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生命のオスメス分化に学ぶ-4-そして人類の性(男女)は?

「生命のオスメス分化に学ぶ」シリーズ1~3
生命のオスメス分化に学ぶ-1- 性の起源と意味 [1]
生命のオスメス分化に学ぶ-2- 性の差異促進により生命は進化した [2]
生命のオスメス分化に学ぶ-3- 哺乳類⇒猿⇒原始人類の性分化 [3]
ここまでは、性の起源とオスメス分化、そして脊椎動物の進化と性、それら生物の性原理を土台としたサル・人類の性までを見てきました。

今日はエピローグとして、その後の人類の歩みを「性」(男女)の視点から追ってみたいと思います。

1.採取時代の性
2.父系制への転換
3.私権時代の性
4.現代:性の衰弱
5.性の再生へ


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1.採取時代の性
人類最初期、洞窟に隠れ住んでいた約500万年の極限時代の中で、人類の性の本源(普遍性)は育まれてきました。
そして約一万年前、防衛力・生産力を蓄えたことにより、ようやく地上へと進出、この頃から人口も増え始めます。そこで人類の性はどのように変化していったのか?

哺乳類、サル、人類極限時代と続いてきた首雄集中婚から、集団が根付いた土地の風土、生産様式等によっていくつかの婚姻様式へと変化していきます。
風土、生産様式、婚姻制 [6]
原始婚と性習俗 [7]  

大きく分類すれば、漁労採集系の部族は「総偶婚」、狩猟系の部族は「勇士婚」が主流となります。集団によって様式は分化しますが、外圧に対して集団として適応するための婚姻様式であること、男女の役割分化と調和が保たれていることから、自然の摂理の範囲内での性のありようの進展と考えて差し支えないと思われます。

※なお、日本では明治初期まで(一部では戦前まで)全国津々浦々で「夜這い婚」の風習が残っていたことが分かっていますが、これは総偶婚の名残りに他なりません。
夜這い婚 [8]  

2.父系制への転換
さらに人類は生産様式を多様化、人口も増加させ、集団のありようも変容していきますが、ここで大きなエポックは、遊牧部族における母系制から父系制への転換です。
もともと集団化した哺乳類は(一部の例外を除いて)母系制が基本です。
遊牧部族の父系制転換 [9]

父系制への転換は、私益第一の意識を芽生えさせた点で歴史のターニングポイントになりますが、性の観点から見ても、人類の性は哺乳類集団の摂理から外れたものとなっていくのです。

3.私権時代の性
いわゆる文明時代は、人類の略奪闘争=戦争から幕を開けます。
生物史においては、性は外圧適応のためのシステム、つまり種の存続のため、集団の存続のために受け継がれてきたものでした。
しかし、この略奪闘争によって、全ては私権(私益、私利私欲)の対象に、性も私権の対象となってしまいます。私有婚のはじまりです。
私権成立には掠奪闘争と私有婚の2つの条件が必要 [10] 
私有婚のはじまり [11]  

この「私権の性」(自由な性、私的な性、自我独占の性)のありようは、現代の我々にとって最もなじみ深い(それしか知らない)わけですが、これまで見てきたように、生物史~人類史の事実と照らし合わせると、自然の摂理から外れた極めて特殊な性であると言えます。

4.現代:性の衰弱
そして現代における性、男女はどうか?
ひとつには、男女同権論等による男女役割(男女相互の尊敬・安心・信頼関係)の軽薄化、もうひとつにはセックスレスが象徴する性の衰弱・・・
(男女同権論の主張は、これまで見てきたように、生物史~人類史にはどこにもそのような「事実」はない、つまりでっちあげです)
(セックスレス=性の衰弱は、性がずっと人類の活力源であった点からも、異常事態と言えます)

つまり、性はガタガタになってきているのです。
これまで十数億年にわたって塗り重ねられてきた「性」がガタガタになってきている、この事実を我々は真摯に受け止めねばなりません。
セックスレスの原因構造~大転換期1970年頃になにが起こったか?~ [12]  

さらにもう一点、性(男女)は社会の根幹、最基底部をなすものであり、性のガタガタと同時に、社会のガタガタも深刻度を増す一方です。例えば、市場経済の行き詰まりも、深い次元で性と直結する問題なのです。
金融危機と意識潮流 =’09年以降の経済情勢、どうなる?= [13]  

つまり現代は、私権の性の行き詰まり→終焉を示していると考えられます。

5.性の再生へ
私権の性の終焉は、何を意味するのか?
考えてみれば、父系制への転換~私有婚への転換にはじまる性のありようが、自然の摂理に反したものであったことが究極の要因とも捉えることができるのではないでしょうか?

そうであるとすれば、我々現代人は改めて、性とは何か、オス(男)とは何か、メス(女)とは何か・・・自然の摂理から性の尊さを謙虚に学ぶことが必要なはずです。そして、時間をかけてでも本源の性を再生してゆくことを考えていかなければならないのだろうと思います。自然の摂理に則った「性の再生」が社会の再生のカギになってゆくはずですから。
「性」を巡る意識潮流の変化に、「性再生」の可能性を感じる [14] 
社会とつながる『性』の再生 [15]  

オスメス分化の塗り重ね構造 [16]  

生物数十億年の歴史のなかで、外圧に適応していくために、役割分担と調和が塗り重ねられてきた、それがオスとメスの分化。オスという役割(存在)、メスという役割(存在)があわさってはじめて、外圧に適応的たり得たし、種をつなぐこともできたのである。

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