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昆虫の闘争行動(収束先は体の大型化)対して観念動物の人間は?その2

近年の草食男子(男性ホルモンの減少→精子減少)が増えている原因の一つは、

肉体的同類闘争(70年代以降、貧困の消滅により直接個人の本能に訴える事が少なくなっている)が減少し、観念闘争(肉体能力<観念力)の時代を迎え、現代男性の男性ホルモン(テストステロン)の変化(低下?)がみられるとの研究発表があった。

しかし、生物史を通して、性(オスとメス)分化は「進化の原動力であり、多様な環境に適応できるシステム」そして「共に生きるという生命の大原則」であり、

観念力の時代では「男性の存在理由」は物理的な闘争力でなく、追求力を原点としたものであると考えられるので、男の男たる由縁の男性ホルモンはテストステロン以外にも有ると思われる。

以下の投稿を転載します。

人類はなぜ文化的に進化したのか。カギは「男性ホルモンの低下」にあり [1]:研究結果

 〇「戦争は人類の本能」説は事実か [2]

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人類はなぜ文化的に進化したのか。カギは「男性ホルモンの低下」にあり:研究結果

人類が文化的に発展するには、協力的であることが必要だった。そして、人類が協力的であるためには、男性ホルモンが大きく関わっている。

太古の昔、とある時期を境に、人類は学問、道徳、信仰などで社会を纏めることを覚え、彫刻や壁画のような芸術を嗜むようになった。

このような文化的開花の鍵となったのは、社会がより女性的に、協力的になることで、そのため男性ホルモンの一種であるテストステロン値の低い個体が選ばれてきたのではないか──。そんな驚くべき研究結果が、米ユタ大学 [3]デューク大学 [4]により発表された。

化石が伝える歴史をみると、現生人類(ホモ・サピエンス)が現れたのは約20万年前のこと。しかし、熱処理をほどこされた骨角製品、火打ち道具、飛び道具、砥石、釣り道具に鳥の罠など、洗練された道具や芸術品の制作が突如として広まりだしたのは、ほんの5万年前のことである。その間の15万年間、人類は化石に残るだけの文化を持ち得なかったのだろうか。

今回、ジャーナル誌「Current Anthropology [5]」で発表された論文には、20万年前から5万年前までの間に、人類が経験してきたであろう“進化”と、それゆえの“文化的空白”の理由がシンプルに説明されている。

人類が長らく存在してきたにもかかわらず文化的創造性の開花が遅れた理由には、いくつかの仮説がある。そのなかでも支持されつつあるのが、「文化交易が起こるには、人類の人口密度の増加と生息場所の拡大が重要な要素だった」というものだ。

文化交易に至るには、何らかのイノヴェイションが起こり、それを他に伝えようとする「現代的行動 [6]の発現」が不可欠だ。さらにこのプロセスは、各集団の人数が多く、集団間の繋がりが強いほど、文化的革命が起こりやすく、維持しやすく、広まりやすいことがわかっている。

では、約5万年前に起こった文化的開花に至るにあたり、大人数の集団を纏めるためには、いったいどんな種が蒔かれなくてはならなかったのか?

頭蓋骨の分析。

論文の筆頭者となったユタ大学の大学院生であるロバート・シエリ氏に言わせると、それは人類が「親切で忍耐強く、協力的になること」だ。

「技術的なイノヴェイションや、アートの制作、迅速な文化交易などに対する現代的行動がみられるようになったのは、ヒトの気性が和らぎ協力的になったのと、おそらく同時期でしょう」

そう話すシエリは、デューク大学の学生時代から、古代人と現代人あわせて1,400もの頭蓋骨を分析してきた。彼は8万年以前の化石から13の頭蓋骨を、3.8~1万年前からは41の頭蓋骨を、そして20世紀の現代人からは30の異なる民族1367の頭蓋骨サンプルを比較した。

すると興味深いことに、古代人と比べて現代人の眉弓は平たくなり、顔は縦に縮まり丸みを帯びるといった、テストステロンの低下によるものと思われる解剖学的変化が起こっていた。

