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科学はなぜ停止したのか?

20世紀初頭のアインシュタイン等の時代以降、科学の発展は止まっている。しかし、もし科学が大きな進化を遂げれば、人々の生活も大きく変わる。

例えば、生命原理を深く捉えた科学理論が出来上がれば、生きることや健康であることの意味すら塗り替えられ、よりよく外圧適応できる(=より充足できる)未来生活を送るために、精神と体をどのように統合していくか?などが新しい医療とも哲学ともいえる思想として共認されるだろう。

そこでは、もはや物質に偏った科学や生活や医療ではなく、人間としての生き方を問う、本源的なものになるだろう。

では、科学や医療が停滞している理由はなにか?それは、市場社会での金貸支配という現代社会の支配構造の問題という側面もあるが、より深い位相に、近代科学の思考方法の限界』『科学者という職業選択の動機が私権獲得のみになった』が存在する。 

☆近代科学の思考方法の限界

その方法は、天上は神の世界、自然のある地上は悪魔の世界として、自然に対する肯定感が全く無いまま、

>「自然は手つかずで残すよりも、人為的に(機械装置で)苦痛を与えた方が本来の性質がはっきりと現れる」「真実を追求するうちに、自然の見えない秘密が見えてくるのだ」「自然は自由を失い、奴隷となり、束縛を受けなければならない」「人間の知恵と力が一つになったとき、自然は切り裂かれ、機械と人間の手によって、それまでの姿をくずされ、押しつぶされ、型にはめこまれるだろう

という宗教観念によるものである。

これは、自然対象を肯定する、生産者の職人の感覚とは180度異なるもので、その結果、自然も人間も破壊されていく研究ばかりがのこったのである。

職人と科学者 [1]

のように、

近代科学は、人類が期の延びてきた武器である対象への同化とは正反対の思考法であり、対象の全体性から人間の都合のよい部分のみを恣意的に読み取るゆがんだ思考法であることがわかる。

この思考法からは、物的に豊かになることは出来ても、自然や人間を破壊し続けるという研究しか残らない。同時に、1970年以降高まってきた、近代科学が壊し続けた自然や人間性を再生するという社会からの大きな期待に、科学者は手も足も出なくなった。そして、科学者自身も自らの能力の限界に気がつき始めている。

☆科学者という職業選択の動機が私権獲得のみになった

『科学者』という国家制度に組み込まれた特権的身分が出来たのは、19世紀半ば以降であり、それは、戦争の主体が王から、国民から徴兵する近代国家へ交替する過程で起こった。

この頃から科学技術が戦争に勝つための重要な条件となり、国家が大学に工学や科学という専門の学科を創設し、その担い手である『科学者』という身分を作ることで、優秀といわれる人材を選抜し始めた。

しかし、この体制化が完成するのは20世紀初頭になる。よって、それまでの科学者は、そのような身分ではなく、大きくは、富裕層の宗教家・哲学者とも重なる思想家であり、国家に身分を保証してもらう必要などない人がほとんどであった。

ここまでの科学者は、富裕層の中の話ではあるが、科学も含めた思想的な側面を持っていたので、全体性や、(支配のためという条件はつくが)社会性を基盤に置きながら追求を行っていた。そこでは、少数の富裕層間の熾烈な知名度闘争もあって、そのトップクラスは人々の生き方を変えるような成果をあげてきた。

しかしながら、科学の体制化が完成する20世紀初頭以降は、『科学者』という国家から庇護される身分そのものが、『科学者』になる動機になり、追求は二の次で、私権獲得が目的になってしまった。

そして、国家からの科学者需要が増え、科学者が水ぶくれしてくる20世紀中盤には、研究成果の良し悪しによる淘汰を嫌い、学会という仲間集団内で、互いに干渉しないルールを築き上げ、それを専門分化という言葉で美化し、相手が踏み込むことを許さない科学者の安住の地を作りだしたのである。

以上の2点が、科学は停止の主要な原因であり、この状況が醸し出す科学へ不信を抱くの潜在思念が、現代の学生の科学離れの原因でもある。

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