2010-11-16

人類の拡散と進化シリーズ12~ネアンデルタール人も私達の中に生きている

前回の記事では、「毛の存在理由」を追及しました 今回は、そういった部分的な肉体的進化からいったん離れて、旧人→新人への拡散を追及しようと思います
そこで今回の追及では、私たちの祖先であるホモ・サピエンス と同時代に存在したネアンデルタール人 に的を絞りました
 
すると、今まで考えられていたネアンデルタール人ら(旧人)がそのまま新人へと進化したという考えやネアンデルタール人は絶滅した種であるという考えがが変わるかもしれない事実が浮かび上がってきました

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そもそもネアンデルタール人 とは、約13万年前~3万年前にかけてヨーロッパや中東の各地に住んでいたとされる旧人の一種です。
この時代、地球は氷河期の真っ只中であったため、極寒 の気候と狩猟生活 とにより、ネアンデルタール人 は筋肉隆々のずんぐりとした体型 であったといわれています。
240px-Neandertaler_reconst.jpg
参考投稿
ネアンデルタール人は「野蛮」だったか?
人類の生活をどう復元するか

■「野蛮でのろまな」人間?
ネアンデルタール人が最初に発掘されたのは1866年、ドイツのネアンデルタールの谷 です。
その後、フランスのラ・シャペローサンという洞窟からかなり完全な骨格 が発見され、それを最初に調べたフランスのブールの結論は、ネアンデルタール人というのは洞穴の中に住んでいる非常に現代人と違った野蛮でのろまな人間である、というものでした。
ここでの「野蛮でのろま」という考えは、現代人が進化の進んだ高等な動物であり、それとは異なる生活様式であった動物は低等であるという西洋的な考えからきています。
 

■多様な石器類
しかし、科学的な証拠を突き合わせると、そういう考えは根本的に間違いであるとわかります
ネアンデルタール人の石器は中期旧石器という石器の考古学的な編年の一部に相当します。
この特徴は何かというと、前期旧石器のほうは非常に大型のものを主体としたコア=ツール(石の余分なところを打ち欠いて芯のところを使う)が主ですが、中期旧石器になると剥がした部分(フレイク)、薄片といいますが、この薄片をまたさまざまに工夫していろいろな二次的な加工を縁に施す、多種多様の石器が非常に発達してきました
これはネアンデルタールの時代の文化のレベルを表していて、 生活が非常に多様化 したということと結びついて考えられます。
中期旧石器とその後のクロマニョンなどの新人の持っていた後期旧石器文化というものは当初は全く急激に入れ替わったという見方がされていて、それがブールのネアンデルタールが絶滅したという考えに結びついているのですが、こういう石器をヨーロッパで研究している先史学の大家であるボルドーはその後の詳細な調査の結果、中期旧石器と後期旧石器は連続していると明確に述べています。
それでネアンデルタール人が絶滅したという根拠はなくなっていると考えられるのです。

■言葉を話せたか?
アメリカのリーバーマンは、舌と口腔からなる発生器官で喉頭から咽頭にいたる空間的スペースがネアンデルタール人 では足りないと述べています。
だからネアンデルタール人 は現代人並みの巧みな発音は不可能であると言っています。
しかし、彼の復元図には、骨の間にあるべき、椎間板が描かれていません。椎間板を加えれば、人間らしい言語を発声するに十分な可能なスペースがあることになります。また、ネアンデルタール人 の脳の容積は現代人とほとんど変わりません。
決定的な証拠としてはネアンデルタール人 の舌骨が発見されたということです。舌骨というのは、下顎の後ろの下の方にあって、たくさんのところと筋肉で結び付けられていて、いろいろな筋肉が言語を使用するときに役に立つ機能を持っているのですが、イスラエルのケパラという旧人の遺跡から、今まで知られていなかったネアンデルタール人 の舌骨が極めて優秀な保存状態で発見されたのです。
いくら人類に近いゴリラ・チンパンジーのような類人猿 であっても、人間の舌骨の形と全く違うのですが、ネアンデルタール人 の舌骨は現代人のものとよく似ています

