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君もシャーマンになれるシリーズ11~中国の気功とは?(インドヨーガ、中国気功からみる気のまとめ)~

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画像はこちら [1]からお借りしました。
 
 前回はインドのヨーガについて探索し、自然外圧から私権圧力への変化に伴い、目的や捉え方も変化していった経緯をみました。インドのヨーガは中国に渡り、中国古来の気の文化にも影響を与えたようですが、今回は中国の「気功」について解明することとし、インドヨーガと中国の気功の違いや共通点を整理しながら、シャーマニズムにおける「気功」のまとめをしていきたいと思います 😀 。
①インドと中国における気功の違いと共通点
②中国における気功
③気功のまとめ
の順で気功シリーズを整理していきたいと思います。
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■思想としての身体技法
・「霊的な」身体技法の二大潮流として、インドのヨーガ(瞑想)と中国の気功をあげることができる。インド思想、中国思想などの「東洋」思想の特徴は、論理的な思索と身体技法がセットになっているところで、そこが思考偏重の「頭でっかちな」西洋思想とは異なるところである。
・ヨーガの目的を輪廻からの解脱、つまり正しく死んで二度と生まれ変わってこないこととし、気功の目的を不老長寿とすると、両者の目指すところはおよそ正反対である。しかし、両者の霊的身体モデルを比べてみると、それは互いによく似ていることがわかる。
(→気とプラーナ [2])参考:ヨーガと気功 [3]より
 
 インドで生まれたヨーガは中国に渡り、中国古来の気の文化と融合しながら気功となって、その形態や目的を変えて行きます。中国の気功には現代では「健康の維持」、戦乱期には「不老長寿」の意が見て取れますが、具体的にどのような背景から興ったのか、歴史を遡って見て行きます。
 
■中国の気とは
 気とは何なのか?掴みづらいと思いますが、古代中国の気の概念は「存在のすべて」「気は生命エネルギーそのもの」いうのが本質部分にありそうです。

そもそも気という言葉、あるいは概念は、気功に限らず中国のさまざまな文物に見られるものです。古代中国では、世界の万物を成り立たせているある種の力、作用がある、と考えられてきました。そうした存在、あるいは世界そのものの本質とも言うべき根源的な作用が「気」なのです。
 世界は陰陽の分かれていない混沌とした太極から生じ、その太極の中からさまざまな気が生じた。そしてそれらの気は世界のすべて、万物と成って万物を自ら動かしている。こうした気功が生まれる遥か以前から連綿と続く古代中国以来の気の世界観にあって、「気」とは言わば「すべて」と言っても良いでしょう。
 (中略)
存在の本質だの根源的なはたらきだの少し大げさな話になってしまいましたが、気功で言う「気」になるともう少し限定された身近な話になります。簡単に言えば、気功の気とは「生命エネルギー」である、とでも言えば良いでしょうか。気功の気とは [4]より

では、このような気の源流はどこから興ったのか?次に中国の気の歴史背景をみていきす。
 
■中国の気の歴史
 気の歴史は、外圧状況でみると「古代」「私権時代」「現代」に分けられます。各時代の気の思想、歴史を外圧状況と併せてみてみます。
 
○古代
 自然外圧は現代に比べてはるかに高かったことは想像できますが、厳しい外圧下でどのように生き抜いてきたのでしょうか。古代中国人は自然に同化しながら気の気の使い方を生み出し、進化させていたようです。

『人類が生存していくためには、人間自身のもつ機能をふるいたたせて、大自然のもたらす数々の試練と闘い、それに打ち勝ち、千変万化する大自然の環境に適用しなければならなかった。(中略)これらの中で襲い掛かってくるいろいろな疾患に抵抗して、自分自身を保護することの重大さが認識され、こうした認識が深められ、また予防治療のために自分自身の鍛錬力そのものを向上してきたのである。』
『寒い時には風を避けて日だまりに座って暖をとり、座る姿勢も、自然に、伸ばしていた脚を縮めて胴体にピッタリくっつけ、両手を下腹部(丹田)におき、口も自然に閉じ、暖がとられる姿勢をとっていた。空気が希薄な所では、自然に深呼吸をし、それを長いことやっているうちに、腹式呼吸できるようになった。人々はこうした動作の中から多種多様な方法を総括していったのである。こうした中で古い形の吐納・導引・行気などという方法が編み出され、それを土台にして、方法が完全化され、ついに今日の気功にまで進化したのである。』(林厚省『中国気功法』たま出版)
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画像はこちら [5]からお借りしました。
『中国の古書「尚書」と「呂氏春秋」の記すところによると、唐堯の時期、中国の北方の中部地域(黄河流域)では、つねに河水が氾濫して洪水が発生し、いたるところに水がたまって湿度が過度に高くなり、そのため多くの人々は,手足がむくみ、関節がおかしくなる病気が発生した。そこで人々は、平常生活の中で積んだ知識から考えだした、上肢や下肢や体を動かす動作をいくつか採用して、筋肉のしこりをほぐし、骨格を丈夫にし、血流が滞りなく通るようにして体の健康を保つことに努めた。これがつまり古代の早期気功の「動功」で「舞」ともいわれた。』(馬濟人『健康・医療気功』ベースボール・マガジン社)
心を浄化して幸せになる方法 「気功の起源」 [6]より
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呂氏春秋 黄河地域
画像はこちら [7]からお借りしました。

