- 生物史から、自然の摂理を読み解く - http://www.seibutsushi.net/blog -

西洋医学が有効な範囲は限られている~「細菌説」というドグマを断ち切る

Posted By seibutusi On 2015年9月6日 @ 1:51 PM In ⑧科学ニュースより | No Comments

 

現代は、毎年40兆円以上の医療費が費やされているにもかかわらず、国民の健康が改善している気配はなく、年間数百万人が受ける人間ドックで、まったく「異常なし」の人は7%しかいないという実に“異常”な状況だ。

その理由は何んだろうか?

その理由は、もともと近代医療(=西洋医学)では解決出来ない領域にまで手を出し、無理やり西洋医学的なアプローチで解決をしていることにあると考えている。では“近代医療では解決出来ない領域”とは何か? それは、年々患者数が増加しているアレルギーや自己免疫疾患、ガンなど、もともと身体に備わっている機能の「バランスの崩壊」「機能不全」に関わる病気がそれにあたる。それらの病気には特定の病原菌は存在しない。

もともと西洋医学が有効なのは、例えば感染症のように、ある病原菌が原因となリ発病する病気という限定された範囲でしか無い。なぜなら、『病気の原因はすべて病原菌にあり、その病原菌を殺せば病気が治る』という基本的な思考に基づき、発展してきたものが「西洋医学」だからだ。

その始まりは1880年代初頭、ルイ・パストゥールやロベルト・コッホらが唱え、西洋医学の基本的な考え方のひとつとして定着していった。その考え方は「細菌説」呼ばれる。

 

 20世紀は、「細菌説」が隆盛をきわめた時代だった。それは、感染症の原因はすべて病原菌にあり、その病原菌を殺せば感染症は治るという見方で、医学界の中心的なドグマになった。医師は検査によって病原菌を特定し、その菌に効果のある治療法を施した。治療はもっぱら侵入者、たとえば結核を引き起こす細菌や、マラリアをもたらす寄生生物などを狙って行われ、宿主である患者について理解しようとはしなかったし、どこで感染が起きているかということさえ考えようとしなかった。そういうわけで、同じ感染症にかかったすべての人に、同じ薬が使われた。

 「細菌説」の観点に立てば、医師の仕事は、病気を見分け(つまり、診断し)、最もよく知られた方法で治療することだ。そしてこの戦略には科学が関与する。なぜなら科学は、ある治療方法が効果的かどうかを客観的に調べることができるからだ。キニーネはマラリアの症状を和らげるか? ペニシリンは炭疽菌感染に効くだろうか?

 そして科学が効果的な治療法だと認定すれば、医師はそれを実行するだけだ。診断‐治療、診断‐治療……。その繰り返しである。だが果たしてこれが最善の方法なのだろうか。私たちは、科学が健康状態を改善してくれると信じている患者たちとともに、このようなやり方に疑問を持ち、ほかにもっと良い方法はないのかと考えてみる必要がある。心臓疾患やがんなど、外からの侵入者によらない病気の場合はなおさらだ。

 医学において科学的アプローチが採られるようになったのは、比較的最近のことだ。かつては西洋の医師も、インド古来の医術アーユルヴェーダのように、体内のさまざまな力のバランスを重んじていた。中世には、「怒りっぽさ」を減らし、「冷静さ」を増すといった医術が施された。それは体内で働くさまざまな力の秩序を整えようとするもので、東洋哲学に通じるものだった。しかし、体を全体で一つと見なす考え方やアプローチは、20世紀初頭にはほとんど失われ、医学が病原菌に偉大なる勝利を収めたことが、その流れを後押しした。しかし、細菌説が爆発的に流行し、抗生物質が発見された時代の最中である1923年2月4日に、名高い遺伝学者J・B・S・ホールデンは、ケンブリッジで次のように述べている。

