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オランウータンの知能進化③~原猿の手探り回路と樹上適応~

前回までは、哺乳類以降の知能進化の歴史を見ていきました。
今回は、原猿の知能進化の歴史に焦点を当てていきます。

【原猿に分類されている生き物たち】
アイアイ                                                                 メガネザル
[1] [2]
(画像はこちら [3]からお借りしました。) (画像はこちら [4]からお借りしました。)

以前ブログ [5]でも紹介した、原猿の手探り回路。(以下ブログ [5]より引用)

過密化した樹上で、終わりのない同類闘争を強いられた原猿は、周囲のサルとの状況の同一視(互いに戦意がないこと)によって、安堵感を得ることができました。
しかし、この感覚は、恒常的な類闘争が生み出す、苦痛と厭戦感と同様、本能に存在しない感覚であり、自身も捉えようがない初めての感覚。

原猿は、この置かれた状況の同一視によって得られた安堵感を求めて、相手を更に注視(探索)するようになりました。

哺乳類が持つ探索回路は欠乏(捕食、危機逃避等)が明確なものであり、本能回路上のどこかに答え(行動方針)があるもの。答えのある範囲内での探索。

しかし、原猿が迫られたのは、欠乏も未明、もちろん答えも未明という中での未知の探索!

この状況で、内識(自らの不可解な欠乏)と外識(不可解な状況)とを、行きつ戻りつを繰り返す中で形成されたこの探索回路は、哺乳類の探索回路と次元の違う「手探り回路」とでも呼ぶべきものです。

「もしや?と、やはり違う!」「もしや?と、やはりそうだ!」という「仮説」と「追求」を繰り返す中で、手探り回路は徐々に張り巡らされ、次第に自分の欠乏(心底)と相手の欠乏(心底)の像が重なっていったのだと考えられます。(=欠乏の同一視)
(引用以上)

この手探り回路の形成が相手との同一視を生み出し、さらに自身の“充足”にまで繋がっていったと考えられます。
充足を経験した結果、“もっともっと”充足したい!という欠乏も湧き、“充足探索”にも向かっていきました。

この手探り回路は、樹上に追いやられた初期の段階、体性感覚の強化を余儀なくされた段階から蓄積されてきたものだと思われます。

樹上では地上とは違い、“バランス感覚”が必要になります。
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(画像はこちら [7]からお借りしました。)

バランスを保つためには、
・木のしなり具合、枝のしなり具合、雨や風等の“外圧を掴むこと”。
・体の“重心の感覚”を高めること。
等が求められます。

樹上では外圧状況を掴み、加えて自身の内的感覚を照らし合わせ、“どう体を動かすのか”の探索と即座の判断力と組みかえが求められます。
ヒトも地面の上でバランスを取る時、木の上でバランスを取る時の体の感覚とは全然違いますよね!
(木の上だと、重心の少しの乱れを感じて、それに合わせて体を細かく動かしてバランスを取っている。)
この体性感覚も後天的にしか獲得できないもの!
バランスを取る、体性感覚を鍛えていく段階から“手探りで探索”してきたのです。

この体性感覚での組みかえが、さらなる「知能進化」を促していると考えられます。

今回は以上です。

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