一般的に、男性ホルモンの一種であるテストステロンの低下は、人間の闘争本能や孤独願望を下げ、親切で協力的になることと関連している。

「ヒトの化石をみると、現代的行動を取るようになったあとの時代は、女性的な顔つきをもつ個体が多くみられるんです。平均的な古代人と現代人の頭蓋骨の違いは、テストステロン値の強い人と弱い人の違いに似ています」と、シエリは話す。ただし、頭蓋骨から男性ホルモンの量やレセプターを推し測ることは不可能なので、こういった議論は動物の研究を参考にすることとなる。

デューク大学の動物認知学の研究者であるブライアン・ヘアとジングズィ・タン両氏によると、テストステロン値と頭蓋骨の変化の関係は、動物ではよくみられる現象だという。

例えば、シベリアキツネの選抜育種の例がある。人間の好みで、気短かではなく、攻撃的ではない個体を選んで交配させていくうちに、シベリアキツネは20~40世代であどけない風貌をもつようになり、幼いふるまいをするようになった。

変化が起こったのはシベリアキツネの性質だけではない。世代を重ねるにつれ、オスとメスの犬歯の性差が小さくなり、オスの頭蓋骨が縦に短く横に広く変化した。つまり、気性の激しい個体を除外し交配することで、オスの顔立ちはメスのように変わっていったのだ。

また、霊長類の中でもヒトに最も近縁である好戦的なチンパンジーと平和主義のボノボをみても、同様の変化が認められるという。

チンパンジーはオスが主導権を握る力社会で、テストステロン値が高く、喧嘩が多い。

一方、メスの方が優位にあるボノボは、社会関係に何らかの緊張が加わった場合、老若男女問わず性器を擦り合わせることで“和解”し、穏やかに解決してしまう。社会的摩擦の少ないボノボは、テストステロン値が低く、雌雄の性差も小さいそうだ。

両者には、社会的なものの他にも違いはある。チンパンジーのオスは年頃になるとテストステロン値が上昇するが、ボノボのオスにはそれがない。また、ストレスを感じると、チンパンジーのテストステロン値は上がるのに対し、ボノボの場合はストレスホルモンであるコルチゾールが生成されるのだという。

そして、やはりチンパンジーとボノボの間には、眉弓において決定的な差がある。研究者によると、「眼窩上隆起のあるボノボは滅多にいない」のだそうだ。

「人間とは、自分の複雑な考えを相手に伝えられ、赤の他人とすら協力し合うことができる、といった点で、とてもユニークな動物です」と、シエリは話す。「ヨーロッパ、アフリカ、近東の石器時代の化石をみると、これらの人間的性質が約5万年前に出現したことがわかります。ヒトの現代的行動は、その後に起こった文化的発達と関連しているのです」。

人間社会というものは、甚大なるストレスを生み出す場所でもある。ヒトもまた、理想の社会を形成するにあたり、何万年もかけてテストステロン値の低い、より協力的で忍耐力のある個体を選んできたのだろうか。しかしもしそうだったとしても、これが文化的イノヴェイションを促すのなら、男性が“女性化”を悲嘆することはないだろう。

シエラも最後にこう締めくくっている。「かつて古代人たちが共に生活するようになり、新たな技術を誰かに伝えようとしたとき、互いに対する辛抱強さがなくてはならなかったはずです。人類の文化的成功の鍵は、協力的で仲良くでき、相手から学び取れる能力なのです」。

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「戦争は人類の本能」説は事実か

日本学術会議フォーラムにおける山極壽一会長の挨拶

「戦争は最初から人類にあらわれたものではない。人類進化の歴史700万年のうち、たかだか最後の1万年、農耕が始まった頃からあらわれたものでしかない。それは化石標本からも、歴史の事実からも、私の霊長類の研究からも明らかになっている。戦争は人間の本性でもなく、社会を維持する原動力でもない。平和や調和を求めるのが人間の本性であるという前提に立って考えねばならない」

(略)

