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雌雄の役割分化17 ~現代(人類)の男女は?

さて、『雌雄の役割分化』シリーズもそろそろ終盤です
これまで生物の数億年にわたる歴史を遡ってオスとメスの関係、その意義を考えてきました。
雌雄分化の原初ともいえる単細胞生物の「接合」から、多細胞生物における「殖産分化」「精卵分化」、そして脊椎動物における「雌雄躯体分化」を学び、さらに哺乳類→サル→初期人類に至る過程で、オスメスの役割はどのように分化していったのか見てきました。
一貫していえることは、生物は安定と変異という軸上で雌雄の性の差別化をより推進してゆく方向で進化してきたこと、オスメスの関係は種・集団の存続上不可欠の課題として調和してきたことです。

我々現代人も当然ながら、生物史数億年の塗り重ね構造の先にいるわけですが、、、現代における男女の役割は、こうした自然の摂理に適っているといえるのでしょうか?

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現代人の男女関係を見ると、、、生物史における雌雄の役割分化の摂理に適っていないと思われる現象が挙げられます。今日はいくつかの問題を指摘し、次回の投稿で分析を試みます。

■性の個人化、市場化
生物がオスメスに分かれた根源的な理由が、環境(外圧)の変化に対してできるだけ多様な同類他者を残すことで種・集団の存続を図ることであったように、生物史において、性は常に種・集団の存続上の課題として在りました。
近現代人においてはそのような意識はなく、性は個人化されていますし、(自我、独占欲による)自由選択という意味で市場化されているとも言えます。
言い換えれば、性という集団課題が、特に近代以降、私有の対象となっていくという問題ですが、これをどう考えるべきか?

■男女の役割の曖昧化、中性化
今は鳴りを潜めていますが、一時猛威をふるった「男女平等・男女同権論」によって男女の役割は社会によってつくられた悪習だと喧伝されました。
こうした主張が生物史の事実に反する嘘であることは明白なのですが(少しでも生物史を勉強すれば誰にでも分かる)、いまだに男女同権論の影響は大きいと思われ、男の本分、女の本分といった役割意識を希薄化させ、また男や女という存在に対する感謝の念、尊敬の念を疎外していると感じられます。
同権論のような観念操作が可能なのは当然人類だけなのですが(同権を主張して雌雄がいがみあう生物などいない)、これをどう考えるべきか?
もちろんこうした同権意識は昔の人々にはありませんでした。始原人類の母性信仰は尊敬や賛美の証であると思われるし、未開地に暮らす民族を見ると、男女の役割分化は誰もが自明のこととして普遍的に受け入れています。

■男女の吸引力の低下、性の衰弱(いわゆる草食化)
昨今話題になっている草食系男子ですが、特に男の性の衰弱or捨象は進行していると見るべきだと思います。
生物がオスメスに分かれて10数億年の歴史がありますから、生物にとって性はもっとも深い位置にある本能ですし、特に哺乳類にとって雌雄の吸引力は強力なはずです。野生動物で性が衰弱するor捨象しているなんてことはあまり聞いたことがありません。
この性が衰弱するor捨象されるというのは、どういうことなのでしょうか?そしてこの先は?

今日はいくつかの問題を挙げるにとどめましたが、次回の投稿で、現代人の男女関係は何故このようになったのか、生物史的観点も踏まえた分析を試みます 🙄

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