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「続・人類の拡散」シリーズ ~現代人の原型、ハイデルベルゲンシス~

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今回取り上げるのは、ホモ・ハイデルベルゲンシス
ホモ・エレクトスと、ネアンデルタール人や現代人の中間を結ぶ存在であり、原人というより「原サピエンス人(現代人の原型)」とも呼ぶべき種です。「ネアンデルタール人と現代人の最後の共通祖先」と言われる、このハイデルベルゲンシスの特徴について明らかにしていきます。
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さっそく、
 ①化石が発見された場所
 ②存在時期
 ③生存環境
 ④骨格的特長
の順に見ていきましょう。
①化石が発見された場所
ヨーロッパでは、マウエル(ドイツ・ハイデルベルク近郊)、アラゴ(フランス)、ビルツィンクスレーベン(ドイツ)、ヴェルテスチェレス(ハンガリー)、ボックスグローブ(イギリス)、ペトラロナ(ギリシャ)。アフリカでは、ブロークンヒル(ザンビア)、ボド(エチオピア)、ンドゥトゥ(タンザニア)、エランズフォンテイン(南アフリカ)、バリンゴ(ケニア)が挙げられます。
 
下の図は、ホモ・エレクトスの発見地(黒のプロット。クリス・ストリンガー他著『ビジュアル版人類進化大全』より)に、ハイデルベルゲンシスの主な発見地(青のプロット)を重ねてみたものです。ハイデルベルゲンシスの分布を、エレクトスと比べると、南北に広がっていることが分かります。
[5]
ハイデルベルゲンシスは、なぜ南北に広がっていったのでしょうか?
エレクトスの登場から約90万年以上も後になって登場したハイデルベルゲンシスですが、両者には生存時期の重なりもあります。したがって、後発の(エレクトスから派生した?)ハイデルベルゲンシスが、先発のエレクトスの棲みついた地域の外(すなわち、より南北の寒い地域)へ適応することによって、棲み分けを図ったのではないでしょうか?
以下、『人類進化大全』より引用します。

ホモ・ハイデルベルゲンシスの起源は、アフリカかヨーロッパのどこか、あるいは両地域の間で、約60万年前に遡ると推定される。この種はこれらの地域に拡散し、やがて地域色をもつようになった。その地域の特有な気候によって、地域による「人種的な」特徴が促進され、やがてヨーロッパとアフリカの集団は分化した。ヨーロッパのホモ・ハイデルベルゲンシスは、結局、ネアンデルタール人になり、アフリカではホモ・サピエンスになった。
また、これとは異なる見方もある。ホモ・ハイデルベルゲンシスはヨーロッパの化石だけを指し、ネアンデルタール人の直接の祖先であるとみなす。その場合、同時代のアフリカの化石は1921年に発見されたブロークン・ヒルの化石にちなんで、ホモ・ローデシエンシスとよぶ。

さらに中国の化石をハイデルベルゲンシスに分類する説もあり、地図上にも中国の大茘をプロットしましたが、これについては見解が分かれています。(『趣味の館』 [6]参照)
ハイデルベルゲンシスの謎はまだ深く、その拡散過程についても諸説あるのが現状です。埴原和郎氏は『人類の進化史』で、ハイデルベルゲンシスの故郷については、次のような可能性が考えられると指摘しています。

 (1)アフリカで生まれてヨーロッパに渡った。
 (2)ヨーロッパで生まれ、アフリカに逆流した。
 (3)中間の地域-たとえば西アジア-で生まれ、アフリカとヨーロッパに拡散した。
 (4)アジアには、アフリカ・ヨーロッパ組の一部が移住した。
 (5)アジアでは独立に生まれた。

その拡散過程については、エレクトスやネアンデルターレンシスとの関係も踏まえて、あらためて探ってみたいと思います。
②ハイデルベルゲンシスの存在時期
中期更新世と呼ばれる、今から約90~20万年前までが、彼らの生存時期と言われています。代表的存在であるマウエル(ドイツ)の化石は、60.9万年前±4.0万年と推定されています(理化学年代)。
「河合信和の人類学のブログ」 [7]参照。
一方、エレクトスの存在時期が「約180万年前から約5万年前」 [8]ですから、ハイデルベルゲンシスは、エレクトスより約90万年も後に登場しながら、15万年早く消滅したことになります。
③ハイデルベルゲンシスの生存環境
彼らの存在していた中期更新世は、ギュンツ氷期、ミンデル氷期、リス氷期といった氷期と間氷期とを、繰り返していた時期です(下図参照)。氷期には、アフリカ大陸でも山地は氷河に覆われるほどであったようです。
[9]
「人類歴史年表」 [10]より)
したがって、特に氷期には地球規模で寒冷化と乾燥化が進み、それに対応すべく、彼らは居住地を移動していったと考えられます。
ヨーロッパにおけるハイデルベルゲンシスの北上過程については、次のような仮説があります。

