2007-09-10

雄ゴリラの子育てと性闘争

るいネット上で、雄ゴリラの子育てについて議論がなされています。
>感心したのは、『生きていくうえで必要な規律と知恵を習得』させ、大人の仲間入りが出来るように指導するというところです。人間社会で取りざたされている母親の育児のお手伝いや肩代わりではなく、社会の中で一人前になるための教育をゴリラの父親は担っていると知って、理にかなっていてすごいと思いました。
川田さんhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=154333
しかし、雄雄しいゴリラが子育て??という疑問の声も上がっています。
>“闘争存在”たる雄ゴリラが何故このように子育て行動に参加できるのでしょうか?そして“生殖存在”たる雌ゴリラはその間何をしているのでしょうか?
菅野さんhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=159943
>本当にマウンテンゴリラのオスは子育てをしているのでしょうか?
山崎さんhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=160687
そこで今日は、ゴリラの子育てについて考えてみます。

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まず「子育てに父親も参加せよ」との風潮から、注目されるゴリラの子育てですが、まずは制覇種であるゴリラの性闘争の激しさを理解する必要があると思います。
>生殖年齢に達した娘・息子ともに放逐し、更にはオスも減らして縄張りを縮小してゆく方向に向ったのが、ハヌマンラングールやゴリラです。そして、いったん縮小の方向に向かうと、制覇種の中の最強者たる首雄にとって、縄張りの防衛は容易なことであり、それよりも群れの中のオスたちとの性闘争の方がより重要な第一義課題と成ります。つまり、縄張り闘争上の仲間であることよりも、性闘争上の敵である側面の方が強く意識されます。こうして、全てのオスを追い出した単雄複雌型(≒原猿型)の生殖集団に後退してゆく事になります。 
るいネットhttp://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=1985
実際に、ゴリラは他のオスがメスに手を出すことを絶対に許しません。そしてこの過度な性闘争を抑制させる装置として働いているのが実は子育てなのです。以下、「父という余分なもの」山極寿一著1997新書館より
>ゴリラのオスも新生児にはあまり関心を示さず、離乳期以後の子供たちと密接に関わるという特徴を持っている。子供を抱いたり、運んだり、遊んだり、けんかの仲裁をしたり・・・とくに、母親を失ったみなしごは大きなオスが四六時中面倒を見て、夜はこのオスのベッドで寝ることを許される。子供たちは乳離れをすると、次第に母親から父親へ依存対象を移し、ベッドも父親のすぐ脇につくるようになる。
>面白いことに、このような父親と子どもの親密な関係が、思春期になる子どもたちの去就に大きな影響を与えることになる。・・成長した息子はどんなに力が強くなっても、このように幼児時代に面倒を見てくれたオスを屈服させたり追い出そうとはしない。このため、一度自分の集団を構えたオスは生涯その集団の長であり続けることができる。
チンパンジーは、息子残留による父系の闘争集団を形成しますが、ゴリラの場合、最終的に息子は集団を離れるものの、父子間の親和関係が子どもによる父=ボスへの性闘争的挑戦を回避させているという訳です。
勿論、それは制覇種ゴリラに残されたオス同士の親和共認関係≒擬似闘争集団と見做すことも可能ですが、最終的に大人オス同士の闘争集団が形成されない以上、単なるお遊び集団だともいえます。それ故にゴリラが子育てをしていると見えてしまうのでしょう。
さて人類が今直面している少子化やセックスレスといった問題に対して、このゴリラの事例から私たちは何を学ぶことが出来るでしょうか?
それが「親も子育てに参加すべし」だというのはあまりにも短絡的な思考です。
この事例から学ぶべきは「親和共認は性闘争を抑止しうる」という事実でしょう。といっても、人類においては「異性を巡って父子感で争いが絶えない」というような状況はありません。それよりも「仲間同士の親和共認が無用な性闘争を押さえ込んでしまう」という状況の到来にこそ注目すべきでしょう。

>生命の根源本能たる集団本能を封鎖し、大多数の成体を打ち敗かし餓死させるこの極端に強い性闘争本能は、生き物全般から見て尋常ではない、かなり無理のある本能だとも言える。・・・現哺乳類やサル・人類の性情動の強さから見て、やはりこの強すぎる性闘争本能を進化の武器として残し、それが作り出す限界や矛盾を乗り越えて新たな可能性に収束する(例えば親和本能を強化する)ことによって、哺乳類やサル・人類は進化し続けて来たのだと考えるべきであろう。http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=1&t=3#00(実現論 ハ 哺乳類(原モグラ)時代の性闘争本能)
現代人の価値観から生物世界を見ることをやめて、上記のような自然の摂理=構造認識そのものを学ぼうとする姿勢への転換こそが、今私たちには求められているのではないでしょうか?

List    投稿者 yama3 | 2007-09-10 | Posted in 未分類 | 2 Comments » 

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コメント2件

 さんぽ☆ | 2007.10.12 22:10

>「原核細胞なのに、厳格じゃない!?」
あは!ほんとそうですね。
いや~、ほんと真核単細胞の分裂ってよくできてますね。
次の動きを見越して、すべての動きができている。
すごい!!

 サクラ | 2007.10.19 13:56

さんぽ☆さん、コメントありがとう。
細胞分裂は、単純そうだけど、興味深いシステムがたくさん含まれてますよね。
ほんとうに、よくできているって思います。

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