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現代人は、たった15万年前にアフリカにいたわずか数千の母集団から始まった

どうもお久しぶりです。雅無乱 [1]です。

先日(2008年7月22日)、NHKの爆笑問題のニッポンの教養「どこから来たのか、ニッポンのヒト」 [2]を見た。なかなかおもしろかったので、内容を紹介したい。
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       ※画像は、NHK「爆笑問題のニッポンの教養HP」より
ちなみに、ご覧になりたい方は、29日(火)午前8:30~<BS2>に再放送をやるみたい。エントリーを読んで興味を持った方は、お見逃しなく。
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今回登場するのは、国立科学博物館の篠田謙一氏 [6]。彼は、遺跡から発掘される人骨からミトコンドリアDNAを抽出して分析し、人類の系統樹を作っている。もちろん、ミトコンドリアは必ず母系遺伝するという前提に関しても諸説があるので、あくまで一データとして見る必要があるが、これはこれでなかなか興味深い。
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 ※画像はhttp://www.kahaku.go.jp/my_reserch/06/shinoda/index.html [6]より
これ↑は、番組にもちょろっと出てきた図解。実際、番組での中心的に使われたのは、もっと細かく分類してあるドでかい系統図だったが…

この研究によると、現代人に直接繋がるのは、たった15万年くらい前に東アフリカに住んでいたわずか数千人くらいの群れである…ということになる。その母集団が現代人65億人となって世界中に広がっているのだ。

人類史(チンパンジーと共通の祖先から枝分かれした)は500万年と言われている。多くの人類の亜種が生まれ、絶滅していった。そして、何度かアフリカ大陸を出た亜種もいたが(北京原人、ネアンデルタール人など)、ことごとく生き残ることはできなかった。

ホモ・サピエンスは、15万/500万…つまり人類史のたった3%を生きてきたにすぎない。「人種」に分かれたのは、その後、たった人類史のせいぜい1~2%くらいの時期にすぎないのだ。

番組ではさらに、篠田教授はこんな世界地図を使って解説してく。

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   ※篠田謙一著「日本人になった祖先たち」-副題:DNAから解明するその多元的構造-の、人類の拡散のプロセス図
アフリカを出て世界に拡がったのは、東アフリカに生きていた数千人の初期ホモサピエンスの子孫のうち、わずか10万年前より最近、たまたま(何らかの事故で?)紅海をアラビア半島に渡った、たった数百人の人類集団だったことが類推されるという。

要するにヨーロッパ人もアジア人もインディアンも、遺伝的にはたいして変らないということである。

メディアではアメリカの大統領に黒人がなるかもしれない…などと大騒ぎしているが、もともと「人種」などという概念は、ヨーロッパ人が有色人種を大量虐殺し奴隷として支配する口実としてでっち上げた、ほとんど科学的根拠の無い幻想にすぎないということである。

いまだに、「人種」に過剰にこだわり対立を煽る人や、「人種的に己の方が優位だ」などというタワゴトを未だに吐いている人は、この事実を真摯に受け止める必要があるだろう。

65億にものぼる人類のルーツをたどると、すべて東アフリカのわずか数千人のグループに行き着き、しかもその歴史はたった15万年ほどしかない…。それは、生物史において、ほんの一瞬のできごとである。

全ての人類に共通する基本的な特徴↓は、亜種が次々と現れては滅んでいく、人類史数百万年の間に育まれてきた。

るいネット 人類の本性は共同性にある① [7]
るいネット 人類の本性は共同性にある② [8]
 共認機能という概念 [9]

チンケな「人種」「民族」「国家」などの観念や、それこそ頭の中だけで純粋に捏造された「宗教」なんかを理由に起こっている戦争や紛争が世界では後を絶たないが、もう一度、この科学的事実に立脚して人類というものを捉えなおす時期に来ているのではないかという気がする。

