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実現論勉強会シリーズ5 サル時代の同類闘争と共認機能

みなさん、あけましておめでとうございます
本日の記事は「心」にまつわるお話です。
実現論前史では、人間誰しもが持っている共認機能=心の存在について、その獲得過程を突き止めるために猿時代にまで遡っています
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ここで「なぜ共認機能を猿時代にまで遡って分析するの?」と疑問に思う人がいるかと思います。実はこの分析の前提には、以下の大胆な仮説と検証の繰り返しがあるのです。
るいネット本能と観念の中間領域とは霊長類の世界では? [1]より要約
仮説1 本能機能と観念機能の間に中間領域が存在するのでは?

検証1 観念機能以前のスキンシップとか、表情の豊かさとか、あるいは規範とかは、全て真猿たちにみられる現象

仮説2 本能と観念の中間領域(云わゆる「心」と呼ばれる領域)は、サル時代に形成されたのではないか?それを「共認」と呼ぶ

検証2 仮説を立てた「共認」という領域を使い、人類・猿の行動を説明できるか検証してみる。矛盾がないので「共認機能の存在」を事実として固定。

★共認機能「心」の獲得過程を猿時代にまで遡ってみる。

・・・なるほど、事実に迫るにはこのような思考過程の繰り返しなわけですね。
それでは、一緒に猿時代まで遡ってみましょう。ポイントはお猿さんになって読んでみることです
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実現論前史 ニ.サル時代の同類闘争と共認機能 [2]より引用
1.第四の世界を手に入れたサルの大繁殖

>同じ原モグラから出発して樹上に逃避の場を求め、樹上機能(後ろ足の指で手と同じ様に枝を掴める)を発達させて遂に樹上で棲息するに至った原猿は、大きな可能性を獲得すると同時に、大変な問題に直面することになる。まず、樹上には外敵が殆どいない。その上、樹上には栄養価の高い果実や木の実が沢山ある。従って、陸・海・空とは別の樹上という第四の世界をほぼ独占した原猿たちは、最高の防衛力と生産力を手に入れたことになり、忽ち森林という森林を埋め尽くして(その食糧限界まで)繁殖していった。
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原猿の祖先

●ポイント
原猿=樹上機能により最高の防衛力・生産力→食料限界まで繁殖

2.本能では適応できない弱雄たち

>そこで、彼らの最強本能たる性闘争=縄張り闘争の本能が問題化する。この本能は、激しい個間闘争によって敗退した大多数の成体が行き場を失って外敵に喰われ、あるいは餓死することを前提にしている。簡単に言えば、大多数が死んでくれることによって調和が保たれる本能である。確かに、半地下(ほぼ地上)であれば縄張り(言わば土俵)から敵を追い出すのは簡単である。しかし樹上には何本もの枝があり、降りれば地上があり、しかも縄張り内には何百本もの樹がある。この様な縄張り空間では、1匹の覇者が多数の敗者を縄張りから完全に追い出すことは不可能である。たとえいったん追い出したとしても、追い出された者は樹上逃避できるので、外敵に喰われることなく大多数が生き残る。そして、生き残っている以上、彼らは常にどこかの覇者の縄張りを侵犯していることになる。敵(=縄張りを持つ覇者)はメスの掠奪は許さないが、縄張り周辺でのエサの掠め取りまでは手が回らない。もちろん、首雄が恐ろしいので、彼らは概ね各縄張りの境界線上にたむろすることになるが、そこでは充分な食糧を得ることができない。
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>原猿がぶつかったのは単なる本能の限界ではなく、絶えず生存の危機に晒され不全感覚が刺激され続けるという意識的な極限状態であり、しかも本能そのものが混濁するという本能の不全(縄張り闘争には勝てないのに、死なずに辛うじて生きている)故に、本能ではどうにもならない(従って本能を超え出るしかない)という未明課題だったのである。

