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人類の拡散と進化シリーズ5~新人段階での観念進化~

さて、今回はいよいよ私たちホモ・サピエンスの観念機能の進化についての詳細に迫ります。
前回の記事でも紹介しましたが、人類は猿人(アウストラロピテクス)→原人(ホモ・ハビリス、ホモ・エルガスター)→旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)→新人(ホモ・サピエンス)へと、段階的に観念機能を進化させ、過酷な外圧環境に適応してきました。
繰り返しになりますが、この観念進化における重要ポイントを再度おさらいしておきましょう。

人類は、ここまで五〇〇万年を費やして共認機能⇒観念機能⇒生存力(生産力)を進化させてきたが、その間、サルの主圧力であった同類闘争圧力は全く働いていない。しかし、忘れてならないのは、同類闘争圧力は働いていないが、極限的な生存圧力と、それ故の期待・応望の同類圧力は極めて強力に働いており、この強力な生存圧力⇒同類圧力こそが、観念機能と物的生存様式を生み出し、進化させてきたのである

実現論.前史.ヘ.人類:極限時代の観念機能 [1]より)
この500万年の歴史の中でも、新人段階における7~5万年前の段階には、より急速な観念進化の現象が表れます。
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人類の拡散と観念機能の進化⑤~新人段階 2~ [5]より引用

5万年前までに新人はアジア~ヨーロッパに到達するが、そこから中央アジア・ロシア・北欧・北米・南米、さらには太平洋の島々と一気に拡散していく。
この時期に前後して、ラスコーの壁画やショーべの壁画に代表される壁画文化が始まる(太平洋の島々にも壁画文化は認められるが、旧いものはこの時期に一致する)
更には、幾何学模様的を使用し始めるのもこの時期であるし、旧石器時代で最も高度な各種の軽量石器が開発されるのもこの時期(5万年前)である。
つまり、人類の観念機能はこの段階(7~5万年前)に来て、更なる進化を遂げたと考えられるのである。
こう考えると、拡散範囲が一気に広がったのも、観念機能が更なる進化を遂げたために、より高度な移動術(究極的には船など)を駆使することが可能になり、広がったと考えられる。

ショーヴェ洞窟壁画
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現在、知られるものでは最古と思われる約3万2000年前の洞窟壁画。
分かっているだけで260の動物画があり、その総数は300個を超えるとみられている。描かれている動物は13種類あり、その中にはフクロウやハイエナや豹など、これまでの氷河時代の壁画には見られない (あるいは、ごくわずかしか描かれていない)動物も含まれている。
これらの絵は、スタンプあるいは吹き墨の技法を使って描かれている。

ラスコーの壁画
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15,000年前の旧石器時代後期のクロマニョン人によって描かれていた。
洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点
材料として、赤土・木の炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を作っていた。顔料はくぼんだ石等に貯蔵して、こけ、動物の毛、木の枝をブラシがわりに、または指を使いながら壁画を塗って描いたと考えられる。この壁画には、古い絵の上に新しい絵が重ねて描いてある。

軽量石器
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5万年以降、旧石器時代で最も高度な各種の軽量石器と、多機能性を重視した磨製石斧(せきふ)が開発される。
磨製石斧に関しては、多くは自然面を大きく残した分厚い一次剥片を中心に、周縁を打調若しくは研磨し、楕円形、長楕円、短冊形に仕上げている。
刃先は原石の曲線を生かし磨製面の役割りを果たしているものが多く、単なる木材伐採や骨の打割用だけでなく、多目的機能(加工、細工、皮なめしなど)をもつ石器と考えられている。

これらの壁画や石器の出現からは、物事を構造的に捉える能力の向上が伺え、より対象を精密に捉えた美しさまでもが見事に表現されており、観念機能の高度化が著しいことがわかる。

なぜこの時期に、更なる観念機能の進化が起こったのか。
考えられる要因は2つある。
1つは、やはり環境変動。この頃は最終氷河期(ヴュルム氷期 約7万年前~1万年前)に突入した頃である。最終氷河期は短い周期で気候が変動(寒冷化と温暖化)していたことが解っており、この変化が早い外圧状況の中で、観念機能をより進化適応させていったと考えられる。

