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生命観と観念パラダイム

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ダーウィン :種の起源(※画像引用元→コチラ [1]

先日のなんでや劇場の議論を経て、生命起源や生物進化について、学者たちの間でもまだまだ分かっていないことが多いこと、素人であっても仮説思考力と論理整合性をもって追求することに大きな意義と可能性があることを再認識しました

また、突然変異説って何?総合説って何? [2] で触れられていますが、現在の専門家における進化史観には様々な固定観念(や商売意図?)に基づく問題性もありそうですね。

今日は、生命(史)観の歴史的系譜について考えてみたいと思います

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生命現象や生物種の多様性etcは、大昔から人々にとって神秘(畏敬)の対象であったに違いなく、原始時代から精霊信仰の対象でした。

また、古代ギリシャの哲学者(アナクシマンドロス)や古代中国の思想家(荘子)などは、既に後の進化論に通じるような視点を持っていたとも言われます。
(ex.「生命は海の中で発展し後に地上に移住した」「種は不変ではなく異なる環境に応じた異なる特徴を持っている」「(生命を含む)自然は恒常的に変化する」)

きっと、「生命の謎」を畏敬の念をもって注視し続けていたのだろうと想像されます。

ところが、中世における宗教の拡がり(主にキリスト教)、そして西洋近代思想の興隆によって、時代の観念パラダイム(or価値観)が規定されてくると、生命進化をめぐる言説もなんだかややこしい状況になっていったようです。

ダーウィンの「種の起源」が世に出された当時、キリスト教勢力から攻撃を受けた話は有名です。
(ex.サミュエル・ウィルバフォース主教「神の姿に似せて創造された人間の祖先がケダモノであるという堕落した考え方とは絶対に相容れない」)

また、近代思想家の生命観も非常に偏ったor独善的な見方に傾斜していきます。
(ex.ルネ・デカルトの機械論「生命現象はすべて機械論的に説明可能。心臓はポンプ、血管はチューブ、筋肉と関節はベルトと滑車、肺はふいご。すべてのボディ・パーツの仕組みは機械のアナロジーとして理解できる。そしてその運動は力学によって数学的に説明できる。自然は創造主を措定することなく解釈することができる」、19Cフランス啓蒙思想「進化と(西洋の)社会的進歩は同義」)

こうした状況は、事実の追求(生命の謎、摂理の追求)という地平から見れば、観念の後退と言えます。

さらに言えば、現在では生物進化そのものについては、広く科学的事実として受け入れられていますが、驚いたことに、キリスト教右派では「生物が進化してきた」というテーゼに対する反発は今でも大きいらしい・・・

・アメリカ合衆国いくつかの州では、プロテスタントの一部に根強い聖書主義の立場から進化論が否定されている。

・キリスト教根本主義者の創造論では、宇宙の始まりから現在までの過程についても聖書に誤りが無く、旧約聖書「創世記」の記述が文字通り正しいという聖書無謬説をとり、生物種はそれぞれ独立に創られたとしている。

・カトリック教会では1996年にローマ教皇が、「進化論は仮説以上のもので、肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神に創造されたもの」だと述べた。つまり、人間の精神活動の源泉たる魂は、進化論的過程とは関係ないとする限定つきで、進化論をキリスト教と矛盾しないものと認めた。

・近年アメリカ合衆国のいくつかの州において、創造論orインテリジェント・デザイン説(ID説)が学校教育に持ち込まれようとしている。ID説では、宇宙や生命を設計し創造した存在を認める。極めて精妙な生物の細胞や器官のしくみを例に挙げて、「複雑な細胞からなる生体組織が進化によってひとりでにできあがったとは考えられない。従って創造に際しては『高度な知性』によるデザインが必要であった」といった主張がなされている。

・ジョージ・W・ブッシュは「平等のために進化論のみならずインテリジェント・デザインも学校の理科の時間に教えるべきだ」と述べたが、翌日報道官が撤回した。2005年、カンザス州教育委員会は多数決の結果ID説の立場を採り、進化論を「問題の多い理論」として教える科学教育基準を採決した。

・2007年に Newsweek が行った調査によると「進化論は十分に実証され、科学者の間で受け入れられていると思うか」という問いに対して、米国成人の48%が、「そうではない」と答えている。宗派別の内訳を見ると、進化論に懐疑的な回答の割合は、無神論者で18%であるのに対して、カトリックでは33%に、新教正派では、実に63%にのぼっている。

※参照
・ウィキペディア 進化論裁判 [6] 進化論と宗教 [7] 
・永井俊哉 なぜキリスト教はダーウィンを非難するのか [8] 

ここまでくると、何とも言えない心境になってくるのですが・・・

●生命史観の系譜を概観してみても、旧観念パラダイム(古代宗教・近代思想)の弊害が如実に見えるように思います。
事実(現実)を捨象して、正当化観念に固執する倒錯思考からは何も生まれないばかりか、独善的に事実を遠ざけ、現実の世界を破壊していく危険性すらあります。

(※なかでも特に、アメリカという人工国家には、そのイデオロギー体質が純化されているということでしょう)

●あらためて、自然の摂理、生命の摂理に対する謙虚さ、事実を追求し続ける姿勢、そこから学び続けることの大切さを感じました。

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