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豊かな食糧に恵まれて生活に余裕を持ち、争いあう必要もなければ、余暇を生活の工夫や自然の観察に使えます(古来の日本)

日本は、世界から次世代をリードする民族として注目を集めています。

豊かな食糧に恵まれて生活に余裕を持ち、争いあう必要もなければ、余暇を生活の工夫や自然の観察に使えます(皆の追求で充足)

【日本は「まわりじゅう食べものだらけ」】と言われるほど自然に恵まれた温暖の島国で自然の脅威(地震・火山噴火・台風等)もあり、自然と共生し1万年前から平和が続いた縄文時代には、世界最古の土器が出土している。(世界最古の文明)

西洋史観による4大文明(5千年前:エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文系、黄河文明)は自然との共生が出来ず砂漠化している。

日本列島は、地質学的にも希な4つの奇跡が造りあげた美しき豊かな大地だった

4つの奇跡が造りあげた日本列島  [1] (国際派日本人養成講座 [2])より転載します。

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■1.日本列島が産んだ日本料理

日本列島は山が多く、水蒸気を含んだ風がぶつかって雨や雪を降らせます。年間降水量1700ミリは、温帯では世界トップクラス。水が豊かなため、動物や植物の種類も世界のほかの温帯地域と比べればダントツに多く、動植物の固有種は3000種類、淡水魚だけでも500種に及びます。 縄文時代には狩猟・採集中心で、農耕や牧畜をしないまま定住に入ったという、世界の他の古代文明とはまったく違った生活様式を生み出しましたが、それもこの豊かな自然があったからです。多くの種類の食材を、旬を考えて調理するという日本料理の特徴も、この自然の豊かさからきています。

また雨水が岩石の間を通る際にカルシウムやマグネシウムなどのミネラルが溶け込みますが、日本では山が急峻なため、ミネラルをあまり含まない「軟水」となります。 フランスのように平らな大地を水がゆっくり浸透すると、ミネラルの多い「硬水」となりますが、それでお吸い物を作ると、ミネラルが昆布の表面にくっついて、「うま味」が出ません。出汁(だし)をうまく使った日本料理は、軟水だからこそ発達したのです。 また急峻な山肌がそのまま海に入るので、海岸線のすぐ近くに深海があります。ホタルイカは200~300mの深さに住んでいますが、富山湾は深いところで水深1000mもあるので、岸のすぐ近くで獲れるのです。伊豆半島近海でとれる金目鯛も深海魚ですが、駿河湾や相模湾にも2000~4000mの深海がすぐそばにあるからです。急峻な山と深い海という特性が、日本料理の食材を豊かにしています。
■2.卵の殻が動いてぶつかり合う

この日本列島の地形は、数千万年の間に地質学的な奇跡が4回も重なってできたもの、という事が明らかになっています。「地球上でも例のない奇跡の大地」と呼ばれています。[NHK, p96]  この4回の奇跡は、いずれも日本列島の近くにある3つの巨大な岩盤(プレート)の動きから引き起こされています。プレートとは、地球を半熟卵に例えると、表面の殻のようなものです。ただしその殻はヒビ割れて14~15枚に分かれて、それぞれ独自に動いています。

(中略)

■3.第1の奇跡: ユーラシア大陸から引きちぎられた列島

約3千万年前、すでに恐竜は絶滅し、ユーラシア大陸では体長7メートル、肩高5メートルほどもある史上最大の哺乳類パラケラテリウムが闊歩(かっぽ)していました。のちに日本列島となる一帯はユーラシア大陸の東端にくっついていました。 そこに大地震を発生させながら、大陸の東端の大地が割れはじめ、激しい火山活動が始りました。東端部は数百万年かけてゆっくり、東へ東へと引き裂かれていきました。裂け目には、始めは水が溜まり湿地や湖ができましたが、2500万年前、太平洋の海水が入り込み、東端部は大陸から分かれた島になりました。

(中略)

■4.第2の奇跡: 伊豆諸島の日本列島への衝突

伊豆諸島は伊豆大島から南南東に向かってほぼ一直線、三宅島、八丈島など大小100余りの島が550kmに渡って並んでいます。これらの島々はフィリピン海プレートの北への移動に乗って、日本列島に接近してきました。 そして1500万年前に西日本の北側に衝突を始め、現在の甲府盆地の西の櫛形山地、次いで御坂山地、丹沢山地ができました。丹沢山地は富士山の東、神奈川県北西部にある南北20km、東西40kmの地帯で、標高1500メートルを超える山が9つあります。ここはかつては南の海の海底で、今でも山頂でサンゴやオウムガイの化石が見つかっています。