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上記のグラフのように、7万年前~1万年前のヴュルム氷期においては数年ごとに気候の変動(寒冷化と温暖化)を繰り返していた。
ヤンガードゥリアス期の末期(約10720年前)には,50年間の間に平均温度7℃上昇の温暖化が生じていた。
ちなみに温度7℃上昇の温暖化が生じると、8月の東京での平均気温37℃がなんと44℃となる!現在問題視されている『地球温暖化』については、ここ140年の間に平均気温差が約0.75℃ほど上昇している事に対する警告に過ぎない。
このような激しい環境変化を前に、新人達は自然対象(鳥・動物の動き、日々の天候、植生変化、天体など)を注視(精霊対象として措定)することで、気候変動の仮説を構築し、食糧確保や大陸移動の判断を行っていたと考えられる。
重要なのは、これらの予測を行う上では、直近の経験則など全く役に立たないような状況に立たされているという事。つまり、単体での判断を超えた領域を対象化する必要があり、その外圧こそが集団全体での共認内容の組み換え、即ち観念進化へと直結する同類圧力の源泉となっていたのであろう。

もう一つは、同類闘争圧力の上昇。徐々に人口規模が拡大していく中で、集団間接点が増え、同類闘争圧力が上昇していく。また、先述した旧人との接触の可能性もある。真猿類と同じように、同類闘争圧力上昇の中で、更に観念機能を進化させていったと考えられる。
もちろん、観念機能は新人が拡散する中で連続的に進化していったと考えられるが、自然外圧と同類闘争圧力の上昇の中で、更なる進化を遂げて行ったのだろう。
これまで見てきたように、人類の拡散の歴史とは、人類の外圧との闘い、そしてその適応戦略としての観念機能の発達の歴史と言って過言ではないだろう。

さて、ここで人類の人口増加のグラフを見てみよう。
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このグラフは、あくまで推計だが、200万年~6万年前頃までの平均人口増加率が0.24%/千年(ほとんど増えてない )に対して、6万年~1万年前頃までの平均人口増加率は4.25%/千年(ちょっとは増える 😀 ♪)。
とは言え、この時点での人口増加率は、ある地域に200人いたとして、100年後に201人になる程度 😥 。人口の増加が、即同類圧力へと直結するとは考え難い。
ここで注目すべきは、「集団と集団とが出会う可能性」の高まりであろう。
観念機能の発達により、移動手段の多様化や移住域の拡大スピードは上昇している。つまり、各集団の拡散頻度の上昇に連れて、「人類同士の接触確率」も上がる事になる。
ネイティブアメリカンの口承伝(「一万年の旅路」ポーラ・アンダーウッド著)にも、次のような一文が記されている。
「冬の穏やかなこの土地に寒さが訪れるころ、一族全体が立ち上がり、生きる糧を集めて、一本の狭い川を見下ろす高台に新しい冬の野営地を築いた。
そう望むものは、そこから二日の旅で広い方の川に近づき、この<水を渡る民>の観察をはじめることができた。」
「選ばれた者たちが<水を渡る民>の築いた村へと向かった。
(中略)
さいわい、生死にかかわるような事は起こらなかったが、(中略)ある程度の相互理解が生まれるまでに三日かかった。」

この伝承には、子供達を中心に相手集団の使う言語を覚えたり、生産様式の違いから警戒しあったり、さらに新来の民が現れたりと、悲喜こもごものエピソードが語られている。
この様な「集団同士の接触」から生まれる同類間の緊張圧力が、私たち人類の間に、これまで考えもしなかった「他集団との関係構築」などの新たな課題を生み出し、かつ観念を駆使した交流などから、更なる観念機能の発達をもたらしたのでしょう。
生存圧力⇒同類圧力の高まりを観念機能へと収束させ、その結果としての適応戦略が、人類の拡散を促進し、かつその都度観念機能の多様性と塗り重ねを実現し、高度な生産力の獲得へと繋がっていったのです。
さて、この観念機能の多様な組み換えの代表例といえば、言語能力です。次回は、この言語能力の獲得過程に迫っていきます!

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