●ポイント
性闘争=縄張り闘争に負けても(樹上故に)死なない→本能の混濁=本能不全
・過剰な緊張や怯えや飢えの苦痛など、全ゆる不全感に恒常的に苦しめられる=意識的な極限状況。本能そのものが混濁=本能不全(本能ではどうにもならない)。

3.身を寄せ合う敗者たち

>彼らは恒常的に飢えの苦痛に苛まれ、いつ襲ってくるか分からない敵=首雄の攻撃に怯えながら暮らしていたが、それらの極度な不全感が生命の根源を成す適応欠乏を強く刺激し、生起させた。加えて、恒常的に強力な危機逃避回路(未解明だが、おそらくアドレナリンetc.の情報伝達物質)が作動する事によって(これも未解明だが親和系のオキシトシンetc.による性封鎖力ともあいまって)性闘争が抑止され、それによって、モグラ以来性闘争物質によって封鎖されてきた追従本能が解除された。
>しかし、互いに追従し合っても、誰も(縄張りの確保あるいは不全感の解消の)突破口を示すことは出来ない。そこで、わずかに可能性が開かれた(=不全感を和らげることのできる)親和本能を更に強化し、追従回路(アドレナリンetc.)に親和回路(オキシトシンetc.)が相乗収束した依存本能に収束してゆく。つまり、「縄張りを持たない敗者たちが互いに身を寄せ合う」。
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●ポイント
極度の不全感⇒適応欠乏⇒追従本能解除、親和本能強化⇒依存収束

4.相手も自分も同じ=共感回路の原点

>不全課題を抱えて依存収束した弱オスたちは、依存し合う中から、「どうする?」⇒「どうにかならないか?」と可能性を相手に求め、互いに相手に期待収束してゆく。こうして、依存収束⇒期待収束し、互いに相手を注視し続ける内に、遂に相手も同じく依存し期待している事を発見し(探り当て)、互いに相手の課題=期待を自己の課題=期待と同一視して理解し合うに至った。自分以外は全て敵で、かつ怯え切っていた原猿弱者にとって、「相手も同じく自分に依存し、期待しているんだ」という事を共認し合えた意味は大きく、双方に深い安心感を与え、互いの不全感をかなり和らげることが出来た。この様に、不全感を揚棄する為に、相手の課題=期待を自己のそれと重ね合わせ同一視することによって充足を得る回路こそ、(未解明だが、おそらくは快感物質βエンドルフィンを情報伝達物質とする)共感回路の原点である。

●ポイント
依存収束⇒期待収束⇒同一視→安心感+=共感回路の原点
・不全感を揚棄する為に、相手の課題=期待を自己のそれと重ね合わせ同一視することによって充足を得る回路こそ、共感回路の原点。

5.共感充足へ可能性収束=意識の統合

>この安心感+が、相手+⇒仲間+共感を形成し、原猿たちは不全感の更なる揚棄を求めて、より強い充足感を与える(=得る)ことのできる親和行為(スキンシップなど)に収束していく。
>こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。これが、サル・人類の意識の、第一の統合様式たる共感統合の原基構造である。

●ポイント
共感統合の原基構造(サル・人類の意識の第一の統合様式)
・安心感+が、相手+⇒仲間+共感を形成、共感充足へ可能性収束。
・相手の期待に応え充足を与えることは相手}に期待し充足を得ることと表裏一体。相手の期待に応えること自体が、自己の充足=共感の真髄
***
どうですか?共感回路(共認機能の原基回路)を獲得した原猿たちの気持ちに迫れましたか
共感機能の獲得過程を遡ってみると、その原点に不全課題に対する依存収束⇒期待収束があるのですね。
現代では、「依存する」という言葉はどちらかというとマイナス印象を受ける人が多いと思います。でも、仕事や子育てや勉強で「一人でなんとかせねば!」とモヤモヤしている暇があるんだったら、周りに「依存」し「期待」する方がよっぽど人間らしい素直な行為なんですね
-そのことを太古の原猿たちは教えてくれます。
「前史二」を図解にまとめたで、合わせて見て下さい
図解 [3]
今日はここまで。

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