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生物史を勉強すると仕事ができるようになるってホント?

先日、若い女性から表題にあるような質問をいただきました
案外考えさせられるテーマだったので、今日はブログ上で検討してみようと思います
まず、先に結論だけ言うと『できる』ようになります。
ただし条件があります。
それは
『勉強』という言葉の意味を正確に理解して実践しているかどうかです。
そう・・・
『勉強』という言葉を単に知識の習得(「拾得」と書く方が正しいかも?)と捉えて、生物史を研究していても少しも仕事ができるようにはなりません 🙁
これは、何も生物史に限った話ではなく、政治・経済・科学、どの分野を対象にしていても同じだと思いますが、生物史(広義に解釈すれば歴史全般)ほどそれが端的に現れる領域もないように感じます。
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さて、それでは
生物史の『勉強』の仕方で仕事能力の向上と密接に関わっているのはどういう点か?
わたしは2点あると考えています。
1点目
生物史とは
歴史構造論としての一連の『繋がり』を理解して初めて『勉強』したことになる
という点です。
目新しい現象事実が次々と発表されるのが生物学の世界では多いのですが、それらが断片的な事象として‘ブツ切り’の知識にしかなっていないなら、日常の仕事には何の糧にもなりません。
第一、そんな知識ばかり詰め込む『勉強』など、少しも楽しくありませんよね。
上述の『繋がり』を考えていくということは、言わば推理をする、あるいは論理的に整理された仮説を立てるという思考が要求されているということです。
そのためには、着想の豊かさや切り替えの自在さが何にも増して重要です。
そして理路整然とした論理性と緻密さと根気なども必要になってきます。
これって見事に仕事で求められる能力や思考方法でしょ
ちなみに、歴史というと文系的な思考と多くの人が思っているようですが、本来の『歴史構造論』となると、文系・理系の双方がまたがる総合的な思考領域でもあります。
2点目
生物史の『繋がり』は、実感では捉えられない・・・つまり本能に備わった感覚機能だけでは認識できないということです。
これは、目に見えるモノや直接話の聞ける人だけを相手にしていては仕事にならないということと連関してきます。
仕事場面ではよく「一を聞いて十を知る」という精神の重要性を耳にしますが、まず可能な限り情報を集める努力をはらうと同時に、そうは言っても入手できた情報から様々な予測を行っていくことが必須の課題になります。
実は
生物史における『繋がり』を解明するための「着想」や「論理」というのは、仕事における「情報収集」や「予測思考」とほぼ同じことをやっているのです。
そして(この点は意外に重要かもしれませんが)生物史ほど「情報収集」や「情報選別」、あるいは「発想」や「論理整理など」が難しい領域は、めったにお目にかかりません。
要するに、生物史の『繋がり』の解明とは、日常の仕事のエッセンスの‘超難問’ばかりを集めた問題集を解くようなものです。
何しろその対象の広さとディテールの詳細さが尋常ではありませんからね 🙂
別の言い方をすれば、‘目に見えない領域’というのがマクロ~ミクロの両極に存在しているのが生物史の特徴です。
それ故に根気や粘り強さも鍛えられます
だから、生物史の『勉強』よりは少し簡単な仕事を前にしたときに、「できそうだ」 😀 という予感が生まれやすいし、だいたいくじけたりしなくなります。
仕事に関連した生物史勉強の‘効能’を、わたしなりの体験も踏まえてまとめてみると以上のようになります。
無論、仕事ができるようになりたいから生物史の勉強を始めるというのも何だか妙な気がしますが、もし生物史に若干でも興味を抱いたら、個々の現象にあまり囚われ過ぎないで、40億年の『繋がり』を常に意識して勉強すると、思わぬ‘ごりやく’があるかもしれませんよ。
by TSUTIYAMA

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