こういうことからみてネアンデルタール人 が現代人 にほぼ近いほどの繊細な言語を操っていたということが想像できるわけです 😀

■多人数による共同狩猟
もう一つは彼らの遺跡から出てくる、彼らが狩猟をして食べたという動物 です
旧人の段階になりますと、彼らが狩猟をして食べた動物 の種類が変わってきます。彼らが一番たくさん取っているのはシカとかカモシカで、このようなものは原人段階ではあまり出てきません。
これは彼らの狩猟活動というのが 相当多人数の共同活動 で出来上がっていたということの間接的な証拠になると考えられます。

■高度な集団生活
イラクに、シャニダール遺跡というネアンデルタール人 の遺跡があるのですが、ここで遺体のまわりの土を花粉分析にかけたところ、これが全部きれいな花 の咲く種類の花粉でした。
shanidar.jpg
burial10.jpg
(シャニダール遺跡と、埋葬イメージ,こちらのサイトからお借りしました)
植物の花粉というのはまわりの殻が非常に化学的に安定で長時間残るのですが、それを顕微鏡で見ますとその植物の種類まで判定することが出来るのです。それらの植物は今でもシャニダール一帯に見ることができますが、遺体のあった遺跡の周辺の土にはない七種類ぐらいのきれいな花 の咲く種の花粉ばかりが遺体の周りに集中していることがわかったのです
これはネアンデルタール人が遺体を埋葬したと同時に、遺体にきれいな花 をささげたということの何よりの証拠です。つまり、死者を悼む生命観とこまやかな美的感覚を持っていたことを示しています。
また、同じくシャニダール遺跡で発見されたもので、萎縮してしまって片手の先がない人が40歳ぐらいの年齢で死んでいることがわかりました 😮
片手がないということは日常生活が非常に不便で、特に当時の採集狩猟文化の中では食料を得る上でまともに働くことの出来ない個体がいたことを示しています。
これは男性ですが、この人が当時としては長寿のほうである40まで生きるということが可能であったということは、そのような身体障害があってまともな生活能力のない人間でも、周りの人間に支えられて生きていたということを強力に物語っているのです

こういったことからも、 ネアンデルタールの社会の成り立ち というものを推察することが出来るのです。
 ようするに旧人の段階にいたって人類は、きわめて人間らしい生活の水準に達していたことがわかりました。
 
 ここまでは、10年ほど前の研究結果からの見解だったのですが、近年の研究ではさらに新たな事実が見つかっているので以下に述べていきたいと思います 🙄
 
ネアンデルタール人研究最前線の整理より抜粋

(2006年12月)
ドイツとアメリカ合衆国の共同研究チームが、3万8,000年前にクロアチアの洞窟に住んでいた一人のネアンデルタール人(男性) の骨から採取したゲノムの一部を解読。
ネアンデルタール人 は約3万年前ごろに絶滅した種であり、現生人 とは同時期に生息地域が重なっていた
両種のゲノムの相同性は99.5%であり、今回の結果とこれまでの知見を総合して考えると、両種が分岐したのは37万年以上前であることが示された。

(2008年8月)
3万8000年前に存在したネアンデルタール人 のミトコンドリアDNAの配列解析を行なった科学者たちは、現代人の祖先がネアンデルタール人 と交配した証拠を見つけられなかった
ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器作製技術を有し、火を積極的に使用していた。脳容量は現生人類より大きく、男性の平均が1600cm3あったとされる(現代人男性の平均は1450cm3)。

(2010年5月)
ほとんどの現代人がネアンデルタール人とのつながりを持っていることが明らかになった 遺伝子構造の少なくとも1~4%はネアンデルタール人に由来するものだという
研究では、遺伝子解析により、現生人類(ホモ・サピエンス) とネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス) の異種交配を示す確かな証拠が発見された。ネアンデルタール人 はおよそ3万年前に絶滅した人類の近縁種である。
また、現生人類 とネアンデルタール人 は中東地域で交わった可能性が高いとも結論付けている 従来の研究ではヨーロッパが第1候補地と考えられてきたが、実際には現生人類がアフリカから旅立った直後だったようだ。 😀
ネアンデルタール人 と現生人類 が異種交配 した期間は、現生人類がアフリカを旅立った直後、さまざまな民族集団に分かれて世界中に散らばっていく直前だという。最初の交配は約6万年前の中東地域で発生したと考えられる。アフリカに隣接しており、2つの種が一時期共存していた考古学的証拠も存在するという。