 上記より、過酷な自然下でも自然に同化し、生き抜く(健康を保つ)力として気を措定し、適応してきたことが伺えます。また、後に気を高める方法論や追求も進んでいきます。究極的には万物との一体を目指す「仙道」の思想として、後の不老不死や仙人の追及と実践に及び、気の発展に大きく影響しています。
 
○私権時代
・戦乱に対する統合期待が気功を発展させた
 中国の古来の修行法である仙道が母体となって、気功は実践・改良を重ねてきましたが、理論化され始めたのは春秋戦国時代(紀元前770年~前221年)です。春秋時代初期の『行気玉佩銘』に、気功の功法について練習方法と理論の記述があります。また、現存している最古の医学専門書である『黄帝内経』の中にも、気功の原理や功法及び練功の効能が記載されています。
 気功が実践重視から理論化に向かった背景には、戦争圧力があります。戦乱により社会が混乱する中で、大衆の期待は社会の安定化・国家の統合にありました。そこで登場したのが、諸子百家と呼ばれる理論家であり、彼らが人生観、世界観、方法論を解釈し直し、気功法の理論化を始めたのです。因みにこの時期に、様々な思想が登場しており、儒教も誕生しています。
 その後国家が安定してくると、皇帝の力が絶大なものとなり、気功も皇帝の権力維持の一手段に利用されていきます。秦の始皇帝が不老長寿を求めたのは有名ですが、気功も当初の目的である自然への同化から、個人(権力者)の永遠の権力維持に転換しています。
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画像はこちら [8]と、こちら [9]からお借りしました。
 
・宗教と気功が結びついた時代(漢初から清末)
 漢初から清末までの封建時代には、気功は宗教(ex.インドからの仏教)と結びつき、神秘性が増し、宗教の教義に組み込まれました。ただし、インドのヨーガのように輪廻からの解脱=現実否定という色彩はそれほど濃くはないようです。
 これは、インドのヨーガがアーリア人のよる強烈な支配圧力からの逃避先として利用されたのに対して、中国の気功は、古来から現実課題(自然への同化・疫病・戦後の混乱)をどうする?という視点で発展してきたため、個人の救済という位置づけは定着しなかったのだと思われます。
 
○現代
・現代は個人の健康第一へ
 現代の気功は 封建時代の宗教性を排除し、科学的健康法として、国家で研究・再解釈がなされました(ちなみに、気功という名称が使われたのは、1955年に河北省に気功療養院が建てられてからです)。気功の定義は「気功とは、古典哲学思想をもって指導し、調心・調息・調身の三調を一体に融合し、人体潜在的な能力を開発し、心身共に鍛える事を目的とする技能」とされており個人の健康第一という目的で、庶民に広がっていると思います。
参考:ATMAN最新情報 [10]
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画像はこちら [11]からお借りしました。
 
■(気功の)まとめ
 気功師を迎えてから、「気」の源流を探る目的でインドのヨーガと中国の気功をみてきました。
 
【共通点】
・論理的な思索と身体技法が一体になっているところ。
・気の取り入れ口とされる身体の部分が概ね共通している。チャクラと丹田。
 
【相違点】
・インドのヨーガは、輪廻からの解脱、つまり二度と生まれ変わってこないことを目的としており、一方で中国気功は不老長寿(庶民レベルでは健康維持)を目的としている。
・自然外圧はおよそ一緒だが、私権時代での圧力の度合いによりインドは現実逃避から解脱の色合いを強め、方や中国は現実直視による追及・実践に向かった。
 
 掴みづらかった「気」の世界がほんの少し見えてきたような気がします。(?)
 ヨーガも気功も、古代の自然外圧が強く、共同体の期待応望が真っ当に働いていた時代には、自然や宇宙との同一視と一体化を試み、精霊を見て、声を聞くということが源流にあったのでしょう。強い自然外圧に対して共同体を、仲間を、どうする?という「前方思考」が「予知・予言」を可能とし、未知なる世界を見、声を聞いたのでしょう。
 それが、文明が発達し、他民族の侵入を受け、闘争と支配を繰り返し、いずれは自然外圧をも克服するにつれて、ヨーガも気功も自然や宇宙との一体化という本来の目的から(それを残しつつも)、理論化、観念化が頭の中で進み、精神と肉体の一体化に矮小化され、やがては自己の健康や解脱という個の充足に傾倒してきた歴史が垣間見えます。いかなるシャーマンもその能力を獲得し、発揮させることが困難になりつつあるのではないでしょうか。
 改めて気功師が発した「言葉じゃないんだ、実践だ。」の意味が深く理解できたような気がします。
 さて、数回にわたった「気」の探究はここまでとして、次回からは、いよいよシャーマンになるための「脳回路」の探究に入ります。
 
最後まで読んでくれてありがとうございました 😀 !

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