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君もシャーマンになれるシリーズ10 ~ヨーガに見る気功の源流とは~

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コチラからお借りしました [2] 
 
前回、気功師による気功の世界にふれました。気の流れやチャクラ、動物や石から得られる感覚や情報、仏像の姿(形)の意味など気づきの多いものでした。気功の世界に触れることで「気功の源流は何か?」という新たな課題も見えてきました。「気功」の源流を調べると中国に、更にはインドのヨーガにたどり着きます。
 
そこで今回は「気功」発祥の地インドのヨーガについて、その歴史背景や目的の探索し、シャーマニズムの一つである「気功」の変遷を解明していきたいと思います。
 
 
□今回の探索ポイント
①ヨーガってなに?
②インドで生まれた気功の起源とは?
③アーリア人侵入以後のヨーガの変遷は?
の順で記事を書いていこうと思います。
 
 
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■ヨーガってなに? 
 
ヨーガとは、「精神と身体を、最も安定した状態に近づける方法」としてインドで誕生し、語源は「サンスクリット語」で、「馬にくびきをかける」という意味の動詞「yuj」から派生した言葉。言葉の意味は、「心と身体の最高の安定状態」、「心を一点に集中させる」、など様々な解釈がなされています。
まとめると「心身の統合」と「宇宙との一体化」の2つがヨガの目的と言えそうです。
 
主要なヨガの一つのハタヨガは、ハタとは太陽と月を意味し「陰陽」を表現しています。つまり、「属性の違う対立するものが、違いを認め合い自然の摂理に逆らう事なく調和していく」という考え方として捉えることが出来ます。
日々変化する環境下において、心身のバランスを整える手法として「ポーズ」、「呼吸法」、「瞑想」が挙げられ、経典「ヨーガスートラ」により8支則(8つの手順)が定められています。
8支則は「三昧(サマディ)」に達するための手順であり、そもそも身体を動かす「ポーズ」は8つの過程の一つでした。サマディに到達すると、現実とは異なる宇宙に対して意識することができ、心の移り代わりを制御することができるとされています。
 
ヨーガはすべてのものとの一体感を感じること,自分を繋げること=統合、合一、統御が最終地点とされています。インドでは、「気」の考え方は宗教と密接に結びついており、ヨーガにより精神と身体を結びつけることで、輪廻から抜け出すことができると考えられています。
 
 
 
 
 
では、ここでいう「宇宙への意識」とは、どこで誕生し、何を指しているものなのでしょうか?
ヨーガが生まれた時代背景を抑えながら注目していきます。

 
 
 
 
 
 
■インドで生まれた気功の起源とは? 
 
ヨーガの歴史は、最古にはインダス文明に遡ります。モヘンジョ・ダロの都市遺跡から発掘された印章のなかに、坐を組んで瞑想する人のデザインが刻まれているのが発見されたからです。
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画像はコチラ [4]  
インダス文明の坐像印章(ヨーガ)
インダス文明の特徴と時代背景についてはコチラ [5](注:インダス文明には謎が多く諸説あり)
 
 
紀元前4000年中頃にはインダス川西方の丘陵地帯で定住農耕が始まっており、キル・グル・モハンマド遺跡に原始農耕の形跡が残っています。
この時代のさまざまな民族が住んでおり、オーストロ・アジア語族系民族は全インドに分布していたといわれています。新しい民族がインダス川流域に移住してきて、紀元前2500年から前1600年頃にインダス文明を形成したと考えられます。
 
インダス文明は農耕が主流だったと思われますが、河川の氾濫等の自然外圧は非常に強く、自然に適応するための自然への同化と集団の統合課題を合わせ持っていました。都市の建設地も決して肥沃な場所ではないことから、自然外圧は極めて高かったことがいえるでしょう。(ヴィーダでは、風、雨、雷、などの自然外圧が神格化されている)
 
なぜこの様な自然現象が起きるのか、背後にはどの様な原因があるのか?
⇒自然に目を向け、同化を試みる
⇒自然から宇宙そのものにまで視野を広げていく

この様にして自然を捉える為に、「瞑想(ヨーガ)」と「自然(宇宙)」との一体化というインド宗教の原型が形成されていったと考えられます。
 
 
 
 
では、ヨーガ誕生後、どのような変遷を辿っていったのでしょうか?
  
 
 
 
 
 
■アーリア人侵入以後のヨーガの変遷 
 
インダス文明後(紀元前1500年)にアーリア人が侵入し、バラモン教を開き、厳格な階級制度が取られ多くの反発者を生みました。インド北部では激しい戦争も起き、徐々に自然圧力よりも同類圧力が高まっていきます。
 
そして人々の中に現実逃避思考・救い期待の高まりを背景として、個人の意識は、より心理の内側に向かっていく傾向が強まっていく。生存を苦と見なし、再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想とする輪廻の思想もこの頃に生まれています。 
 
ヨーガもそれまでの自然(宇宙)との一体化を目的とした瞑想中心のヨーガから、古代宗教と関連した、より修行性の高い様式化(ヨーガのポーズ等)へと変化し大衆に向け発信・拡散したと考えられる。
 
また、ヒンドゥー教による女神信仰は、男神信仰のバラモン教に対する非ヴェーダ化として登場し、性の表現や実践を導入していった。この思想に基づくヒンドゥー教をタントリズムと言い、非アーリア系先住民が生んだ信仰とも言える。
 
 
 
 
  
以上が、ヨーガが同類闘争圧力や宗教の影響などの外圧の変化によって本来の目的を変えながらも、現代に残る一つの理由であると考えられます。
 
 
 
 
 
■まとめ
もともと自然崇拝の中で、自然に同化する為に行われていた瞑想行為(ヨーガ)は、アーリア人侵入以降の階級制度にみられるような私権社会の中で、外圧が自然圧力から私権闘争圧力に変わり、瞑想(ヨーガ)の目的意識も宗教的解脱意識(=現実否定)へと組み替えられました。
 
現代ヨーガの一部である輪廻からの逃避=あの世への憧の思想は、至福を自己のうちに見出す手段としての現実逃避をより強めた側面もみられます。
 
本来の外圧適応と共同体社会の維持というヨーガの役割(=一部いたであろうシャーマンの役割)は、原始インダス社会にあったと思われるが、社会の移り変わりにより、ヨーガの内容も変わっていきました。 
 
一方、インドの特徴でもある性の発達、充足の追求も見られますが、これらも現実逃避発であると思われますが、同じ瞑想に比べればより共認充足を求めた本源的な行いだったのかも知れません。
 

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