 医学の近代の歴史を振り返ってみよう。1870年頃まで、医学は生理学を基盤としていた。当時、病気は、けががそうであるように、患者の視点で見られていた。その後、パスツールが感染症の原因を明かしたことにより、医学の様相は一転し、病気によっては根絶も可能になった。
 しかし、この変化のせいで医学は方向転換を強いられた。もし細菌が発見されていなかったら、相変わらず多くの人が敗血症やチフスで死んでいただろうが、腎臓病やがんの治療はもっと進んでいたかもしれない。がんなどの病気は、おそらく特定の生物を原因とするものではなく、また結核などの病気は、理由ははっきりしないが、かかりやすい人とそうでない人がいる。それらはパスツールのやり方が通用しない病気であり、治療においては、微生物ではなく、患者を見る必要がある。

 医師は、がんを治せないとしても、がん患者を可能なかぎり長生きさせることはできる。その際には生理学の知識が重要になる。生理学者ががんの予防法を発見すると言うつもりはないが、どの分野の人が取り組むにせよ(パスツールは、初めは結晶学者だった)、がんに立ち向かうには、生理学のデータが大いに活用されるだろう。病気が撲滅されれば、死は、眠りにつくような、自然で苦しみのない生理現象になるはずだ。そして誰もが寿命をまっとうするようになるのだ。

 ホールデンは、自らの考えを述べるなかで、細菌説に関して、驚くべき予言をした。「それは、医学にとって災いである。なぜなら、私たちは細菌にばかり関心を寄せるようになり、体のシステムを忘れようとしているからだ」。今からおよそ90年も前に、彼は真実を述べたのだった。社会も人々も、健康を害する「犯人」捜しに明け暮れるうちに、すべての病気は外からやってくると思い込むようになった。しかしそれは、細菌とは無関係の、私たちの内側の世界だけに関わる病気については、完全な間違いだった。

 細菌説は、がんなどの治療にとっては災厄となった。なぜなら、科学者も一般の人々も、がんなどの病気を感染症のように見なし始めたからだ。その考え方は根づき、それに沿った治療方法が確立され、今日まで続いている。

 病院を訪れた患者は、診断を受け、カテゴリに分類され(たとえば、糖尿病か、セリアック病か、というように)、その後、その病気に効き目があるとされている治療を受ける(たとえば、インスリンによる制御か、グルテンの回避か、というように)。がんの場合、医師はそれを侵入者と見なし、それを切り取るか、壊そうとする。具体的にどうするかは、がんのある部位によって決まる。

 しかし、がんは、感染症のような単純な病気ではない。感染症の場合、診断と分類が重要となる。なぜなら、感染症はウイルスや細菌が原因であるため、侵入者が何者であり、どのように殺せばよいかがわかれば、私たちは勝利を収めることができるからだ。侵入者を測る物差しさえあればいいのだ。しかし、がんなどの病気では、たとえば病気に冒されている細胞、それが関係する臓器、近くにあるほかの臓器、体全体など、複数の物差しを用意しなくてはならない。もはや、1対1の戦いではなく、また、単一の武器で対処できる戦いでもないのだ。それは泥沼化した戦争のようなもので、小規模な衝突も起きれば、国境をまたがる大きな戦闘も起きる。

『ジエンド・オブ・イルネス 病気にならない生き方』(デイビッド・B・エイガス 著)より

このように、アレルギーや自己免疫疾患、ガンなど、もともと身体に備わっている機能の「バランスの崩壊」「機能不全」を原因とする病気に対しては、西洋医学は無力なのは明らかだ。それに替わる可能性は東洋医学的なアプローチだろう。東洋医学は、人間の身体を総合的に診て、いろいろな成分を含む自然の生薬を投与したり、体温を上げたり、バランスの良い食生活にするための指導をする。

西洋医学に、このような東洋医学と同様な治療を期待するのは所詮無理な要求に過ぎない。ならば、西洋医学は特定の病気や症状に限った適用範囲限定とし、それに替わるものとして、身体に備わっている治癒力を導き出し、身体機能のバランスの回復を目的とする東洋医学的なアプローチに期待し、そこに注力した方が可能性は大きいのではないだろうか。


Article printed from 生物史から、自然の摂理を読み解く: http://www.seibutsushi.net/blog

URL to article: http://www.seibutsushi.net/blog/2015/09/3574.html

Copyright © 2014 生物史から、自然の摂理を読み解く. All rights reserved.