間違いなく最も有名な進化論者であろうダーウィンは、ラマルクよりも半世紀ほど後の自然科学者で、現在でも進化論の主流をなす「自然選択(淘汰)説」を提唱しました。
ダーウィンは当初、聖書の無誤性を疑わなかったが、ビーグル号航海の間に疑いを持ち始めた。その後、彼はしばらく正統な信仰を持ちつづけ、道徳の根拠として聖書を引用したが、旧約聖書が述べる歴史には批判的だった。そして、長女アニーの死をもってキリスト教信仰への終わりを意味したようです。
当時は「天地創造説」が当たり前と考えられており、キリスト教が(権力的にも、思想的にも)絶対的力を持っていた為、ダーウィンの進化論は宗教界を中心に激しい反対を受けました。
しかし、賛同者・支持者が次第に表れ、認知度と影響力を拡大していきました。後にこのダーウィンの「自然選択説」は、メンデルが発見した「遺伝学」、そしてド・フリースによって発見された「突然変異説」と結びつき、「総合説(ネオ・ダーウィニズム)」として統合されていきます。
この「総合説」が現在の進化論の主流派となっています。
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この主流進化論に異を唱えている記事が、るいネット [3]にありますので引用します。
主流進化論によれば、進化とは、確率的にいえば限りなくゼロに近い(小数点以下六百万桁)有利な突然変異と、自然選択によってのみ生じたのだとされる。
この進化モデルは、環境に対する生物自身の能動的(主体的)な適応(本能)を一切排す点で運命論的である。
そして、「自然選択(自然淘汰)」を「自分ではどうすることもできない(自然)環境※」に、「有利な突然変異」を「奇跡的に生ずる変身(変態)」と置き換えると、これは古代の宗教思想そのものではないのか、という疑問が生まれる。
画像はこちら [4]からお借りしました
何のことはない、主流進化論とは、「奇跡的な(神の)救いが無ければ、生物は滅びゆくしかない」という、私権時代の閉塞が生み出した古代宗教思想の追認作業、つまり神の証明をしようとしているだけではないのか。
これは、こうした進化原理を作り出した、現在の科学的手法の基盤となっている近代思想が、実は古代宗教と何も変わらない(リンク [5])、という事実を指し示す一例と言えるだろう。
言うまでも無く、進化原理とは歴史構造の最も根底的な位置にある。認識パラダイムの転換とは、とりわけ進化論においては全面的な書き換えに繋がるものとなるだろう。
※市場社会以降の先進国に於いては、自然圧力を含め、すべての圧力は私権圧力へ収束していたと考えられる。したがって、(どのような)圧力も「自分ではどうすることもできない」ものとして認識されていたと考えられる。
当時のダーウィンをはじめ主流進化論者達も、運命論から脱却出来なかった所から見ると、絶対的な宗教思想や既成概念を全て捨て去る事は難しかったのかもしれません。
そういった意味でも、認識パラダイムの転換が可能な現代は、新たな進化論に塗り替えられる時代とも言えそうです。
↑自然淘汰に向かったのでは無く、可能性収束に向かった進化系
以下に紹介するのは、その新たな認識から進化論を見た記事の一部(他にも本サイトいっぱいあります)であり、参考になります。
『逆境の連続が哺乳類を生んだ①』 [6]
『逆境の連続が哺乳類を生んだ②』 [7]
この新たな認識から分かるのは、
進化は「小数点600万桁以下の自然淘汰」がされたのでは無く、「逆境に対して小数点600万桁の可能性収束」の蓄積なのだと思われます。