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動物が群れを作るのはなんで?

『収束と統合、可能性収束の論理6-因果関係と収束関係(実現関係)』 [1]
『収束と統合、可能性収束の論理7-先端機能と根源機能(下部意識は成功体験の塊)』 [2]

生物の進化(適応)の歴史は『逆境⇒どうする?⇒可能性収束⇒新機能の実現』の数十億年にわたる塗り重ねであり、これは単細胞の時代から現在の我々に至るまで、生きとし生けるものを貫く摂理です。
まさに「収束と統合とは生きているという状態そのもの [3]」 なのです。
これから数回のエントリーで、この収束と統合=適応を実現する「⇒」(可能性収束と実現の矢印)のメカニズムについて考えてみたいと思います。
生物の適応とは、あくまで「種としての適応」を意味します(仮に個体だけ生き延びても、種として生命を繋ぐことができなければ、生物としては意味がない)。生物の第一原理は、種の存続であるとも言えます。そうであるならば、「種として同類が群れ(集団)を形成すること」は適応上重要な意味を持つはずで、可能性収束を促進するキーになっている可能性が高いと思われます。
今日は、動物における「群れの作用」に注目してみます。


■本能から見る群れるメリット
るいネット『群れるメリット [4]』より引用

進化史的にみて「群れ」を形成するメリットは何だったのでしょうか。
かなり素朴に生きている生物群でも、群れでいる方がより適応に有利である事例が多いようです。
キンギョやウズムシなどの水生動物は、水中に有害物質が入ったときには、一匹でいるより群れでいる方が耐性が高いことが知られています。自分達の代謝排出物により、有害物質を無毒化する効率が高まるかららしいです。
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ネズミなどの小型哺乳類は、寒いところでは固まりあうことで、生き抜きます。お互いの身体が熱源になるわけです。
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ヘビでも、一匹でいるより数個体が固まっている時の方が代謝が低下し、酸素消費量が少なることが知られています。
鳥やサルなど群れでいる生物では、ある一匹が敵を見つけて声を上げることで、群れ全体が敵に気づくことによって被害を最小限にするという行動様式が、よく観察されます。
群れで密集して固まっていると、肉食動物が近づけない、というメリットもあります。例えばジャコウウシでは、捕食者が近づいてくると体の大きなオスが群れの周りを取り囲んで、敵を寄せ付けない隊形をとります。なので、肉食動物は、たいてい、群れから離れた個体のみを徹底的に狙い撃ちにする作戦をとります。
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群れでいると、生殖のチャンスが増え、安定して子孫を残すことができます。また、群れの個体が様々な組み合わせで生殖の機会を持つことができれば、群れの中の個体の多様性が保たれ、外圧(急な環境変化)や病原体に対して耐性(生き残る確率)が高くなります。
(参考:W.エトキン『動物の社会行動-魚からヒトまで-』思索社1980年)

画像はコチラからおかりしました。金魚 [5]ねずみ [6]ジャコウウシ [7]
動物が群れを作る理由を整理してみると、大きく3つに分けることが出来そうです。
:寒さや有害物質などの自然環境の圧力に対抗すること。
:肉食獣などの外敵に協力して立ち向かうこと。
:生殖をして子孫を増やすのに有利であることです。
生物にとって、外圧適応(変異)と生殖(保存)こそが生きていくことの全てといっても過言ではありません。
種として群れることにより高い外圧にも適応でき、そこで生殖を行い同類他者を生み出すことで、さらに高い外圧に適応していけるようになります。
種として同類が群れ(集団)を形成することは進化・適応に可能性収束していくうえで必須です。群れることは本能からみると自然の摂理であるもいえます 🙂 。

■共認機能から見た群れるメリット
では、次により私たち人類に近いと言われているサルの場合の群れはどうなっているのかを見てみましょう。

ニホンザルの群れは、数匹から数十匹までさまざまですが、一般にその中心にはボス猿と全てのメス・赤ん坊、2歳までの子猿で占められています。その周りに4歳以上のオスが取り囲み”周縁部”を形成しています。2歳から4歳までのオスは、母猿のいる中心部と周縁部との間をいったりきたりするそうです。メスや子供が守られる、実に適応上有利な陣形です。
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さらに、ニホンザルの間には、性別、年齢能力差などから、明確な順位関係が形成されています。その上下関係は非常に厳格なものです。群れの中心にいることができるのはボスのみで、No.2でさえそこに居座ろうとすればメスたちに非難されます。また、群れの正規メンバーではない”ハナレザル”は、実際には強かろうとも、群れに属している子猿にさえ遠慮しながら暮らしています。(参考:宮地伝三郎『動物社会-人間社会への道標-』筑摩書房1987年)
このような序列共認・規範共認・役割共認も、群れ全体を適応させるのに、実に見事に機能していますね。
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画像はコチラ [8]からおかりしました。
サルは、動物が集団をつくるという本能を土台として、共認機能を使って役割共認・規範共認し、より複雑な群れを形成しています。
共認機能という最先端機能を群れに適用し、より外圧適応を強化していることがわかります。
こうしてみていくと、より複雑な社会構造を持つ生物ほど、群れをなすメリットが増大していることがわかります。
■人類の群れは機能しているのか?
では、最後に我々人類の群れを考えていきましょう。
私達人間も他の生物と同様、種として群れの中で生き、群れの中で成長していきます。
例えば、子供は集団生活を営む中で人格や言語能力を育んでいきます。大人になっても同様で、仕事で成果を上げるには、個人プレーで動くのではなく、集団で課題を共有し、役割分担していく方がより高い成果を上げることができます。
さらに人類史を振り返ってみると、人類500万年の99.9%は、極限状態と言える凄まじい外圧状況で、集団としての共同性がなければ人類は絶滅していたでしょう。
【参考投稿】
人は集団の中で育つ [9]
『凡才の集団は孤高の天才に勝る』~素人の創造力 [10]
人類の本性は共同性にある② [11]
翻って現代社会を見つめ直すと、群れることから距離を置いた生き方を強いられているように思えます。

しかし、現代社会では、群れることの重要性が、あまり強調されていない。どちらかというと、「主体性が無い」とか「自分がない」とか言われて疎んじられたり軽視されたりしているような気がしてなりません。「個人主義」「個性重視」「アイデンティティーの確立」「自己実現」などの中身がよくわからない倒錯的な観念ばかりがまつり上げられいます。親の世代が押し付けるそれらの倒錯観念が、精神のおかしな子供たちが増えてきた大きな原因の一つではないかと思えてしかたありません。
(中略)
「人間は群れる」。そのあたりまえの事実を認め、近代までに形成された倒錯観念を払拭する必要性を、つくづく感じます。

「個人主義」「個性重視」etc.の近代観念は、自然の摂理ともいえる「群れ」を破壊する観念であり非常に危険であると感じます。
収束と統合、可能性収束の論理7-先端機能と根源機能(下部意識は成功体験の塊)』 [2]にあったように、倒錯した観念に収束すると人類は退化してしまう恐れさえあります。
人類の進化の源泉は共認機能と観念機能です。それをまっとうに使っていかなければ、進化・適応する(=生きていく)ことができません

動物、猿、人類の群れを見てきましたが、種として群れ(集団)を形成し、外圧(=課題)に適応していくことが生物の摂理です。われわれ人類も摂理に従って生きていくべきではないでしょうか 😀 ?

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