- 生物史から、自然の摂理を読み解く - http://www.seibutsushi.net/blog -

シリーズ「ひらめき」その2 ひらめきエピソード

ひらめき
すばらしい考えなどが瞬間的に思い浮かぶこと。直感的な鋭さ。
コトバンク [1]

1.jpg

<画像はこちら [2]からお借りしました>

前回記事 [3]では、 “ひらめく” ためのプロセスを紹介しました。
ひらめくためには、

・ある問題についての基本的な知識を持ち, 学習 (研究) しており、
強い問題意識を持って、それ以前に長期間考えていた
リラックスした心理状態のときに, ちょっとした外的な事象がきっかけになった。 あるいは, 夢の中できっかけを得た。
・それらのきっかけを自分の問題に適用して, 明確な解決策にした。

以上のプロセスがあることがわかりました。
今回は、このようなひらめきのプロセスを経た上で生まれた歴史的な発見・発明の「ひらめきエピソード」に焦点を当てていきたいと思います。

2.jpeg

<画像はこちら [4]からお借りしました>

○アルキメデス「浮体の原理」
週刊長野記事アーカイブ [5]より)
古代ギリシャのシュラクサイという都市国家の王様が、純金の王冠を作るように命じました。一人の金細工師に金塊が渡され、王冠は出来上がってきたのですが、王様の頭に一つの質問が浮かびます。それは、「この王冠は、果たして、余が与えた金塊をすべて使って作られているだろうか。王冠の重さは、与えた金塊の重さと同じだが…。この職人は、材料の一部をくすねて、代わりに、別の金属を混ぜたのではないだろうか?」。それで、その問いを当代随一の数学者、アルキメデスに託したのです。
 彼は、日夜この質問に取り組みますが、なかなか答えにたどり着くことができません。そんなある日、いつものように公衆浴場に行きます。湯船に体を沈めると体が軽くなり、湯船のへりからザバザバッとお湯がこぼれました。それを見た瞬間に、アルキメデスの頭に閃光が走ります。「分かった!」
 このひらめきは、長期間にわたってアルキメデスの頭を覆っていたモヤモヤの雲を一瞬にして吹き飛ばし、彼の心は大きな喜びに満たされます。彼は喜びのあまり、服を着るのも忘れて裸のまま、「分かったぞ!」と叫びながら、通りを駆け抜けて家に戻ったと伝えられています。

3.jpg

<画像はこちら [6]からお借りしました>

○湯川秀樹「中間子理論」
科学者のエピソード [7]より)
彼がノーベル賞を受賞したのは「中間子理論」というものですが、そのアイディアを思いついた瞬間を次のように回想しています。
毎晩同じことを考えていたら、天井板の年輪模様の一部にぐりぐりがあり、その外をひょうたん形に年輪が囲んでいた。
次の日、気分転換にキャッチボールをしているとき、昨晩の二つのひょうたん形の年輪を思い出した。そして、ふと投げ返そうととして手にもっていたボールを見たとたん、粒子どうしでボールを投げ合っているから、反発せずに原子核を構成しているのだという仮説を思いついた
一つのことを考え続け、フッと気分転換をする。その瞬間にアイディアって浮かびますよね。

4.jpg

<画像はこちら [8]からお借りしました>

○オーガスト・ケクレ「ベンゼン分子の構造解明」
Beautiful Mind・人間の脳は謎に満ちている! [9]より)
ケクレ博士がベンゼン分子の化学構造を知りたいとの思いで、昼夜を問わず必死に研究に没頭しているときの出来事でした。漠然としたイメージは湧き上がっていたのだが、いっこうにその正確な構造が見えてこなかったのです。どのように試薬を変えて実験を繰り返しても、いつも同じ壁に阻まれて、その壁をのり越えることなどできない日々が続きました。連日連夜の実験の疲労や、睡眠不足が重なったケクレ博士がベンゼンの構造解明を半ば諦めかけていたある日の深夜、つい知らぬ間にうとうとと寝入ってしまいました。現実と夢との境で博士の脳裏には、ある幻想的なイメージが浮かんできたそうです。
 ケクレ博士の言葉を借りるとそのイメージとは、燃え盛る炎の中に細長い物質がいくつも出現し、まるで蛇のようにのた打ち回っていたといいます。蛇状のものは、やがて3匹に分かれ、互いの尾の部分にかみつくようにして輪になりグルグルと回りだしたのです。驚いて目覚めたケクレ博士は、今見た夢がベンゼン分子の謎を解く鍵になることを直感的に確信しました。そのイメージは、論理的には考えていたもののこれまで、決して形としては現れて来ませんでした。全く新しい想像の産物だったのです。その後、ケクレ博士は、ベンゼン分子が、6角形の輪でできていて、そこに水素が結合する分子構造を持つことを世界に発表しました。

5.jpg

<画像はこちら [10]からお借りしました>

○岡潔「多変数函数論」
数学者岡潔のエッセイを味わう [11]より)
偶然の発見を導いたのは、意識の世界ではない。とことん考え詰め疲れ切ってしまった先に、無意識が解答を見つけだしてくれた、という感じである。岡潔は、次のようなエピソードを残している。
 「中谷宇吉郎さんの家で朝食をよばれた後、応接室に座って考えるともなく考えているうちに、だんだん考えが一つの方向に向いて、内容がはっきりしてきた。2時間半ほどこうして座っているうちに、どこをどうやればよいかが、すっかりわかった。2時間半といっても、呼び覚ますのに時間がかかっただけで、対象がほうふつとなってからはごくわずかな時間だった。・・・(中略)
 全くわからないという状態が続いたこと、そのあとに眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。種子を土にまけば生えるまでに時間が必要であるように、また結晶作用にも一定の条件で放置することが必要であるように、成熟の準備ができてからかなりの間をおかなければ、立派に成熟することはできないのだと思う。だから、もうやり方がなくなったからといってやめてはいけないので、意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して、表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時は、もう自然に問題は解決している」

6.jpg

<画像はこちら [12]からお借りしました>

○益川敏英「小林・益川理論」ノーベル賞~益川敏英の頭の中~ [13]より)
京都大学で助手を務めていた益川博士は、ある難問に取り組んだ。それが宇宙でも最も小さい物質「クォーク」の研究だった。ここでタッグを組むのが、名古屋大学の4つ後輩で、大学きっての秀才と言われた小林誠博士だ。このタッグで、主に益川博士が理論を構築し、それを小林博士が検証していったのだが、益川博士があらゆる仮説を立てても、相棒の小林博士に必ず欠点を指摘された。
そんな中、半ば理論確立をあきらめた益川博士は、当時発見されていた3種類のクォークを、「6種類と仮定して理論を構築しよう」という破天荒なアイデア風呂場で思いついたという。理論的には成立するこの風呂場で思いついた理論は、1973年、6枚の論文にまとめられて発表されたが、当時はあまり話題に上ることはなかった。しかし、論文発表の翌年、4番目のクォークが発見され、1977年には5番目のクォークが、そして1994年にはついに6番目のクォークが発見されたのだ。風呂場で思いついた理論がついに立証されたのである。

以上の歴史的発見・発明は、全てひらめきとそのプロセスから生まれていることが分かります。このような歴史的発見・発明の背景にあるひらめきは勿論ですが、普段我々が生活していく上でも、ひらめきによって身の回りの様々な問題を解決することができます。では、 “ひらめく” 瞬間、 “脳内では一体どのような反応が起きているのでしょうか。この辺りを次回以降追求していきたいと思います。

[14] [15] [16]