2007-04-10

『擬人化』が意味するところ

私達は植物やペットを人のように可愛がったりしますよね。
植物や動物が人とは違うことはもちろん知っているんだけれど、会話をしてみたり動植物の気持ちがなんとなく解ったりして、それでこちらも癒されたりするものです
芸術の世界でも動物の擬人化はかなり初期の段階から登場しています。
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この擬人化という思考や行為は人間特有なものなのでしょうか
人類に一番近い祖先のチンパンジーと比較して考えてみたいと思います。

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チンパンジーは人類に一番近い祖先だけあって、人と似ている点がたくさんあります。
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1社会的知能=共認機能が発達
集団での同類闘争が主要な闘争課題であるチンパンジーは、同類間の関係を構築していく為の社会的知能=共認機能が非常に発達しています。特徴的な観察記録が書かれた本がありましたので、少しそちらから引用してみると・・

二頭の最年長の雄、イェルーンとラウトの二ヶ月にわたる政治闘争について述べてみる。
初めはボスはイェルーンだったが、その後のにらみ合い、威嚇、仲直りのしぐさといったことを経てイェルーンが孤立し最終的にはボスの座を奪われるというものである。それを成し遂げるために、ラウトは慎重に集団内部のイェルーン支持だった雌の支持を促した。イェルーンのいる時はラウトは雌を無視したが、イェルーンの姿が見えなくなると、雌に目を向け、その子供たちと遊んだりした。そしてイェルーンに威嚇の行動を起こす前に、それぞれの雌に対して、まるでその支持を取りつけるかのように、順番に毛繕いを行った。ラウトが最終的に勝ったのは、別の雄であるニッキーと同盟関係を立てたことによる。イェルーンとの抗争の間ラウトはイェルーン支持の雌をやっつけるのにニッキーを頼りにした。ニッキーも初め地位は非常に低かったがラウトがリーダーになると序列2位になった。・・・『心の先史時代』著者スティーブン・ミズン氏から引用

同盟関係や不正、騙し、友好、腹の探り合いなど、現代の政治家と殆ど同じですね。
人類の私権時代とはチンパンジーに退化してしまった時代のようです。
しかし一つ言えるのは、
チンパンジーは同類同士の心を理解し、課題や役割を共認する能力が発達している
という事です。そして、その一方で飼育係の騙しには反応できないなどの観察からは、
同類の心は読めても人や他の動物の心は読めない
という事も明らかになっています。
チンパンジーが私達のように他の動物を擬チンパンジー化することはどうやら不可能のようです。
2一般知能が発達
チンパンジーは木の実を適切な石で割ったり、葉をむしりとった木切れを白蟻取りのための釣竿にしたり、道具使いが上手な道具名人です。また、多くの植物の成長周期について知識や、植物の種類や状態について見分けにくい手がかりを弁別できる植物学者でもあります。
しかしその一方で、一度も訪れたことのない場所での食物のありかを見つけることは出来ません。これは、食物の分布について色々な知識を複合的に組立て仮説を立てる事ができないという事を表しています。
つまり過去の経験や手順に基づく行動はできるが、因果関係を想定し仮説や予測を組立てる事はできないということです。
経験則だけで動いているようでは、チンパンジー並の脳ということですね。
知能というと、チンパンジーも観念機能を備えているように感じますが、他の動物も環境に適応する為の知能(適応様式)が発達していることや、上記のように仮説思考には至らないことを考えると、チンパンジーのこういった特性も本能上の発達と捉えたほうが良さそうです。
ここで人とチンパンジーの違いをまとめてみると、
1、同類の心には同化できるが、同類以外の心には同化できない
2、経験則に基づく手順思考はあるが、因果思考や仮説・予測思考はできない

の2点が挙げられます。
さて本題の擬人化ですが、擬人化の意味するところはなんなのでしょうか
スティーブン・ミズン氏の言葉に、擬人化とは、
『動物としての人、人としての動物』
という言葉があります。つまり、
動植物も人間と同じような心をもっていて、人間もその動植物と同じ心なのだ
という世界観です。白熊を狩猟するイヌイットの世界観を見てみると擬人化が良く現れていることが解ります。

イヌイットにとって白熊は、熱心に探し求め、情熱をもって殺し、慎重にさばき、喜びとともに食べるものである。その一方でまるで男らしい狩人でもあるかのように一定の敬意をもって待遇されもする。熊が殺されると、宿営地で誰かが死んだときと同じような行動の制限が課せられる。白熊は人類の祖先であり、親戚であり、恐れられ、また尊敬もされる敵と考えられている。イヌイットの神話には人間と白熊がお互いに相手に姿を変えられた時代があったとされている。『心の先史時代』著者スティーブン・ミズン氏から引用

チンパンジーは前記事に述べたように、同類の心は読めるが、同類外の動植物等=自然界の心は読めません。しかし人は同類外の自然界に対しても共認機能を使って捉える事で、自然界を人と同じものとして捉え、そして人も自然界と同じものという一つの世界として捉えるようになったと言えます。そしてこのような世界観はイヌイットだけでなく、アボリジニなどの現住民族に共通する初期人類が抱いていた世界観だと言えそうです。
このように同類に対する共認機能を自然界にも向けることでどんな変化が生まれたのか
それは、自然界の変化を、自分たちの心や行動の変化と同じように捉えることで、現象の背後にある因果関係を見つけることが出来たことです。例えば、この動物たちはある時期になるとここを訪れる。それはきっと動物たちも私達と同じようにお腹がすいて、食べ物を探しているからだ。だからこの動物たちの後を追うと食べ物があるかもしれない・・というように。
動物の心に自らを重ね合わせることで、一現象の背後にある無数の関係構造を見出し、それに基づいて仮説や予測を組立てる事ができるようになったと言えそうです。
擬人化という人類特有の思考、行為には、共認機能を自然界に向けることで数々の法則を見出すことができた=観念機能の幕開けを示しているのかもしれません。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

List    投稿者 nannoki | 2007-04-10 | Posted in 未分類 | No Comments » 

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