行っているってことは、言われてみればあたり前ですが、意外に抜ける論点かも~って思います。

 chai-nom | 2008.09.23 22:22

さんぽさんコメントありがとうございます。
増殖因子の存在は細胞周期を調べていく中で私も始めて知りました。
細胞が分裂するためにはほんとうにたくさんの要因が連携してはじめて開始の合図が出されるようで、それだけ生物にとっては一大イベントであることがわかります。
一方ひとつの細胞分裂も他の要因の影響なしでは始まらないということが改めて分かります。
特に多細胞生物は、分裂の時期や順番が高度に制御されることで、ひとつの個体を維持しており、その統合システムには感心するばかりです。
しかしそういった因子をすべて取り除いた初期生命はどのようにこの分裂を制御・促進していたのか?興味がわいてきますよね。まだまだ追求すべきテーマはたくさんありそうです。

 サイクリング | 2008.09.25 3:02

増殖刺激が外部との関係から生じるというのはおもしいとおもいました。
ひとつ質問なんですが、細胞周期の中で、分裂する前に細胞の体積が2倍になるというのを聞いたことがあるのですが、それと外部刺激というのは関係しているのでしょうか?

 chai-nom | 2008.09.25 23:23

サイクリングさんコメントありがとうございます。
>細胞周期の中で、分裂する前に細胞の体積が2倍になるというのを聞いたことがあるのですが、それと外部刺激というのは関係しているのでしょうか?
大腸菌のような原核生物は増殖因子、細胞周期エンジンなどの複雑なシステムはなく、体積が所定の大きさに大きくなるとほぼ自動的に分裂を開始するようです。
多細胞生物とは違い、他の細胞との連携などはほとんど関係がないためこのようなシンプルなシステムになるのでしょう。
しかしここでも疑問があります。所定の大きさになったということを細胞はどのようにして認識するのでしょうか?
細胞内にある内容物の多さ?膜が表面積を認識するのか?それとも他の細胞との接触密度?などなど・・今後調べてみるテーマのひとつです。

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