人類学の見地からみた真実

山極氏は『ゴリラからの警告--人間社会、ここがおかしい』(毎日新聞出版)で、オバマのノーベル平和賞授賞式の演説について、戦争は人類とともにあったとして「平和を維持するうえで戦争は必要であり、道徳的にも正当化できる場合があることを強調した」ものであり、その言葉通り、アフガンへの武力介入を強め、11年にはアルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを殺害した必然性を明らかにしている。

そして、「なぜオバマ前大統領は戦争という暴力が平和の正当な手段であると言いきるのか。なぜノーベル平和賞は暴力を用いて戦争を抑止しようとする活動にあたえられるのか。そこには、戦争につながる暴力は人間の本性であり、それを抑えるためにはより強い暴力を用いなければならないという誤った考えが息づいているように思う」と記している。

政治国家出現で戦争始まる 日本では弥生以降

山極氏はさらに、こうした「戦争が人間の原罪であり、暴力は最初から人間とともにあった」とする考えが広がったのは第2次世界大戦直後からであることを強調している。それは、南アフリカで人類の古い化石を発見したレイモンド・ダートがうち出した「人類は長い進化の歴史の中で狩猟者として、獲物を捕らえるために用いた武器を人間へ向けることによって戦いの幕を開けた」という仮説を根拠にしたものであった。

その後、人類学、考古学で明らかになった科学的事実は、ことごとくこの学説の誤りを証明するものとなった。ダートが主張した人類化石の頭骨についた傷は、人類によるものではなく、ヒョウに殺された痕だと判明した。それらによって「人類は狩猟者ではなく、つい最近まで肉食獣に狩られる存在だったし、人間に近縁な霊長類が群れをつくる理由は、食物を効率よく採取するためと捕食者から身を守るためだったということがわかってきたのだ」。

ちなみに、『日経サイエンス』は、12月号の特集「新・人類学」のなかで、アメリカの人類学者、R・B・ファーガソン(ラトガーズ大学教授)の論文「戦争は人間の本能か」を掲載している。

ファーガソンは、戦争が人間の本能から来るという論の影響として、政治学者フランシス・フクヤマの「近年の戦争と虐殺の起源は数十万から数百万年前の祖先である狩猟採集民、さらにはチンパンジーとの共通祖先にまで遡る」という記述や、国際政治学者セイヤーの「自分の部族を守ろうとする本能的な傾向が、時を経つうちになぜ、国際関係におけるよそ者嫌いや自民族中心主義に変容していくのか、進化論によって説明できる」という説をあげている。

そして、「ヒトの本性に部外者を集団で侵す傾向がある」から、人間は戦争を我慢できないという論には、なんら科学的根拠がないことを明確にしている。人間の歴史において、集団的殺戮が登場するのは、狩猟採集社会が規模と複雑さを増し農耕が始まったころである。この歴史的段階は「政治国家を形作る基礎」となり、このころから人間はしばしば戦争を引き起こすようになった。

ファーガソンは考古学や民族誌の記録を詳細に検討した結果、戦争が起きやすくなる前提条件として「定住性への移行、地域人口の増加、家畜など貴重な資源の集中、階層性や社会的複雑さの増大、貴重な品々の取引、集団の境界および集団的アイデンティティの確立」などをあげている。

そして、文化人類学者ミードが1940年に著した論文のタイトル「戦争は発明にすぎず、生物学的必然ではない」が持つ普遍性を明らかにしている。

ファーガソンは日本で発見された縄文・弥生時代の受傷人骨も、そのことを裏付けるとしている。それに関連して、中尾央・南山大学人文学部人類文化学科准教授(自然哲学)が「日本で戦争が始まったのはいつか」と題するコラムで、縄文時代(狩猟採集社会)の遺骨や遺物から「明確な戦争の確証が得られていない」が、弥生時代(農耕が主体)では、戦争があったことを証拠立てる埋蔵物が明らかに増えていることを明らかにしている。

山極氏は別のところで、「人間はその本性からして暴力的な動物なのか、あるいは穏やかで温和で平和を愛する動物だったのに、どこかで暴力的な行為を始めたのか。自分たちに都合よく“必要な戦争だ”という政治家に対して、科学者は証拠をあげて、それが正しい判断なのかどうか、答えなくてはいけない」と語っている。それは、次のような指摘とつながっている。

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