コーカサス⇒ヨーロッパ:寒冷化で高地から地中海へ(80万年前)
ヨーロッパ原人の遺跡年代は、フランス・イタリア80~70万年前(石器のみ)、スペイン(78万年前)ギリシャ70万年前、ドイツ50万年前(北限)。各地の緯度は、グルジア41.4度(≒函館)、フランス(マルセイユ)43.2度、イタリア(ローマ)41.5度、ギリシャ(アテネ)38度、ドイツ(ハイデルベルグ)50度。従って、原人は上記と同様の氷期に高地のグルジアから西に向かい、おそらく黒海南岸を伝って比較的温暖な地中海沿岸へまず移動、その後徐々に北上したと思われる。その過程で次第に寒冷適応し(→鼻腔の拡大、ずんぐりした体つき)ネアンデルタール人に進化した(ドイツの遺跡はその中間形のホモ・ハイデルベルゲンシス)。
田中素『原人の拡散=決死行の経過』 [11]

  
④骨格的特長
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ウィキペディア [13]より)
☆ハイデルベルゲンシスのスペック☆
 脳容量レンジ :1100-1400CC
 脳容量平均  :1200CC

幅広で、巨大な顔、大きな鼻腔、というのが、各地の化石に共通するハイデルベルゲンシスの特徴です。これは、上記で見た「寒冷適応」の結果であると言えそうです。
ホモ・エレクトスと比べると独自の進歩的特徴を示しているが、ネアンデルタール人や現代人に比べれば、原始的。
エレクトスに比べて脳容量が増し、脳頭骨をうしろから見たときの形が屋根型から家型に変わり、全体が大きくなって丸みを帯び、骨壁が薄くなりました。顔は、エレクトスでは突き出ていましたが、ハイデルベルゲンシスでは、後ろに引っ込んで脳頭蓋の下に収まるようになりました。四肢骨は頑丈さを残してはいるが長くなり、身長が高くなったことを示しています。
ハイデルベルゲンシスという種を認める研究者は、この種がネアンデルタール人と現代人の最後の共通祖先であると考えています。ヨーロッパのホモ・ハイデルベルゲンシスは、結局ネアンデルタール人になり、アフリカではホモ・サピエンスになった、と。
別の見方では、ホモ・ハイデルベルゲンシスはヨーロッパの化石だけを指し、ネアンデルタール人の直接の祖先であるとみなします。その場合、同時代のアフリカの化石は1921年に発見されたブロークン・ヒルの化石にちなんで、ホモ・ローデシエンシスと呼びます。
化石を個別に見ていくと、以下のような特徴があります。
●マウエル(ドイツ)
60.9万年前。歯については数も形も明らかにヒトのものなのだが、顎の骨は非常に厚く、全部の頤(おとがい、下顎部の突起)は全く無い。
●アラゴ21(南フランス)
約30万年前。頭骨の前面と側面がやや歪んでいることから、ホモ・エレクトスに分類される場合もあった。しかし近年、ベトラロナやアタプエルカなどの遺跡から出土した標本との類似性が分かり、H.ハイデルベルゲンシスか初期のH.ネアンデルタレンシスに属すると考えられている。
●ペトラロナ(ギリシャ)
約50万年前。長く、低い、脳頭蓋の形、歪曲し、骨壁が厚い後頭部、巨大な眉隆起はH.エレクトスの特徴である。一方、比較的高い脳頭蓋、後ろに引っ込んだ顔、眉隆起の部分の前頭洞や歯列の上にある上顎洞は巨大でえ、H.ハイデルベルゲンシスやH.ネアンデルタルレンシスにもみられる特徴である。
●ブロークンヒル(ザンビア)
約50万年前。巨大な眉隆起(眼窩上隆起)、屈曲した後頭部を横切る隆起などはH.エレクトスの化石と共通するが、脳頭蓋がやや高く、頭頂部が膨らんでいるので、脳は比較的大きい。これは後の人類集団と共通する。顔面はいくらか後ろに引っ込み、頭骨の底面はサピエンスの特徴を示している。頭骨の近くで発見された脛骨(向うずねの骨)は頑丈な作りだが、長く、まっすぐだったので、この持ち主は背が高く、がっしりとしていたと推定された。
●ボド(エチオピア)
約60万年前。脳容量は1250CC。推定体重約80kg。顔についてエレクトスと異なる点は鼻の骨がやや小さく、上顎骨に犬歯窩(けんしか)といわれる浅い凹みがあり、また、ひたいがやや丸みを帯びていることなどである。頭骨の一部に細かい切り傷があり、死の直前、または直後に鋭い石器で肉を削ぎ取られたときについたものと言われる(食人の痕跡)。
次回は、このハイデルベルゲンシスから進化したと言われる、ネアンデルターレンシスについて見ていきましょう
※冒頭の絵は、南イギリスのボックスグローブにある海岸平野で、サイの死体からハイエナたちを追い払うホモ・ハイデルベルゲンシス集団の復元図(『人類進化大全』より)。

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