(中絡)

■5.第3の奇跡: 西日本の山岳を作った超巨大カルデラ噴火

1400万年前の日本列島には、まだほとんど山はなく、湿地が広がり、ゾウやワニの祖先が暮らしていました。しかし、現在の西日本では紀伊半島から、四国の南部、宮崎から鹿児島と、山地がベルト状に広がっています。 これらの地域では、1400万年前に超巨大噴火が集中して起こったのです。日本列島となる一帯がユーラシア大陸から引きちぎられて現在の場所に移動していた時に、今の沖縄付近にあったフィリピン海プレートも東に引っ張られ、裂けた部分に巨大な割れ目ができました。

(中略)

■6.第4の奇跡: 東日本の山々を作った東西圧縮 

一方、東日本の山々を作った第4の奇跡が、300万年前に起きました。この頃、南から北に移動していたフィリピン海プレートが太平洋プレートにぶつかり、それ以上北には進めなくなって、北西に沈み込む方向を変えました。これは地球史上でもめったに起きない現象だと言われています。 それに伴って、ユーラシア大陸プレートに押しつけられましたが、こちらでもこれ以上、動けません。すると縁の部分にある日本列島が東西に圧縮されて、隆起しました。この「東西圧縮」の力で、東日本は2千メートル以上、隆起したと考えられています。

(中略)

■7.豊かな日本列島で定住生活が可能になった

こうして世界にも希な奇跡が4つも重なって形成された日本列島に、我々の先祖は大陸から移ってきました。極寒のシベリアを超えて北海道へ、朝鮮半島や中国南部から海を渡って九州へ、さらには南から南西諸島をたどって。 そこは温暖な気候、豊かな雨量で繁茂する山林があり、小動物や木の実、キノコが豊富にとれました。急峻な山肌が作った複雑な海岸線は多くの入り江を作り、魚や貝をとるには好適でした。しかも豊かな森の落ち葉による腐葉土の栄養を河川が海に流し込み、たくさんの魚を育てています。

世界の古代文明は1万2千年前くらいから農耕と牧畜を始めて、ようやく定住生活に入れたというのが従来の文明観でしたが、我々の先祖たちは採集と狩猟だけで定住生活を始めたのです。それもこの豊かな日本列島のお陰でしょう。 しかも、縄文時代には大陸のような大規模な戦いの跡は見つかっていません。我々の先祖たちは多様な出身を問わず、仲良く暮らしていたのです。それも、豊かな日本列島のお陰で食糧を奪い合うような争いは不要だったからでしょう。

■8.4つの奇跡が作った日本列島への感謝と慎み

豊かな食糧に恵まれて生活に余裕を持ち、争いあう必要もなければ、余暇を生活の工夫や自然の観察に使えます。縄文時代の遺跡からは、獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上の残滓が見つかっています。 貝にしても、どこの入り江のどのあたりで、どんな貝がとれ、それはいつ頃に旬を迎え、食べる量をどれくらいに抑えていれば、翌年も豊かな恵みをいただけるか、考えて採集していたようです。シジミやハマグリは遣された貝の断面の成長線を調べると、全体の70%は4月から6月にかけて食べていたことがわかっています。現代の潮干狩りと同様、この時期が最も脂がのっているのです。 狩猟・採集といっても、麦だけを植える農耕や、羊だけを育てる牧畜などより、はるかに複雑な知識を発達させていたのです。このような知識集約型の生活から、世界でも最古級の土器が生まれたというのも、不思議ではありません。[JOG(1078)]  こうした日本列島の豊かな恵みに感謝すれば、そびえる山、巨石、高い木、清らかな川、豊かな海に、自分たちを護ってくれている神々を感じとるのは、人間の自然な心理でしょう。神々は時にはお怒りになって、暴風雨や山崩れ、地震などで人間を襲いますが、だからこそ人間は神々の恵みに感謝しながら、慎み深く生活しなければならない、とご先祖様たちは考えたのです。 こうして見ると、日本人の古来からの世界観と文明を生みだしたのは、日本列島だった事が分かります。そして、この列島は地質科学でも希な4つの奇跡が創りだしたものでした。現代の我々も、ご先祖様と同様、感謝と慎みの心をもって、この日本列島を大切にしたいものです。(文責 伊勢雅臣)

参考リンク

■ a. JOG(1078) なぜ世界最古の土器が日本列島から出土するのか? 1万年以上も自然と共生し、平和が続いた縄文時代は「文明先進国がどこも体験することのできなかった貴重な時間」だった。http://blog.jog-net.jp/201809/article_1.html [3]_____________________________

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