■まとめ
以上、近年の遺跡及びDNA解析の結果として発表された研究成果から推測できる事としては、そもそもホモ・サピエンス(現生人類) とネアンデルタール人(旧人) とをわざわざ別の種と見做す価値観そのものを切り替えたほうが良いのではないかと思われる
人類の出アフリカ~拡散の過程を含めて整理すると、以下のようになる
【原人】150万年前   最初の出アフリカ⇒中東経由で、スンダランド地域(東南アジア周辺海域)に定住
【旧人】30~40万年前 2度目の出アフリカ⇒ヨーロッパ~地中海沿岸地域に定住
【新人】13~09万年前 3度目の出アフリカ⇒中東地域~ヨーロッパ周辺で、一部は先住民族と合流、混血。
出アフリカの主ルートは中東地域経由であり、必然的に先発組の定住地域周辺を辿る事になる。そして、その後3万年前くらいまでは、両者が共存していた事は明らかであり、単一集団同士が近接し共存していた中で、同類としての交流があったと考える方が自然であろう

ただし、母系社会 である為、先住民側(ネアンデルタール人 )、及び後発側(ホモ・サピエンス )それぞれの母系 の血は保たれたままでの民族交流であったと考えられる これは、ミトコンドリアDNAに混血が見られない理由とも繋がる。
ここで着目すべき事は、出アフリカは常に逆境期であったという点。13~9万年前は、かなり厳しい旱魃に見舞われ、当時の人口はわずか2千人程度(もちろん、全世界人口)にまで減少したと推測されている。絶滅寸前の状態だ

定住域(アフリカの洞窟)では食糧確保が困難となり、小集団に拡散、その一部が北上し、アフリカを出た先で先住民と出会う事になる 命がけの決死行に出た先で、ほぼ姿形の変わらない他者と出会えたとしたら、それは喜びと感謝に充ちた出会い であったのではないだろうか?
むしろ、争う理由を見つけるほうが困難なくらい、貴重な出会いであったと考えた方がしっくりくる

また、ちょうどこの10万年前辺りは、旧人、新人共に石器文化が急速に進化する時期でもある。この点から見ても、多地域適応の中で身に付けた観念能力の組み換え、つまり他集団同士の交流による多様化が一気に推し進められた事によるものと考える事も可能である。
しかし、そうは言ってもまだまだ洞窟暮らしの域を出ていない時代の出来事 つまり、道具を多様化させる事でなんとか採取生産の幅を広げつつも、極限生活であった事には変りはない。
とすれば、3万年前に何故ネアンデルタール人 が絶滅したのか?と考えるより、ホモ・サピエンス が奇跡的に逆境を乗り越えられたが故に、原生人類に至る系譜がその後も続く事になった、と考えるべきなのであろう

極めて弱い生き物であったが故に、唯一の可能性である共認機能 、そして観念機能 に可能性収束し、様々な工夫・論理的思考と実践の積み重ねの中で、辛うじて生き残る事が出来た この、常にギリギリの状態を乗り越えて来たその紐帯部分は、仲間達との助け合いと、それを可能にした、決して諦める事のない期待・応合の掛け合い であったのだろう。

これは大昔の人類の話ではありますが、現代の私たちにも培っている認識だと思います 今の世の中のあらゆる場面でこの認識が発せられたら、きっとよりよい世界へと向かっていくのではないかと思います

List    投稿者 michiko | 2010-11-16 | Posted in 5)人類の拡散1 Comment » 

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コメント1件

 匿名 | 2011.08.18 20:42

コメントありがとうございます>アヨアン・イゴカーさん
おっしゃるように世界のどこかには、昆虫のサナギの研究から、細胞の再編成を夢見ている科学者は、きっと居るでしょうね。
ところで、サナギの中で一回ドロドロになる昆虫のからだですが、神経節と呼吸系の一部は幼虫段階のまま残っていて、サナギとしての生命維持を確保しながら、その周辺の細胞を組み換えて再構築するというのですから、ますます驚きです!
生命の仕組みって、不思議なくらいよくできていて、生命の追求を続ければ続けるほど、『自然の摂理』の偉大さを感ぜずにはおれません。

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