篠田氏が番組中でこんな言葉を語った。

私なんかこういう仕事をしていて感じるのは、これをやってもね、いくらやっていても国が出てこないんですよ。
どこに行っても国が出てこないんですよね。
で、ある時何かこうやってみんなが分かれたところに、こうやって定規で線を引っ張って「ここは私の国!」っていう感じにしているのかな、というふうにも思うんですけどね。

番組中で爆笑問題は、競走馬を例に出して「優生学」についての懸念を語っていた。

しかし、基本的には的外れだと思った。

競馬馬=サラブレッドの育種・改良は、17世紀後半からイギリスで行われてきたが、実際、様々な掛け合わせを行って試行してきたスピードアップが、既に限界を迎え、衰退に向かっている。

アラブの馬をもととして育種が改良が行われてきたサラブレッドは2400~4000mでのスピードが1880年代英国でピークをむかえ、1970年代の米国で1600~2400mのレースのピークを終えたということらしい。

でも、そもそも、サラブレッドは特定のルールや条件(距離)のもとでのスピードを競い合うために改良されつづけてきた品種であって、スピードでもスタミナでも最強のはずはない。

数百メートルまでならクオーターホースに勝てないし、持久力や馬力ではアラブ馬には勝てない。

ただ馬にとっての中距離(1000~4000mくらい、つまりスピードとスタミナのバランス)ならこの種が最も強いというのは言えるらしい。しかし、それが野生の馬にとって生き残るのに最適かどうか…というのはまた別の話しである。

ダーウィンの「種の起源」を読むと、ダーウィンは「進化」という概念を、様々な生物の育種を見て着想している事が分かる(ガラパゴス島に行く前に、既に人工育種において着想を得ていたわけである)。

しかし現実は理論とは違い、サラブレッドは前述のように、完全に袋小路に入ってしまった。

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※画像は、史上最高の種馬と謳われたサンデー・サイレンス(番組にも一瞬登場)
実際、優秀な牝馬と優秀な牡馬を掛け合わせでも、怪我をしやすい馬や病気に弱い馬、はたまたバランスが悪く大して速くない駄馬がほとんどで、優秀な馬はほとんど奇跡的にしか生まれないという。

それでも、現在の競馬界・サラブレッドの育種に携わる人々は、あいもかわらずスピードアップを夢見て掛けあわせを続けている。

これは近代の生物機械論的進化論の風潮を盲信し、「ものごと(生物も)はバージョンアップするものだ」という誤った捉え方をしている人がまだまだ多いからだと思われる。

近親交配の繰り返しにより、不利な劣性遺伝子がホモになり、不利な特徴が形質に現れやすくなる、という説明がされているが、なるほどサラブレッドの話を聞くと、近親交配により、有利な形質の促進よりむしろ欠点の助長が際立っているように思われる。実際ほとんどが、まず体が弱すぎて過酷なレースに使えないのだそうだ。

サラブレッドは中距離の競走能力ではどの馬にも負けないかもしれないが、その代償として近親交配を繰り返してきたので体が弱く、また野生の状態では生きていけないなど、考えようによっては奇形動物の代表といってもいいだろう。

遺伝的多様性に乏しく、特定の能力しか要求されないような品種は、袋小路に陥りやすい。食料となる植物の育種においても、同様の限界が問題になっており、多くの研究機関は、以前は直接金にならないということで力を入れていなかった野生の様々な植物の遺伝子の保存に、多大な費用をかけるようになっている。

生命をあたかも機械のようにバージョンアップさせようという試みは、既に現実的にも理論的にも完全に破綻していると思われる。

番組での、爆笑問題の懸念「遺伝子のタイプがこれほど詳しく分かったら、結婚相手を選ぶ時に遺伝子タイプで選んだり、デザイナーズベイビーとかができていくのでは」に関して言えば、人間の浅はかな知恵で生命をいじくったとしても、適応してるつもりでも絶滅に一歩近づくだけだ…ということだろう。

とにかく、いろいろな事を考えるきっかけになった番組であった。

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