2007-02-26

映像授業の危険性(脳力の育成の視点から)

こんばんわ!のたお 😀 です。
テレビ脳の問題が数年前から大きく取り上げられています。

幼児の脳の発達段階において、テレビやビデオを長時間見させた結果、ことばを発する時期が遅くなったり、保育園などで集団行動に溶け込むことができないようになる状態。日本小児科学会が03年に1歳半の子供をもつ親1900人を対象に実施した調査で、テレビやビデオを長時間見ている子供は、そうでない子供に比べ、ことばの発達が遅れる割合が2倍になったという。脳の重量は5歳までに大人の90%になるが、とくにゼロ歳から2歳までが急速に発達する。この時期にテレビなどを見せるだけで親子のスキンシップが不足すると、心やことばの発達に影響を及ぼす可能性があるという。~yahooニュースより拝借

改めて言うまでもありませんが、いわゆる人間としての特徴である共認機能が働きにくくなる状態に陥るのがテレビ脳の症状ですね。赤ん坊の頃にテレビを見すぎると人間としての機能が失われてしまうのです。またテレビを見ている時、前頭葉(考える機能をつかさどる部分)は殆ど動いていないという実験もあるそうです。テレビを見る=頭が働いていない という事になります。
話は変わりますが、最近、授業に映像を取り入れていれて話題を集めている学校や塾があります。
また、マンモス大学だと一般教養の授業は有名な教授がテレビ画面で授業をするそうです。
テレビの弊害が叫ばれながら、映像やメディアはどんどん人々の実生活に入り込んでいます。
この映像ソース、実は、身近なところに・・・このブログの参加者が多く体験している「なんで屋劇場」もテレビを使って大阪ー東京で結んで開催しています 8)
この映像偏重の社会がどのような事を引き起このでしょうか? 🙄
今日の疑問は映像は人にどのような影響を及ぼすかについて考えてみたいと思います。
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専門的な知識は後で探していくとして今日は現象から仮説まで組み立てたいと思います。
仮説は「場と認識の共認は一連である」という事です。事例を追って考えてみます。

映像系の授業を受けた事のある知り合いから・・・「ある先生は話が非常に面白くて授業の合間に生徒の笑いをとるネタを挟む。教壇に先生がいる映像側はドッと笑いがおきるんだけどこちらはワンテンポ遅れたり、笑いがクスッと小さくなる。」これは先生との間の共感空間が映像を挟む事で形成されにくい一例と言えるかもしれません。

授業に映像を取り入れている事例・・・確かに目新しくて、面白そう。映像化される事でリアルに理解できそう。さらに映像ソフトを手に入れると自宅で一人でも授業が受けられます。でも実際やってみて、意外と頭に残らない事に気が付きます。目の前に授業をしている先生がいる場合を想像してみればイメージできると思います。この事例も上記と同じように映像では場を感じられないから授業の内容が定着しないという一例です。
余談ですが、それに対して昔のラジオ講座(今の40代の世代なら知ってますよね )は、よく頭に入りましたよね。 視覚より聴覚の方が勉強するには都合がいいようです。

さて、なんで屋劇場。
なんで屋劇場は大阪、東京でそれぞれ80人からなる大人数で議論を進めていきます。議長は一人で東京か大阪どちらかで担当する事になります。
先日は大阪で議長が会議運営していてそれを東京が映像で受けていたました。劇場参加者は青・赤ボタンで賛同、わからない等の意思表示を示すのですが、大阪で主に議論されている時、大阪では赤ボタンがつかなくても東京で多くつくケースが時々あります。 逆に東京で発言された意見に大阪で赤ボタンが付く事もこれまでありました。場と認識に大きな関係があるという事例として紹介してもいいのではと思います。
これは場の空気が相手のいいたい事を深く理解(=共認)する上で重要であるという事を示しており、発言者が近くに居る大阪の方が場の空気がわかりやすかった⇒理解は深まったと言えるのかもしれません。

以上の事から発信者と受信者という関係において十全に共認回路を機能させるには場の空気は非常に重要であるという点です。場の空気を読むには視覚、聴覚、臭覚、(触覚)等の感覚機能を動員させます。おそらく太古の人類は相手とのきめ細かい共認をはかる為に全ての機能を使って対応していたのでしょう。
映像(=擬似視覚)は見たつもりになってしまいます。おそらく、映像という目に見えない壁が共認回路を健全に駆動させる事を阻んでおり、同じように見えていても勉強など認識の定着を必要とする行為においては大きな差として生じてしまうのだと思います。
逆にラジオなどの音声は明らかに対象が見えていないわけで、それを補う想像機能が働くので認識の定着と言う意味では大きな障害にならないのかもしれません。

改めて、今一番危険なのが映像授業という事が言えるかもしれません。
コストの削減、有名講師の吸引力を使う為に映像授業を取り入れた大学や塾は商業主義に走っています。勉強(=認識)が定着するには場が必要であり、その為に先生や周りの生徒たちの一体感を作ってきた教室という場は図らずとも機能してきたのだと思います。
共認機能を解明する上で場の引力にぜひ注目してみたいと思います。

List    投稿者 tano | 2007-02-26 | Posted in ④脳と適応No Comments » 

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