<把握様式の進化か、脳容量の拡張か?>
・脳容量の拡張にはDNA変異が必要で数万年はかかる。そこで、本能は最適手法たる照準化→類型化に収束。この照準化→類型化が先に細胞質(おそらく中心体)に刻印された。
・このことは、DNA進化に先行して、まず細胞質が進化することを明示している。考えてみれば、それは当然であって、卵子と精子の細胞質の全ては(精子の鞭毛とミトコンドリア以外)そっくり遺伝する。そして細胞質は必要発の駆動物質によって、DNA変異より遥かに容易に変異する。
・又、細胞質の変異は≒進化だが、DNAの変異はそのごく一部が進化に寄与するに過ぎない。更に、たとえDNA変異が中立(無方向)だとしても、その変異DNAの適・不敵を判断するのは駆動物質である。従って、進化の方向を規定しているのは、要・不要発の駆動物質であり、DNAではない(DNA進化は、その結果にすぎない)。
・鮮明度の上昇もDNA変異を待たねばならず、その前に形の類型化に向い、形の類型が先に細胞質(おそらく中心体)に刻印された。
・これは、鮮明度(解像度)を上げるのに必要な物質を増大させるDNA変異より、駆動物質発で把握機能を進化させる細胞質の変異の方が容易だからである。
・又、細胞質の変異は≒進化だが、DNAの変異は大半が不適応態で、ごく一部だけが進化に寄与するに過ぎない。更に、たとえDNA変異が中立(無方向)だとしても、その変異DNAの適・不適を判断するのは駆動物質である。従って、進化の方向を規定しているのは、要・不要発の駆動物質であり、DNAではない(DNA進化は、その結果にすぎない)。生物学者たちも、いい加減にDNA神話から脱却しないと、世間の笑い物になるだけだろう。
<赤ん坊:言葉の類型化>
・本能(細胞質)に刻印されている把握機能で言葉を類型化し、類型発で掴む→声に出す。
・音韻の類型認識→一音毎の類型認識→文法的な類型認識(語尾活用etc.)
・主要には1才前後によく聞く言葉を(本能に刻印された把握様式に基づいて)類型化している。ex.飲む、噛む、生む→死む。いない、しない→来(き)ない。
<人類の脳容量の急拡張>
・足の指が先祖返りして樹上で生きてゆけなくなった人類は、類型化etc.の把握機能を駆使してもとうてい対応できないような極限状態に陥った。
・そこで人類はひたすら「どうする?」をみんなで追求し続けるしかなかった。それが、チンパンジーの400ccから1400ccへと人類の脳容量が急拡張した理由である。言い換えると、人類の脳は「どうする?」を追求するためにある。その追求こそが、抽象化の極北に言葉(観念機能)をも生み出した。
・衝撃的な体験や映像は殆どが言葉化される。そして、一旦言葉化されると、その言葉を起点にして体験や映像を思い出すようになる。例えば、「幼児期の記憶」という言葉発でいくつかの体験や映像が思い起こされ、「3.11」という言葉でいくつかの出来事や映像が思い出される。
◎従って、言葉は様々な体験や映像の言葉化された(半)永久回路を飛躍的に増大させ、思い出し能力を飛躍的に上昇させる。それが、言葉(観念機能)を獲得して以降、人類の脳容量が飛躍的に拡張されると共に、知的能力が飛躍的に上昇した理由である。
・しかし、人類はその観念機能によって、約20万年前に極限状態を脱した。それ以降、人類の脳容量は増大していない。
そうなると、人類の進化は、他の動物と同様に、二元化→類型化→構造化という把握機能の進化に委ねられることになる。
・おそらく人類は、(現在既に登場しているが)論理不整合な文章(書き言葉)を脱して図解化に向かうだろう。
(岡田淳三郎)