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皮膚感覚は微細な変化も逃さず脳に情報を伝達する

原始哺乳類の原モグラは、外敵を避けて、土中に隠れ住み、視覚機能を後退させて、触覚⇒皮膚感覚を発達させる方向に進化しました。
加えて哺乳類は授乳や子どもを誉めるなど、スキンシップを通じて、皮膚感覚に快感機能を付与することで、皮膚感覚の回路を著しく発達させました。

皮膚は感覚機能として極めて優れています。例えば、日本の職人さん。大工さんは、手で触るだけで「良い木かどうか?」が分かると言い、板金職人は、一ミリ以下の凹凸も手で触るだけで感じ取ることでできるそうです。
つまり、皮膚は視覚などの他の感覚機能に比べて、極めて優れた識別能力を持っているのです。

哺乳類の知能進化① ~知能進化のカギは皮膚感覚にある~ [1]』では皮膚はそれ自体が駆動物質=情報伝達物質を分泌すると言う仮説を立てました。
実際、哺乳類は皮膚で感じた感覚はどのように脳に伝達しているのでしょうか?


脳は力(物理)で記憶するようです。
日本の東京大学で行われた研究によれば、脳細胞の接合部「シナプス」は細胞同士の物理的な圧力を使って情報伝達を行い長期記憶を形成していく、とのこと。

脳細胞の情報伝達といえば、電気を使う「電気伝達」や神経伝達物質による「化学伝達」だけであると考えられていましたが、細胞同士の押し合いによる純粋な「力学的伝達」も存在するようです。

さらに脳細胞同士の押し合いの力を測定したところ、1cm平方あたり500gと筋肉に匹敵することが判明。
どうやら私たちの脳細胞は思ったよりもずっとマッスル(ある意味で脳筋)な方法で情報伝達を行っていたようです。

研究内容の詳細は11月24日に『Nature』 [2]に掲載されました。

シナプスでは筋肉に匹敵する「力で情報伝達」がされていたと判明!

シナプスでは筋肉に匹敵する「力で情報伝達」がされていたと判明! [3]
シナプスでは筋肉に匹敵する「力で情報伝達」がされていたと判明! / Credit:東京大学

私たちの意識や記憶 [4]は、複数のニューロン [5]と、その接合部分であるシナプスによる神経回路によって形成されています。

私たちが何かについて考えたり記憶したりするときには、ニューロンで電気が流れ、シナプスでは化学物質(神経伝達物質)が放出され、神経回路を駆動させます。
そのため「電気」と「化学」が私たちの意識の本質であると考えられていました

一方で、ニューロンに対する「力学」の影響を調べられることはほとんどありませんでした
私たちの [6]は高度な電気化学回路であり、歯車やピストンのような力学的な仕組みで意識や記憶が形成されるとは考えられていなかったからです。
しかし東京大学 [7]の研究者たちは違いました。

電気でも化学物質でもない力学的な圧力が情報を伝達する [8]
電気でも化学物質でもない力学的な圧力が情報を伝達する / Credit:東京大学

ニューロン同士が新たな結合「シナプス」を形成するときには細胞 [9]の変形がともなうため、力学的な力も何らかの影響を与えてもおかしくないと考えたのです。

さっそく研究者たちは、ラットの海馬から得られたニューロンの、細長い腕の末端部分(ブートン)を極細のガラスチューブで押してみました。
すると神経伝達物質のグルタミン酸の放出がはじまることが確認されました。
また面白いことに、押し込みが適切な場合、神経伝達物質(グルタミン酸)の放出はガラスチューブでの刺激後、最大で20分間持続しました。

一方、押し込みが過剰であった場合、神経伝達物質(グルタミン酸)の放出は部分的に抑制されました(※つまり細胞が壊れてグルタミン酸が出てきたわけではない)。
この結果は、純粋な力学的刺激が、神経伝達物質の放出につながることを示します。

ただこの段階では、同じ力学的な反応が本物のシナプスで起きているかを実証できていません。
そこで研究者たちはスライスされた海馬を調査し、シナプスに「なりかけ」の部分を探し、その後部(スパイン)を刺激して拡大させてみました。

すると拡大したスパインは上の図のように、ニューロンの末端部分に接触・圧迫し、力学的な力を与えていることが確認されました。
またガラスチューブと同じように、スパインの圧迫はニューロン末端からはグルタミン酸の放出をうながしていることも判明します。
またスパインの拡大圧力を測定したところ1平方センチメートルあたり500グラムという筋肉に匹敵する極めて強い力であることが判明します。

この結果は、スパイン(下側)が拡大してニューロン末端のブートン(上側)に力学的な刺激を与えたことで、神経伝達がはじまったことを示しています。
しかしより興味深い結果は、スパイン(下側)を繰り返し刺激し、ブートン(上側)への圧迫を繰り返したときにみられました。

持続的な力学的な刺激(下から)とグルタミン酸の放出(上から)は、スパインの神経伝達物質(グルタミン酸)に対する反応を長期的に敏感にしていたのです。
スパインにおける神経伝達物質(グルタミン酸)の感受性の増大は、長期記憶が形成されるときに起こる現象です。

研究者たちは力学的変化が細胞の性質変化に及んだこのときこそが、長期記憶が成立した瞬間だと結論しました。
もし同じような現象が人間の脳でも起きているのならば、私たちの意識や記憶も細胞の力学的機構によって生じている可能性があります

そして研究者たちによれば、脳細胞の力学的な差は個性の根源である可能性がある、とのこと。

個人差の根源は脳細胞の力学的特性にあるかもしれない

個人差の根源は脳細胞の力学的特性にあるかもしれない [10]
個人差の根源は脳細胞の力学的特性にあるかもしれない / Credit:Canva . ナゾロジー編集部

今回の研究により、力学的な刺激がシナプス形成において重要な役割を果たすことが示されました。

将来シナプスとなる後ろの部分(スパイン)が前の部分(ブートン)を力学的に押し込むことで神経伝達が開始されて短期記憶 [4]が形成され、押し込み続けることでスパインの性質がかわって長期記憶が形成されていたのです。

どうやら長期記憶形成の鍵は、シナプスの後ろがいかに前を圧迫するかという、極めて力学的な側面を含む現象のようです。

しかしこの事実の裏を返せば、短期記憶の段階では「記憶の保持領域」がシナプスの後ろ(スパイン)までである一方、長期記憶の段階ではシナプスの前にも移動していることを示します。
これは、 [6]では短期記憶と長期記憶が別の場所に保存されているという他の研究報告にも合致する内容です。

また今回の研究は「なぜ運動や得意技が人ごとに異なるのか?」という長年の疑問に対する答えにもつながるかもしれません。
脳の神経接続が細胞 [9]運動に依存しているのならば、得意分野などの個人差もまた、脳細胞の運動能力の差に帰結する可能性があるからです。

また記憶が歯車やピストンのような力学的な仕組みに依存するという発見は、脳を新たな角度から再解釈する第一歩となるでしょう。
研究者たちは今後もシナプスにおける力学的な機構を解明していくとのこと。
スパインには精神疾患にかかわる多くの分子が存在していることが知られており、今後の薬を開発するうえでも重要な役割が期待されます。

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