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観念回路の形成過程⑨~言霊が現観念か!?~

前回 [1]のプログでは、現在の我々でも皮膚感覚で自然界(宇宙)の波動(エネルギー)をキャッチしていることが、分かっていただいとと思います。

本質の抽出というのは、“全体を”対象化・把握したうえでできること。
言い換えれば、全体を対象化しないことには「本質の抽出」はできないと考えます。

つまり精霊を措定(感じ取れる)できたのも、「本質の抽出」ができたから。
「精霊の措定」も「本質の抽出」と同時期に発生したと考えられます。

初期人類はどのようなものとして精霊を捉えていた(措定した)のでしょうか。「本質の抽出」「精霊の措定」についてもう少し詳しく見てみたいと思います。

霊性をどのように捉えていたかは、その後に登場する言語にそれを解くカギを見ることができます。
では皆さん、水虬、雷、大蛇、刀から何を連想するでしょうか?

水虬、雷、大蛇、刀はそれぞれ、ミツチ、イカヅチ、オロチ、タチを読み、全てに「ち」が付いています。

例えば「地、血、乳、稚、知」はすべて「ち」という音声で表される。つまりこれら一見全く違うものに共通する「何か」(おそらく命や、命の源というあたりか?)を感じ、それらを包括して「ち」という言葉に凝縮させたということになります。

古代日本では自然物には生物も無生物も精霊(spirit) が宿っていると信じ、それを「チ」と呼んで名称の語尾につけた。

古事記や風土記などの古代文献には葉の精を「ハツチ(葉槌)」、岩の精を「イワツチ(磐土)」、野の精を「ノツチ(野椎)」、木の精を「ククノチ(久久能智)」、水の精を「ミツチ(水虬)」、火の精「カグツチ(軻遇突智)」、潮の精を「シオツチ(塩椎)」などと呼んでいたことが知られている。

また、自然界の力の発現はその精霊の働きと信じ、雷を「イカツヂ」、蛇を「オロチ」などと呼んだ。

こうした精霊の働きは人工物や人間の操作にも及び、刀の力は「タチ」、手の力は「テナツチ(手那豆智)」足の力は「アシナツチ(足那豆智)」、幸福をもたらす力は「サチ(狭知)」などと呼ばれていた。

人間の生命や力の源が、血液の「血」にあると信じられたところに、「チ」が起源しているとも言われている。
土(ツチ)、道(ミチ)、父(チチ)も同じ考えが表現されたものと見ることができる。

Wikipedia [2]より

他にも「見、看、味、身、実」=「み」も同様で、おそらく実、身は「エネルギーや命の源が結実したもの」を示すと思われますが、同時にそれらを把握する行為(見、看、味)を表していると思われます。このように「み」という言葉(音声)で、一見異なるものを大きく括っているのです。

「ち」や「み」などは初期の観念や精霊の原型を色濃く残していると思われます。
これらの特徴は、一見違うものを大きく括っている(包括する)点にあります。つまり初期人類は一見異なる現象の奥深くに、共通する精霊(エネルギー)を見て取っていた。

このように事象を幅広く括ることが可能であるのは、いきなり宇宙全体のエネルギーを捉えることができた(宇宙全体を一括りにした)という一体回路の特性に由来すると考えられます。

もちろん、このように五感では全く異なるものを一括りに包括できるのは、他の動物にない人類の認識機能の固有の特性です(この認識方法を人類固有の「包含思考」もしくは包含律と呼ぶ)。

一体回路発の包含思考により、人類は、共通項のあるエネルギーの塊を段階的に括りなおしてゆき、そのたびに精霊を措定することで、具象(により近い精霊)に近づけていったと考えられます。このように組換え自在なことも本来の観念回路の特性です。

このようにして、人類は、分裂していた一体回路と本能回路・共認回路を一体回路発の包含思考によって結び付け、観念回路を形成していったのだろう。

なお、当初は精霊(波動のエネルギー)を身振り手振り、表情などで表していたと思われますが、皮膚感覚で捉えた波動のエネルギーを音声という波動で表現していくようになったと考えられます。これが言霊の起源ではないでしょうか。

 

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