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日本語の科学の可能性

多くの国では、基本的に科学を英語で学んでいるが、日本では科学を母国語で学ぶことができ、専門用語も多くが日本語であらわすことができる。実は世界を見渡しても、欧米の言語と全く異質な母国語を使って科学をしている国は極めて稀なこと。そうであれば、ここに日本から近代科学を超えた次代の科学を生み出す可能性があるかも知れない。

■言語の習得課程
言語の習得には臨界期があって、その時期を過ぎると習得が困難になると考えられ、以前は早い時期に英語教育を始めた方が良いと言われてきたが、最近の日本ではこの考えが見直されて来ている。現在は、まず母語である日本語をしっかりと根付かせてから、第二言語として英語を学んだ方が良いという意見がふえてきた。

ヒトは限られた領域の中に言語の情報を入れて活用している。この限られた言語領域で二つの言語を母語にしてしまうと、結局はどちらの言葉もうまく使いこなせない可能性がある。まず日本語でしっかりと考え・表現する事が出来る基礎的な能力を身につけ、そうして身につけた日本語の基礎力が支えとなり、英語など第二言語もより深く学ぶことが出来る。

■日本は英語以外で科学について考える事が出来る数少ない国の一つ
 さらに注目すべきことが、日本の科学技術が発達したのは、科学を日本語で考える土壌があった点だ。江戸末期から明治期に亘り、日本は西洋から多くの物事を輸入したことだ。日本人は西洋文明をそのまま受け入れるのでは無く、咀嚼して積極的に新しい日本語つくった。

哲学者・啓蒙学者の西周は「科学」を始め哲学、技術、断念、帰納、定義、知識、理念、意識などの日本語への翻訳に多く関わったと言われる。明治の初期にこのような言葉が作られたからこそ、西洋文明をベースにした学問を日本語で学ぶ事ができ庶民でも知識レベルが高くなった、と言われている。

現在、科学の専門用語の多くが日本語であらわすことができる。そのため、一つの言葉から実感を伴ってイメージをする事が出来る。例えば「陽子」という言葉からは、「電気的に陽極(プラス)の粒子」である事を感じ取る事が出来る。しかし、英語の「プロント」と言われても、日本人からしたら電気的な性質についてはピンとこないかも知れない。生物の「さいぼう」も、その漢字と語感から「小さく細分化されたものの一区画」だという事が直感的に感じ取れる。

■「異化の科学」から「同化の科学」へ
近代科学の思考法では、客観性を重視する。この(主観)客観思考は、自分の内面だけから、観察対象を限定し、その世界が全てであると思い込む、異化思考と言えるもので、これは、近代科学的思考法の重大な欠陥である。それに対して、日本の伝統的な思考法方法は、主体と対象の可能な限り一致させ、対象に肉薄していく思考法=同化思考である。事実をありのまま捉え、現実対象に限り無く近づくことで、現実課題を突破することが出来る。そのとき、(主観)客観思考のような、切り捨てて燻っている潜在問題はない。(るいネット「異化という近代科学の思考法」 [1]参照)

日本は英語以外で科学について考える事が出来る数少ない国の一つ。そのお陰で、多くの世界を驚かすような発見をいくつもしてきたと言っても過言ではないだろう。言語は人の思考方法や思考の内容に影響を与える。日本語で思考する事で世界のトップレベルの発見ができるのは、日本語の基礎となっている日本の文化、思考方法が優れているからだと考えたい。そうであれば「近代科学の思考方法の限界」(科学はなぜ停止したのか? [2])を超える次代の科学、思考方法は日本人から生み出される可能性は高いと思われる。

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